Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

レビューを前に

2006-10-25 20:48:59 | 報道写真考・たわ言
いやいや。。。忙しいやら面倒やらで、すっかりブログ更新を怠ってしまった。しかしこんなに間隔をあけたのは初めてだよなあ。。。

そういう今も、レビューの準備のために、ホントはブログを書いている場合じゃないんだけれど。。。

レビューというのは、いってみれば社員評価のようなもので、他の部署がどういう形式でやっているのかは知らないが、僕らフォトグラファー達はそれぞれ担当になったエディターによって、ここ一年の仕事振りを評価されることになっている。

それで、レビュー用にここ1年分のなかから写真を選んでポートフォリオを作成し、それを担当者に提出しなくてはならない。僕のレビューは本来なら2ヶ月ほど前におこなわれるはずだったのだが、僕も担当エディターのアンドリューも忙しくて予定が合わずにずっとお流れになっていた。先日彼と話していて、「もう年末もせまってきたし、来週早々までに絶対にやらねばならない!」ということになって、僕はいまになってあわててポートフォリオをつくっているというわけだ。

毎年末にはいつも感じることなのだが、自分がこの1年間に撮った写真をあらためて見直してみると、「また今年もいろいろ撮ったなあ。。。」となんともいえない感慨がわいてくる。

今年は海外取材にも思うようにでられなかったし、決定的な自信作が撮れていないのは非常に残念だけれど、それでもまあ気に入ったものもちょこちょこでてきた。

外の取材にでていないときは、僕らは当然シカゴの日常を撮ることになる。

市長の記者会見や季節の行事、それから政治デモやら火事に事件。。。現場に向かう前に、これはいいのが撮れそうだ、と意気込んでいってもつまらないものしか見えなかったり、逆に、なんでこんなもの撮らなくちゃいけないんだ、などとぼやきがでるような仕事から、思わずいいものが撮れたりすることもある。

ある程度は予想できても、やっぱりその場にいかなくては実際に何がおこるかはわからないのだ。

1年間に撮りためた雑多な写真を眺めながら、それが報道写真の面白いところでもあるんだよなあ、などと、そんな当たり前のことをあらためて考えていた。




ある硬派雑誌の休刊

2006-10-09 21:20:53 | 日本
購読している「週間金曜日」を読んでいたら、ある雑誌の休刊の記事が載っていた。

その月刊誌の名は「技術と人間」。僕にとってはこれまで見たことも耳にしたこともないものだったが、30年以上の歴史がある月刊誌だったという。

原子力発電や、コンピュータ社会、それから臓器移植などの生命操作などの現代技術の問題点を鋭く指摘し、企業に媚をうらない紙面づくりで、アメリカの企業がインドでおこした毒ガス漏洩事故や、三菱石油重油流出事故などを特集してきた。

しかし、「硬派雑誌は売れない」とされる今の雑誌ジャーナリズム。20年前に8000部だった発行部数が年々減り続け、2100部まで落ち込んだ末、昨年秋にやむなく休刊に追い込まれた。こんな気骨のある雑誌を細々ながら発行し続けた編集長の高橋昇さんも今年で80歳。彼の「良心」と「志」と引き継ぐものはいないのか。。。

こんなような記事だった。

僕はこの雑誌の存在すら知らなかったことを残念に思うが、記事を読んでそれ以上に落胆したことがある。

いまの日本には、この程度の規模の雑誌を発行するためのスポンサーになれるくらいの金持ちはごまんといるだろう。それなのに、誰も救済の手を差し伸べることはできないのだろうか?

くだらない馬鹿笑いと軽々しいトレンドやお色気ものに溢れた日本の社会だからこそ、こういう骨のある雑誌を存在させ続ける意味は大きいはずだ。

結局のところ、大方の金持ちは「企業」と結びついているだろうから、企業や技術批判をするこのような雑誌は彼らと敵対するものなのか。。。しかし、それを承知で、「良心」と「志」を持ってこういう雑誌のスポンサーになってやろうという肝っ玉の大きい金持ちは、いまの日本にいないのだろうか?

人間私腹を肥やし、裕福になるにつれて、社会のなかで本当に大切なものが見えなくなってしまっていくような気がする。金になることにしか、意味を見出せなくなるのだ。

報道カメラマンなどという職業では金持ちになる可能性など限りなくゼロに近いけれど、万が一僕がそうなったとしても、「硬派」ではあり続けたい。。。そう思った。


長老カメラマン

2006-10-04 22:57:36 | シカゴ
昨日、サン・タイムスのジョン・ホワイトと話をする機会があった。

シカゴにはトリビューンの他にサン・タイムスというタブロイド版の新聞社があるが、ジョンはそこの長老(といったら怒るかな?)カメラマンだ。彼とは数ヶ月に一度仕事で顔をあわせるくらいなのでこれまで数えるほどしか会っていないのだが、その割には僕らはなかなか気があっている。

ジョンは1982年にピューリッツアーを受賞した、恐らくシカゴではもっともよく知られた報道カメラマンだろう。現在も現役で新聞社での仕事をするかたわら、週に2回コロンビア・カレッジでフォト・ジャーナリズムを教えている。若い頃の写真をみると精悍で鋭い顔つきをしているが、60歳を過ぎた今では(彼の正確な年齢は知らないんだけれど、まさか70はいってないよなあ)さすがに温厚で気のいいおっちゃんになったようで、仕事中いつもネクタイとジャケットを身につけている老紳士だ。

市長の記者会見の撮影で僕らは偶然一緒になったのだが、そのあとにお互い少し時間があったので、スターバックスで紅茶を飲みながら(蛇足だが僕も彼もコーヒーは飲まない)30分ほど一緒に過ごした。

それまでピューリッツアー受賞者ということ以外彼のことはあまりよく知らなかったのだが、生まれ育ったノースカロライナのことや、父親と2人の兄は教会の牧師であったことなど、いつもの穏やかな口調で話してくれた。

写真についてもいろいろ語ってくれたが、お茶をすすり一息ついた彼の口から、ふとこんな言葉がとびだした。

「今日の記者会見みたいに、仕事で撮らなきゃいけないものは勿論撮らなくてはならないんだけど。。。本当に、絶対に撮るべきことは、自分自身が撮りたいと思うものなんだよ。それを撮り続けなくちゃいけないんだ」

僕は彼のこの言葉を聞いて、思わず身震いがしそうになった。

彼の言っていることはごく当たり前のことで、僕に限らず、カメラマンならみな普段思っていることだろう。特に僕はここ数ヶ月納得のいく取材もしていないから少々気も滅入っていたし、撮りたいものを撮るためにこれからどうすべきか、というようなことはいつも頭の中で考えていることだ。

しかしすでに分かっているはずのそんな言葉が、淡々としながらも情熱を込めてジョンの口から語られたとき、僕はまるで心臓をぐっと掴まれたような強烈な感覚を覚えた。恐らく、彼の言葉は単なる理想論や頭で考えていることではなく、彼がそれを身を持って実践してきたという重みがこもっていたせいもあるだろう。多くの新聞社カメラマン達が、ある程度の年齢をこえて単に仕事をこなしているだけのぬるま湯に浸っている中、ジョンの体内にはまだ写真に対する情熱がほとばしっているようだった。

別に僕にとって何か具体的にどうすればいいというのが分かったわけでもないし、いいアイディアがひらめいたわけでもない。それでも彼の言葉はなんとなく希望というか、暗いトンネルに明かりがぽっと灯ったような、ポジティブな後味を残してくれた。

こういう人間には滅多に出合うことはない。これまでジョンとゆっくり話す機会をもたなかったことが少し悔やまれたが、逆に今だからこそ彼の言葉のありがたさが心に染みてくるのかな、とも思う。

ジョン・ホワイト。。。さすが長老、その人徳のおかげで、僕の興奮はオフィスに戻ってからもしばらく収まらなかった。







未亡人の葛藤

2006-10-01 10:18:38 | 北米
取材でカンサス・シティに滞在してきた。

4日間で3つの関連のないストーリーを取材するというなかなかの強行軍だったが、そのなかのひとつにイラク戦争で夫を亡くした未亡人の撮影があった。

イラク戦争では2003年の侵攻以来3000人をこえる米兵が死んでいるので、未亡人や残された子供達の話はすでに随分と報道されているが(ちなみにイラク市民の死者は4万以上)、今回焦点をあてたのはまだ子供もいないひとりの若い未亡人だった。

カンザス・シティから西に車で45分ほどいった小さな町に住むケリーという名の女性はまだ22歳。昨年の夏にイラク北部のモズルでの戦闘で夫のルーカスを亡くした。保守的な中西部の田舎町という気風もあって、周りの人たちは若い彼女に同情し、まるで悲劇のヒロインのように扱ったという。

まだ子供もいないし歳も若いケリーは、夫の死後1年が過ぎた今新しい生活を踏み出そうとしていたが、どうしてもこの小さな町の人々の眼が気になってしまう。町の人々にとっては、いつまでもケリーは「ルーカスの未亡人」であり、この町におけるイラク戦争の象徴なのだ。だから彼女がようやく気持ちの整理をつけて新しく付きあうようになったボーイフレンドとも、あまり人目につかないようにしか会うことができない。

一生ここに住むつもりでルーカスと共に家まで建てたが、彼女は今この町を去ろうとしている。

ここにいてはいつまでたっても「ルーカスの未亡人」であり続けなければならず、第二の人生をはじめる事ができないからだ。

もともとは彼女に対する町の人々の「思いやり」だったものが、いつしか「思いこみ」にかわり、目に見えないプレッシャーとなってケリーを縛り付けていってしまった。。。ファインダーのなかに映る姿から、小さなコミュニティーに生きるこの若い未亡人の葛藤が痛いほどよく伝わってきた。