Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

くすぶったまま。。。

2005-11-29 04:56:32 | 中東
自由のないフラストレーションに悩まされながらも、どうにかイラクでの取材を終え、今晩また空港にあるあの150ドルのコンテナ宿に戻ってきた。

明日の飛行機でドバイに戻る。

残念ながら、イラクではもう取材を終えてもその充実感など全くない。前にも書いたとおり、ほとんど自由に動けないから思うように写真が撮れない。今年1月に訪れたときもそうだったし、この治安ではもうどうしようもないのだ。

自分の力をだしきれない撮影はつらい。仕事が終わっても、くすぶったままだ。

このような状況が好転するまで、残念だが今度こそしばらくの間イラクには戻れないなと思う。

監禁状態!?

2005-11-26 16:59:25 | 中東
こうなることはわかっていた。

自由に動けない。写真が撮れない。フラストレーションがたまる。。。

だから正直言ってまたイラクに戻ってくることには気が進まなかった。

それでもこの石油プロジェクトからイラクを外すわけにはいかないし、取材先が比較的状勢の落ち着いていたバスラだからまあ何とかなると思っていた。しかしアメリカ人ジャーナリスト、スティーブン・ビンセントが殺害された8月あたりから事態は急転し、現在バスラは誘拐、人質の確率がバグダッドを上回るほどの混沌に陥ってしまった。

2日前に空港のコンテナ宿から市内にあるアメリカ/イギリス領事館の敷地に移動した。こちらもおなじコンテナ宿だが、150ドルもぼったくられた空港のものとちがって宿泊は無料だ。インターネットの回線はさすがにないものの、トイレ、シャワーはついているので問題はない。政府関係者はもとより、技術者、警備関係などの人間がみな住んでいるので、規模は大きい。200棟以上のコンテナがずらりと立ち並んでいる。

この敷地内で、僕はいまほとんど監禁状態!?になっている。

外に出られないわけではないのだが、あらかじめ決めておいた取材地やインタビュー相手の家に、雇ったガードマンとともに車で向かい、人目をひかないようになるべく短時間で取材をすませ、また車に乗り込んで戻ってくる、という具合なので、街を自由に歩き回ることなどまったくできないのだ。

今回はひとつのテーマを撮影しているので、なんとか最小限のものは撮れているものの、これが一般のニュース取材だったらあまりの自由のなさに気が狂っているところだ。

今年1月の選挙取材のときもこんな状態で、結局米軍との従軍取材ばかりになった。従軍していれば、戦闘に巻き込まれることはあっても、誘拐される心配はないからだ。そのときに、こんな状況がかわるまではしばらくイラクには戻れないな、と思ったものだ。

今のイラクには、伝えなくてはならないことは山ほどある。しかしそれを僕ら外国人報道者の手でおこなうことは非常に難しい。限られた取材しかできないからだ。

現場にでなくてはならないカメラマンにとっては状況はさらに厳しい。レポータなら人目につかないようインタビューなどおこなえるが、写真を撮るのはそんなわけにはいかない。悲しいかなこの地は、僕らにとっては欲求不満のたまる、精神衛生上非常によくない土地に成り下がってしまった。。。

戦争の甘い汁

2005-11-23 15:13:04 | 中東
昨日ドバイからの直行便でイラク南部バスラに降り立った。

2003年の米軍侵攻以来、これでイラクを訪れるのは4度目だが、バスラははじめてだ。

砂漠のなかにぽつりとある飛行場施設。イギリス軍の管轄するこの空港敷地内にある宿泊施設に滞在することになった。ここ1ヶ月ほどバスラ近辺の治安が急激に悪化し、人質事件が多発しているために、僕らのような外国人が市内に滞在できなくなったからだ。

この空港敷地内の宿泊施設はB&Bとよばれているが、これは一般に使われるベッド・アンド・ブレックファストの略ではなくて、バハー・アンド・バーダウィルというこの施設を経営する会社の頭文字からとったようだ。この会社は建築工事や警備を請け負う会社で、クウェートやドバイでも同様のビジネスを展開している。ハリバートンやベクテル社と同様、ここイラクでは戦争のおかげで巨額の利益をあげている会社のひとつだ。

こんな会社の経営する施設に泊まるのは本意ではないが、まだまだ人質になって首を切られる訳にはいかないので仕方がない。

この宿泊施設にきて、たまげたことがひとつあった。

今までの従軍経験から、だいたいどんなところに泊まるのかは予想できた。こういう施設ではだいたい輸送コンテナのような箱型のプレハブのなかに2部屋つくられているが、ここのコンテナ部屋は兵士用ではなく、警備関係や各種エンジニアなどの一般人のコントラクター用なので設備が整っている。兵士用であればトイレやシャワーは別棟だが、ここではそれぞれの部屋に設置されているし、おまけにインターネットの回線までひかれてあるので便利この上ない。

しかし。。。だ。この観光地でもなんでもない砂漠のなかの防壁に囲まれたこのコンテナ部屋が、一泊なんと150ドルもするのだ!!

ナイジェリアやドバイで泊まっていた街中の快適なホテルでさえ、そんな値段はとられない。(先週のドバイではホテル代急騰のために数日間やむなく150ドル払ったが、その後少し安い宿をみつけた)アメリカ国内だって、ホテル代で150ドル以上払うことなど滅多にない。いくら設備が整っているとしても、ここならまともに考えても一泊50ドル程度で十分採算はとれるはずだ。

こんな所に宿泊するのはみなコントラクター達で、会社の経費だから宿泊費なんぞ気にかけない。そういう僕も状況は同じなのだが、今回の石油プロジェクトでは数カ国をまわっているのでいろんなことで出費がかさむ。新聞社からも経費は極力抑えろと釘を刺されているし、財政状態はかなり厳しい状態なのだ。ドライバーや通訳などの値段はあまり値切れないので、せめて宿泊費はなるべく安く押さえたいを思っている。だからこんなところでの一泊150ドルはかなりの痛手だ。

まあ僕の事情はおいておくとして、とにかくこの値段を聞いたときにはさすがに胸がむかむかした。

この戦争でイラクの市民や米兵たちが毎日のように命を落としているというその影で、何億ドルという巨額の甘い汁をむさぼるこういう企業が多数存在しているのだ。

一泊150ドルなど、まだ些細なことにすぎないのだろう。それでもはやいところ仕事を終わらせて、こんな施設からはとっととおさらばしたいものだ、と思う。



何もしなくていい時間

2005-11-22 04:41:32 | 中東
ドバイ最後の夜、なんだか中華料理が食べたくなって、ホテルから通りにでた。

以前もいったことのあるその店までは、キング・ファイサ・ロードという大通りを歩いて10分とかからない。この通りにはやたら家具屋が多く、次から次へとベッドやソファー、箪笥などを売る店が並んでいる。

店の前には決まったように椅子やソファーが置かれ、そこに腰掛けた男達が何をするわけでもなく、ただ通りを眺めている。それぞれの店先がみなそういう具合なので、歩道にはそんな男達の姿がずらりと並んだようになって、見慣れていないとちょっと異様な感じを受けるほどだ。

「なにか楽しいんだろうか?」

そんな男達の前を横切りながら、ふと思った。

彼らは、ただ腰掛けて通りを眺めているだけだ。食事をしたりチェスをしたりするわけでもない。ときおり仲間と言葉を交わす以外は、まったく何もせずにぼんやりしている。

しなくてはならないことや、特にすることもないのだろう。夜になるとこうして数時間をすごし、そして寝床にはいる。。。おそらくそんな日常の繰り返しなのだと思う。

「時間を無駄にしているなあ。。。」

特に楽しそうにも見えない彼らの姿をみながら、僕は一瞬こう思った。
しかし、その直後に、そんな感情を否定するかのように、自分の暮らしのことや、せわしく働く日本人のことが頭をよぎった。

大の男達がなにもせずにぼけっとしているようなこんな風景は、さすがに日本ではなかなかお目にかかれない。
しかし、彼らが本当に時間を無駄にしているなどということができるだろうか。

あくせく働き、自分を顧みる時間さえ奪われてしまった人間達に比べ、実は彼らのほうがゆったりと贅沢な時間を過ごしている。。。そんな風にも考えられなくはないではないか。

「何もしなくていい時間」。。。僕らが忘れてしまったようなそんな時間の過ごし方に、なんだか魅力さえも感じられてきた。




アラブ社会の経済格差

2005-11-21 16:30:10 | 中東
ここ数日、ブログにアップするほど特別なこともせずに過ごしてきた。

マーケットでシャツを買ったり、故障した衛星電話を修理にだしたりと、雑用をしながらほとんど写真も撮らずにだらだらしているうちに不覚にも時間が過ぎてしまったようだ。

イラクのビザは土曜日に発給されたのだが、フライトの関係で結局火曜日まで出発できなくなって、この余分な日々をドバイで過ごさなくてはならなくなった。前にも書いたように、この時期ドバイ周辺のホテル代が普段の2、3倍に跳ね上がっているので、予想以上の長い滞在で出費がかさんでいくのが痛い。

全て満室のドバイに宿がとれなかった僕らは、15キロ程東にあるシャージャという街に滞在しているが、ここの住民のほとんどは労働者階級のインド人、パキスタン人、スリランカ人などで占められている。知っている人も多いかと思うが、アラブ産油国の多くで実際に労働者として働いているのはアジアからの移民達だ。

ネイティブのアラブ人達は石油利権の恩恵を預かっているので、ほとんど「労働」に携わる必要はない。(ちなみに、ここで「ネイティブ」を意味するのはサウジならサウジ生まれのサウジアラビア人、クエートならクエート人、そしてここアラブ首長国連邦なら、この国で生まれたアラブ人のことだ。パレスチナなど、外から移民してきたアラブ人たちは、ネイティプほど裕福ではない)

タクシードライバーはパキスタン人、ホテルのメイドはスリランカ人、デパートの店の売り子にはフィリピン人が多い、といった具合に職種による毛色の違いはあるものの、そういう類いの仕事はみなアジア人達に委ねられている。ネイティブのアラブ人達がそういう職につくことはまずない。

そんな社会構造のなかで、人種による圧倒的な階級差ができあがっているようだ。

最低でも一泊1000ドル以上する7つ星ホテルのバージュ・アル・アラブで優雅にホリデーを過ごすアラブの家族がある反面、ここシャージャの建設現場で働くインド人達の月給は200ドル足らず。。。

アフリカや東南アジアなど、他地域でみられるスラムのような極端な貧困をみることがないだけましだともいえるが(これもアラブ諸国の特徴のひとつだ)、この国の経済格差を目のあたりにするにつけ、資本主義世界の縮図を見る思いがする。

人間みな平等、なんてまったく嘘だよな、と思う。

どんな国や家族のもとで生まれるかによって、そこにはすでに絶望的なまでの経済的格差が生じているのだから。

明朝、イラクの南部バスラに向けて出発する。


ドバイより

2005-11-17 16:37:39 | 中東
昨日の早朝レッドアイのフライトでドバイに到着。

今年6月にアフガニスタンに行く途中で経由したときには、比較的安い値段でいいホテルに泊まれたのだが、今回はちょっと訳が違うようだ。値段やランクに関わらず、ドバイ市内にまったく宿がとれない。

週末に行われるエア・ショー(航空ショー)のために、今週は観光客で街中が一杯らしいのだ。

ホテルの方もそれをいいことに、部屋代を普段の4倍くらいにつり上げている。前回100ドルくらいだったところが、今週はなんと400ドル以上の宿泊費をとっている。

やむを得なく僕らはしないから15キロ程はなれたシャージャという街に宿を取った。部屋は清潔で問題ないが、インターネットの設備が乏しい。それでも一泊150ドルだ。仕方がないので持ってきた衛星モデムをつかってインターネットに接続している。宿泊に関してはアメリカより遥かに高い。

おまけにここからはドバイ市内までの渋滞がひどく、日中は行きも帰りも片道1時間以上もかかるので、これには閉口した。サウジとイラクのビザを待ちながら、イラク取材のために必要な人物たちとミーティングをしているだけなので、そんなに急ぐ必要もないのだけれど。。。

ドバイは、クエート・シティー同様(サウジも同じだと思うが、僕はいったことがない)、オイルマネーの恩恵にあずかる非常にリッチな都市だ。市内は、日本を含め世界中からやってくるビジネスマン達と、バケーションを楽しむ金持ち達で賑わっている。

次から次へと建設される高層ビルがその背の高さを競うように建ち並び、きらびやかな夜のネオンとともに、この国の金銭的な豊かさを象徴しているかのようだ。

治安もすこぶる良く過ごしやすいのだけれど、何となく落ち着かない。

全てが人工的で、正直言ってあまり人間臭くない場所なのだ。地元の人々で混雑する市場などにいっても、アフリカのそれと比べるとはるかに整然としているし、「混沌」を感じることもない。

こういう都市は、取材の合間の休息にはうってつけだが、だいたい3日もいると退屈になってきて居心地も悪くなるものだ。

まあ、ホテル代も高いので、長期滞在なんぞできた身分でもないのだが。。。。

ビザ発給の目星もついたので、今週末、遅くても来週あたまには出発できると思う。


リベリア・ウエブサイト

2005-11-15 16:48:05 | リベリア
リベリアの特集ページがようやくシカゴ・トリビューンのサイトにアップされた。

2003年の内戦中に出会った少年少女たちのその後2年の生活を追った記録だ。

実際の紙面の方はもともと10ページの特集記事になるはずだったのが、予算の都合で4ページにカットされてしまい苦汁を飲んだ。新聞社という「企業」で働いていると、いろいろと思い通りにならないことは多い。

このウェブサイトが多くの人の目に触れ、ささやかでもリベリアの子供達の助けにつながれば、と願う。

http://www.chicagotribune.com/liberia

今日の午後アフリカを発ち、中東に向かう。石油問題プロジェクトの続きで、この先数週間、イラクとサウジアラビアを取材する予定だ。

ナリウッド

2005-11-14 17:27:20 | アフリカ
「ナリウッド」、なるものがある。

ハリウッド映画にちなんだインド映画の「ボリウッド」(ボンベイの「ボ」からとっている)同様、ナイジェリアでつくられる映画を「ナリウッド」映画とよぶらしい。

しかしその内容は、撮影技術、脚本などとてもハリウッド映画と比べられるような代物ではなく、ほとんどはテレビドラマに毛の生えたようなB級、いやC級映画だといっていい。

それでもこのナリウッド映画、娯楽の少ない庶民達にとって手軽に楽しめることから莫大な人気を誇っており、ナイジェリア国内のみならず、アフリカ大陸中(といっても主に英語圏)に広がっている。

製作ペースも異常な早さで進む。平均して2-3週間、早ければ1週間で一本の映画を撮影するという。大手から小規模なものまで制作会社も数知れず、毎週月曜日には街のショップには新作のDVDがずらりと並ぶことになる。

ラゴスの街中にあるイドゥモタ市場。食料品に雑貨や工具、ここにくれば生活に必要なものは何でも揃うと思われる巨大市場だが、ここにDVD小売り店のひしめく一角がある。それぞれの店に山のように積まれたDVDや、所狭しと貼付けられた映画のポスターが、ナリウッド人気を物語っているようだ。

このナリウッド映画、漁村の取材中にも何度か目にする機会があった。村の映画館(といっても掘建て小屋のなかにテレビが置いてあって、そこでDVDを上映するだけだが)や、訪れた家庭で大人から子供までみな夜になると映画を楽しんでいた。

ナリウッドの繁栄はナイジェリア経済にもおおいに貢献しているし、喜ばしいことだと思う。ひとつだけ気になったのが、映画の中にギャングものなどかなり暴力的なものが少なくなかったことだ。ドンパチものや殺人など、低級ハリウッド映画の影響がよくあらわれていて、こんなところにも、アメリカの暴力文化が浸透しているのだなあとすこし残念にも思った。

まあ所詮は娯楽映画のこと、そんな心配など単なる老婆心に過ぎないのだろうけど。。。



水道のない村

2005-11-12 00:23:38 | アフリカ
(写真)

ナイジェリアのデルタ地域。

イタック・アブシというこの漁村には、電気も水道もひかれていない。

村のほとんどの住人は、発電機を購入できるほど生活に余裕はないので、夜はランタンか蝋燭の光のみで過ごすことになる。

水についても、雨水と少しばかりの井戸水が生活用水の源だ。

炊事、洗濯、水浴びから飲料にいたるまで、ドラム缶に溜めた雨水をつかうことが多いが、地面の水溜まりから水を調達することも少なくない。
どんよりと濁ったその水は、どう見てもきれいだとは言いがたい。
しかし、こんな水をつかって料理もつくるのはもちろん、喉が渇けばみなそのままごくごくと飲んでしまう。
身体がなれてしまっているとはいえ、やはりこんな水を飲んでいれば病気になることもある。
この村では去年コレラと思われる病気で5人死んだという。

海を小舟で5分程わたった向こう岸には、エクソン・モービル(石油会社)のターミナルがある。夜になると、そこには煌々と明かりが灯り、まるで近代都市さながらの様相を呈する。

イタック・アブシの住人達が漁にでる海から石油を吸い上げ、石油会社は莫大な利益をあげている。

しかし、そこに長年住んでいる村の人々は何の恩恵ももたらされない。

イタック・アブシに、近い将来電気や水道がひかれる予定は、ない。





不漁の夕暮れ

2005-11-10 06:45:08 | アフリカ
ナイジェリアの取材がひとまず終わった。
次の取材先はアンゴラの予定であったのだが、海上石油設備を訪れるための許可が石油会社からまだおりていない。
このために予定を変更して、とりあえず中東にはいろうということでレポーターと計画を進めている。

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写真

ナイジェリア、デルタ地域。

2人の漁師の操る小舟にのって、大海原へと繰り出す。
1時間程沖へでた頃、少しずつ空が赤く染まってきた。
同じように沖へでてきた漁師の船が300メートル程先にみえた。
漁師は船首に立ち上がり、魚の姿に眼を凝らす。

「天気が良くない。。。」
僕をのせた漁師のジェリーは、様子を探りながら3時間程海上を漂ったあと、結局その日漁をあきらめた。
何度か網を仕掛けてテストしてみたが、ほとんど魚もかからないし、僕にはよくわからないが、どうも天候が良くないようだ。

船のモーターにかかったガソリン代およそ1000ナイラ(約700円)が赤字になった。

こういう日も珍しくはないという。 




ラゴスにて思う

2005-11-07 06:56:19 | アフリカ
村の取材を終えて、昨夜喧騒の街、ラゴスに戻ってきた。

といっても、僕らの宿泊しているゲストハウスはメインストリートからは奥まったところにあるので、都会の騒音からはすっかり切り離されている。僕はどちらかといえば賑やかなところが好みなので、逆に静かすぎて逆に落ち着かないほどでもある。

今日は、いままで時間がとれずにできなかった写真の整理にほとんど一日を費やした。

窓から賑やかな通りが見えるような部屋に滞在していたら、ついふらふらと表にでていきたくなっていただろうから、静かな環境にいてかえって良かったのかも知れない。食あたりになってから服用している抗生物質のために、まだビールも飲めないし、結局夜もホテルのレストランで簡単に済ませることにした。

いつものことながら、写真の整理をしていると、一枚一枚それを撮ったときのことが思い出される。

初めて漁師と夜間の漁に出かけ、船酔いでへろへろになったこと。乗っていた小舟の船底が水漏れしていて、カメラ片手に水かきを手伝ったこと。英語は喋れないが、ひょうきんに僕らを笑わせてくれた村の長老。そして大きくきらきらと輝く瞳をもった村の子供達。。。。

今回は色々な「初めて」の経験もさせてもらい、随分長いことこの国にいたような気もするが、実際には入国してから2週間も経っていない。

それにしても今回の取材はあまりにも駆け足で、ひとつの土地にとどまれたのがせいぜい3日。なんとか打ち解けてきた頃にはもうさよならといった具合で、とてもじっくり腰を据えて撮るということはできなかった。このプロジェクトのためにこれから訪れなくてはならない多くの国々と、限られたスケジュールのことを考えれば、これも仕方のないことなのだけれど。

僕の場合、滞在する国に関係なく、その土地の印象を決定するのはそこで関わりを持った人々との出会いだ。その関わりが長く、濃厚になればなるほど、との土地に対しての入れ込みも深くなるし、いざ別れの時にはつらくもなる。

そういう意味では、滞在も残り2日となったこのナイジェリアとの別れは、それほどつらいものにはならないだろう。

ただ、この国が、ぜひともまた戻ってきたい魅力に溢れる土地であるということを確かめるには十分であったとは思うけれど。。。


ようやく復活

2005-11-04 18:08:26 | アフリカ
丸一日無駄にしてしまった。

昨日は結局下痢がおさまらず、体力をすっかり消耗してしまったので、村までたどり着けずにやむなく近くの町で休むことに。

午後2時頃ホテルにチェックインして、そのあとは薬をのんでただひたすら横になって眠った。

朝になって大分気分も良くなり、身体に力もはいるようになったので、バナナとパパイヤ、それからオムレツを食べる。昨日は食べ物のにおいをかいだだけで吐き気を催すほどで、水以外何も口にできなかったから、だいぶ回復したようだ。

午後から再び村へ向かう。




ダニと食あたり

2005-11-03 17:47:22 | アフリカ
体中が痒い。。。ダニだかなにか知らないが、ベッドに潜む虫にしこたま食われたようだ。

また別の漁村で3日間を過ごしたあと、ポート・ハーコットに戻ってきた。今回訪れたのはブラスという土地だが、規模もかなり大きく、村というよりは町といった方がいいかも知れない。ゲストハウスも点在しており、僕らもそのひとつに宿泊しながら、一漁師の家族を取材した。

宿はいうまでもなく、設備などはほとんどない。かろうじて一日の半分くらい電気がとおるものの、水道はないのでバケツに溜めた雨水で身体を洗う。ベッドに敷かれたシーツもあまり洗濯することなどないのだろう、朝起きると背中や腕、足まで虫に刺されており(食われた?)、いまだに痒くて閉口している。

ブラスは、先週訪れたイタックアブシに比べると石油会社と住民の間の摩擦が顕在化しているようで、付近にターミナルをもつシェル石油に雇われた警備の船や警察の船がしきりに河を行き来していた。漁師に同行して漁にでかけたときも、警備船が近くをとおる度にカメラを隠さねばならなかった。付近を撮影しているところを見つかれば、拘束されないからだ。

この地域一帯では、石油会社による利益の搾取に業を煮やした地元の住民達が武力蜂起したり、訪れるジャーナリスト達によっても搾取の実態が報道されているので、石油会社はジャーナリストの訪問や写真撮影などには非常に過敏になっているのだ。

僕らは、小舟に乗って伝統的な仕掛け網漁をおこなう夫婦と彼らの子供5人の生活を取材してきた。

「スナップ・ミー、スナップミー(僕の写真とってよ)」
家族を訪れた当日、子供達に取り囲まれた。肌の色の違う外国人をみるとちょっとシャイになる子供達が多いなか、彼らはしつこい程に僕にまとわりついてくる。カメラを向けてシャッターを押し、スクリーンに映るデジタル画像をみせると大喜び。

どこの国を訪れても、無邪気な子供達と過ごす時間は心を和ませてくれる。

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疲れていたのか、昨夜はブログを書きながら相当眠くなってしまったので、そのままベッドにはいってしまった。

午前4時近く、吐き気と腹痛で眼がさめた。

そのあとはもう10分おきにトイレに駆け込む始末。。。ほとんど眠れなかった。食べ物には気をつけていたのだけれど、何が悪かったのだろう?昨夜飲んだラム酒の中に入っていた氷だろうか?ウェイターに、「この氷は大丈夫?」と確認したのだけれど、考えてみれば、こんなところでわざわざボトルウォーターから氷をつくるわけないよなあ。

あと2時間弱で、また漁村に向けて出発予定。これがナイジェリアでの最後の取材になるのだが、まだお腹がゴロゴロいっている。。。