Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

報道カメラマンとしての葛藤

2009-03-28 12:48:14 | 中南米
数日前、メキシコから一旦シカゴに戻ってきた。

一旦、というのは、まだこの取材が終わっていないからだ。医師の宣告からすでに2週間以上、周りの予想を覆し、日に日に容態を悪化させ、苦しみながらもマリアは頑張って生き続けている。

彼女の最後を看取るためにメキシコに戻ったのだが、いつになるかわからない日のためにこれ以上滞在を延ばすことができなくなったのだ。

今回のマリアの取材は、報道カメラマンとしての葛藤が絶大で、精神的にはなかなかきついものがある。以前にもイラクでの経験をもとに同じようなことを書いたが、まさに「他人の不幸で飯を食う」というこの職業の極端な例だろう。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/f2b54325e6ac11466e86791f0b66fe1a

マリアと彼女の家族とは、2週間近くも生活を共にしてすっかり気心の知れた仲になった。もともとみな人が良く、言葉がまともに通じなくてももうそれほど不自由を感じないし、家族の一員とまではいかなくとも、彼らと気兼ねのない関係を築くことができた。

しかし、そんなマリアと家族たちと過ごす日常を楽しみ、彼らに感謝する一方で 、報道カメラマンとしてのもう一人の「悪魔的な」自分は、常に背後につきまとってくる。

それは僕が、マリアの死を「待ち望んでいる」存在でもあるからだ。

単なる一個人としては、勿論彼女に生き続けてもらいたいし、家族、特に子供たちの悲しむ姿などみたくはない。しかし、冷血漢といわれようが、彼女の取材を続けてきた報道カメラマンとして、マリアの葬儀を撮らなくてはこのストーリが完結しないことはわかっているし、もともとそれが目的で僕は再びメキシコに飛んだのだ。

この仕事をしていると、こんな矛盾や葛藤は特にめずらしいことではない。しかし、今回はあまりに被写体との距離が極端に近くなりすぎて、自分自身のなかでこれを消化するのが難しくなってしまったような気がする。マリアが苦痛にもだえる姿にカメラを向けられなかった事が何度もあった。

それでも、僕の都合や葛藤などとは関係なしに、来るべき時(恐らくこの先数週間のうちになるだろう)にマリアはその生を終え、僕はまたメキシコに戻ることになる。そのとき、僕はどういう思いを胸に、残った家族や子供たちにレンズを向ける事になるのだろうか。。。



不思議な経験

2009-03-13 01:18:52 | 中南米
マリアの命があと2、3日かも知れないという彼女の弟からの電話をうけて、慌てて先週金曜の夜にメキシコに戻ってきたが、 彼女は体調の善し悪しを繰り返しながらもなんとか持ち直している。

メールのチェックと、写真の編集および電送をしなくてはならなかったので、昨夜都市部に戻ってきた。彼女の家の庭に置かれたベッドで、毎晩襲ってくる蚊と格闘しながらろくに眠れない6日間を過ごしたので、ちょっとした息抜きもしようと思っている。数日間ここで過ごしてから、また来週マリアの村へ戻る予定だ。昨夜は久しぶりにお湯のシャワーを浴びられたのも助かった。

数日前に、実に興味深い体験をした。

マリアのために、地元の教会のメンバーたちが彼女の家を訪れた。ベッドサイドで歌を唱い、聖書を読んで一通りの礼拝をおこなうと、司祭がマリアの額に手を置き、他のメンバーたちもみな彼女に向かって手をかざしながら、熱心に祈りはじめた。

マリアは眼をつぶり、しばらくの間じっとそれを受け止めていたが、突然身体が拒絶反応をしめしたように、司祭の手を激しく振り払い身悶えだした。そんなマリアの反応にも関わらず、司祭たちが強い調子で祈りを続けると、次第に身体から力が抜けて彼女はぐったりとなり、まるで眠っているかのように静かになった。

祈りが終わると、なんとマリアはまるで憑き物がとれたかのようにすっきりとした顔になり、元気を取り戻したのだ。

その日は一日中彼女の体調は悪く、寝たきりだったにも関わらず、祈りが終わってからのマリアは笑顔でペラペラとよく喋るまでに元気になった。

余命を数日と宣告された末期のがん患者だ。数分の祈りをうけただけでそう簡単に体調が良くなるとは信じ難かったが、それでも目の前で見せられた現実は否定しようがない。僕はなんともいいようのない驚きにつつまれてしまった。

「私にもどうしてかわからないんだけど、祈りを受けた後に急に元気になったのよ。。。」

翌日マリアにそのときの感じを尋ねたのだが、彼女自身にも説明がつかないようだった。

彼女のがんが完治したとかいう奇跡がおこったわけではないが、それでもそれは驚愕に値する光景だったし、まだまだ医学や科学では説明できないこともあるものだとあらためて思い知らされた一夜だった。


再びメキシコへ

2009-03-06 13:30:39 | 中南米
マリアの容態が悪化したと、数時間前にマリアの弟から連絡がはいった。

地元の医者の話では、あと2、3日しか持たないかも知れないということだ。

そんなわけで明朝再び明日メキシコへ発つことになり、慌ただしく荷物をまとめている。

また持ち直してくれるといいのだが。。。

ある違法移民の悲しい話(2)

2009-03-02 12:05:38 | 中南米
メキシコ滞在を終えて昨日シカゴに戻ってきた。

長かったようにも短かったようにも思える一週間だったが、これほど自らが被写体に深入りした取材は初めてだった。

ひょっとしてマリアの命もこれまでなのか?と思えるような場面も幾度かあったが、その度に彼女は持ち直してきた。そんな状況では僕も単なる傍観者でいられるわけもなく、片言のスペイン語で四苦八苦しながらも看病の手伝いなどしていたが、おかげでマリアの家族とも親密な関係を築くことができた。

言葉もろくに通じない異邦人を、彼らはまるで家族のようにあたたかく迎え入れてくれた。

マリアの子供たちもとても気だての優しい子たちで、特に8歳の長男であるロドリゴはベッドの脇でいつも母親の手を握り微笑んでいた。そんな光景をみるたびに複雑な思いを抱かずにいられなかったが、子供たちと話しているマリアは心底幸せそうだった。

早期治療がおこなわれていればマリアの子宮がんは十分に治癒が可能だったはずだ。アメリカのヘルスケア制度の歪みのために、失われずにすんだはずの命が消えようとしている。

世話をしてくれる叔母や身内がいるのが唯一の救いだが、3人の子供たちが永遠に母親を失うという事実に変わりはない。

マリアと彼女の家族と過ごした時間をまだ消化しきれずに、いろいろな思いが頭をよぎっている。

次に彼らと会うことになるのは、残念ながら彼女の葬儀になるかも知れない。