Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

南アフリカ - 思い出の土地

2010-10-26 09:13:33 | アフリカ
先日、岩崎龍一氏の執筆した「ワールドカップで見た南アフリカ体験記」という本の一部に写真と文を寄稿する機会があった。(  HTTP://WWW.POPLAR.CO.JP/SHOP/SHOSAI.PHP?SHOSEKICODE=40470050 )とはいっても、僕はスポーツの撮影をすることなど皆無に近いので、内容はワールドカップについてではない。90年代から2000年代にかけて、この国の大転換機を取材したときの経験を書くよう頼まれたのだ。

南アフリカという国には、特別な思い入れがある。

大学時代に、故・伊藤正孝氏のルポタージュを読んで以来、南アのアパルトヘイト(人種隔離政策)に強く関心をもった僕は、ボストンの写真学校を卒業した1992年に念願叶ってこの地を踏むことになった。

このときには既にアパルトヘイトは法的には廃止されていたが、3ヶ月の滞在中、忘れ難い多くの経験をすることができた。今でも付き合いを続けている友人たちと出会い、また2度も強盗にあうという経験もした。黒人タウンシップでの虐げられた日常生活や生活改善を求めるデモを撮り、黒人対白人のみならず、黒人同士の政治的抗争にもカメラを向けた。南アは、僕がその後報道写真家としてやっていくために必要な多くのことを学ばせてくれたのだ。以来、僕はこの国を頻繁に訪れるようになり、史上初の全人種混合選挙やネルソン・マンデラの大統領就任式、エイズ問題を含めたその後の新政権の葛藤などを取材してきた。

本のための原稿を書きながら、いろいろな想い出が蘇り、幾度も懐かしい思いにかられた。

最後に僕が南アを訪れてからすでに4年が経とうとしている。インドに居を移してから、ここ新天地でのプロジェクトやアサインメントで多忙な日々を送っているが、近い将来また南アを訪れる機会があればな、と願う。フォトグラファーとしての僕を育ててくれた、あの忘れ難き土地に。。。

(もっと写真を見る:http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/10/26/south-africa-the-land-of-memories/ )

闘う仏教

2010-10-19 23:44:00 | アジア
1956年10月14日。この日は反カースト運動の指導者、アンベードカル博士が仏教に改宗した日だ。インド憲法の草案作成者でもある彼は、カースト制により虐げられた下層貧民たちの人権復権のため、彼の支持者38万人と共にインド中部のナグプールで改宗した。毎年この週には、この集団改宗を記念し、何十万もの仏教徒たちがこの地に集まる。

改宗記念行事の撮影のため、先週ナグプールを訪れた。とはいえ、当初は行くつもりではなかったのだが、イタリア人ビデオグラファーである友人のディーノに誘われたのがきっかけだった。

正直なところ、行事自体は思っていた程華やかなものではなかった。訪れる人々は、アンベードカル博士の亡骸の安置されているディキシャブーミ仏塔にお参りし、あとは特に何をするわけでもない。ヒンドゥー教のお祭りのように、歌や踊りがあるわけでもないので、動きのあるドラマティックな写真などほとんど撮れない。

結局満足のいくような写真は撮れなかったのだが、それは別にしてこの行事の取材からいくつかのことを学べたことは儲けものだった。

恥ずかしながらこれまでアンベードカル博士のことはほとんど知らなかったのだが、彼のことやインド仏教の歴史について幾ばくかでも認識が深めることができた。博士の銅像は町の多くの場所に建てられ、行事の最終日には30万人を超す人々が改宗広場に集まった。改宗から50年以上経つ今でも、彼の人気は絶大だ。

もう一つの収穫は、佐々井秀嶺師に会えたことだ。

彼は1967年にインドに渡って以来、アンベードカル博士の意志を継ぎ、インドの下層貧民たちの救済、仏教への改宗に尽力してきた僧侶。ブッダガヤーの大菩薩寺の管理権をヒンドゥー教徒から仏教徒の手に奪還するために闘争も続けており、インド仏教界ではすでに第一人者となっている。

20分程の短い間であったが、勝手に押し掛けた僕に嫌な顔をするわけでもなく、快く話しをしてくださった。「急速な経済成長を遂げるインドだが、下層貧民たちがその恩恵にあずかることはない。彼らが人として人間らしく生きられるための『人間の解放』がわたしの目標」という佐々井師の言葉は、まさに「闘う仏教」を実践する彼の口から出るからこそ強い説得力をもっている。彼との出会いは、僕にとってはこの先少なからず意味をもつものになるだろう。

僕らはフォトグラファーとして、当然のことながら撮影が目的で現場にでかける。しかし写真そのものより、予期せずに出会った人々や付随的な事象から学んだり、心を動かされることが時々ある。

今回はそんな取材のひとつだった。

(佐々井師については数日前にご自身による著書が発売されたので、興味のある方は読まれることをお勧めする。「必生 闘う仏教」集英社新書

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取り残された漁師たち

2010-10-10 16:19:21 | アジア
先週のスリランカ滞在中、半日程フリーの時間があったので、首都コロンボの北40キロほどのところにあるネゴンボの魚浜を訪れた。

激しいにわか雨と青空が交互に混ざる空の下、ちょうど早朝の漁から戻ってきた漁師たちは、捕らえた魚を網からはずす作業で忙しくしている。浜に隣接する市場は人でごった返していたが、さすが捕りたてで新鮮な魚ばかりを扱っているせいで、その空気は全然生臭くない。

昨年5月、タミル人の分離・独立を求めて戦っていたタミル・タイガーを政府軍が制圧し、25年以上つづいた内戦が終結した。平和が戻ったことで、政府は経済復興に力を注ぐことが可能になり、その成果も出始めている。島国であるこの国の重要な産業でもある漁業もその復興例に漏れないが、必ずしもすべての漁師たちの生活が順調にいっているというわけではない。

市場で出会った漁師の一人は、政府の援助のほとんどは大会社にいってしまって、ここにいるような個人の小規模な漁師にはほとんどまわってこない、とこぼしていた。

「昨日も一昨日も漁にでられなかった。。。」別の浜で会ったレスリーという名の漁師は、小さな帆船しか持っていないので、荒波のためにここ数日沖にでることができない、と嘆く。あまりに切羽詰まっているようで、小銭を恵んでくれ、と懇願してきた。相当腹をすかしているようだった。

ニューヨーク・タイムズ紙が今年、31の観光地中スリランカをトップに挙げたように、観光をはじめこの国の産業はこれから大きく飛躍する可能性を秘めている。

レスリーのような一介の漁師たちにも、近い将来その恩恵がもたらされることを願うばかりだ。

(もっと写真をみる:http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/10/10/left-behind/ )




聖地を巡る争い

2010-10-02 02:50:13 | アジア
60年という長い間、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒とのあいだでその法的所有権を争われていたウッタル・プラデーッシュ、アヨディアの聖地。

両者から待ち望まれていたこの所有権に対する判決が、昨日高等裁判所によって下された。

1992年、歴史上もともとヒンドゥー寺院があったと主張するヒンドゥー至上主義者たちが、当地にあったイスラムのバブリ・モスクを破壊したのを発端に、インド各地で抗争が勃発。数千人の死者をだした。そんな経緯もあったため、今回も判決後の抗争再燃が懸念されており、アヨディアをはじめ、デリーやムンバイなどインド全域が警戒体勢に入っていた。

さて、肝心の判決は、聖地の3分の2をヒンドゥーが、残りをムスリムが管轄すべし、というもの。

両サイドの弁護団や至上主義者たちは、この判決は「中途半端」だと不満を表し、最高裁への控訴の意向を示しているが、大方の国民は「まあ妥当な判断」と考えているようだ。

しかし判決がでるまでにはすでに長い年月が経っているし、実際のところ多くの国民、特に若者たちにとってはそれほど大きな関心ごとでもない、というのが本音ではないだろうか。

「騒いでいるのは政治家たちとメディアばかりだ」

現地で知り合ったカメラマンの一人がこんなことを言っていたが、なかなか的をついていた見方だと思う。

やはり国民の多くは大して気にかけてはいなかったか、それともこの「中途半端」な判決が功を奏したか、はたまたインド国民たちの社会的成熟度が高まったてきたのか、いずれにせよ判決後に憂慮されていた暴動もいまのところおこる様子もなく、僕は少々肩すかしを食らった感じでこの聖地を後にしたのだった。

(写真:判決のニュースをみるヒンドゥー教のサドゥーたち)
(もっと写真をみる:http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/10/01/disputed-holy-site/ )
(このトピックの記事とスライドショーがニューヨークタイムスに掲載されました。http://www.nytimes.com/2010/10/01/world/asia/01india.html?_r=1 )