Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

終わりなき自爆テロの悲劇

2011-08-21 21:34:52 | アジア
ここ1週間のうちに、2度大きな自爆テロがあった。

ひとつめはここから50キロほど北のパルワン州知事の事務所が、そして一昨日はカブールのブリティッシュ・カウンシルが標的になったが、両事件とも5、6人のテロリストがチームになっての複数の自爆攻撃で、パルワン州では20人、カブールでは10人が犠牲になった。

吹き飛んだ手足が転がり、地面に血の染み渡ったテロの現場は凄惨なものだ。ブリティッシュ・カウンシルでは、ゲートを突破した犯人の一人がその後数時間に渡って建物内に立てこもり、兵士たちとのあいだで激しい撃ち合いが続けられた。多量の出血で息も絶えだえになっているような怪我人たちが運び出されて来るたびに、僕はその姿に非情なレンズを向けざるを得なくなる。

こんなテロの現場の撮影をするたびに、どうにもやり場の無い怒りを感じてしまう。それは、自爆テロリストたちを「製造」する裏の人間たちに対するものだ。

多くの自爆テロリストたちは、もともと教育も受けることのできない貧困層の人間たちだ。無教養の彼らは簡単に洗脳され、「崇高な使命」を果たすテロリストへと仕立て上げられていく。

もし政府がもっと機能していて、彼らに仕事や教育の機会が与えられていたら?テロリストのリクルート率はぐっと低くなっているはずだろう。

これが、テロとの戦い、というものが、 単に「悪者を殺す」だけの単純なものではない理由のひとつでもある。社会の底辺に生活する多くの人々に、ある程度の仕事や教育の機会を与えられるような政策がとられない限り、テロリストは「製造」され続けていくのだ。

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/08/21/never-ending-tragedy-suicide-attack-in-afghanistan/ )

カシミール・3年ぶりの「平和な夏」

2011-08-13 16:54:43 | アジア
アフガニスタンにきて10日が経ち、今日ちょうど米軍との短期の従軍を終えるところだ。今回は新聞社のアサインメントで来ているので、ストーリーが完結するまではブログには写真が掲載できない。そんなわけで少し前に撮ったカシミールの首都スリナガールでの写真をいくつかアップしようと思う。

スリナガールでは、過去3年間連続でインド軍とカシミール分離勢力の間で激しい武力衝突が起こってきた。町は閉鎖状態となり、100人以上の市民が犠牲になった。

そんな暗黒のような3年間から抜け出したかの如く、今年は平和な状態が続いている。

目抜き通りの商店や露天商は客で賑わい、スリナガールの名物的な宿泊施設とも言えるハウスボートは観光客でいっぱいだ。今年の夏、町は活気に溢れている。

しかし、インド政府と分離主義勢力とのあいだの問題は根本的には何も解決したわけではなく、残念ながら、この平和がいつまで続くかは疑問の残るところだ。それでも、人々は久しぶりの「平和な夏」を十分に満喫しているようだった。

カシミールは美しい土地だ。僕もここを訪れる度に澄んだ空気と壮大な山々の景色を満喫し、ここで出会った心暖かい人々たちは思い出に残り続けている。

カシミールに本当の平和が訪れるまでにはまだ年月がかかるかも知れない。それでも、その日が一日も早く来ることを願わずにはいられない。

(もっと写真をみる:http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/08/13/violence-free-summer-in-kashmir/ )

リビア反体制派・「偉大なリーダー求む」

2011-08-01 13:17:38 | アフリカ
数日前、リビア反体制派のユニス参謀長の暗殺のニュースを目にした。

そのときの状況や犯行の動機などはまだはっきりとしないようだが、この暗殺によって反カダフィ体制派の内部分裂が起こることが懸念されている。2月に反体制派に寝返るまでカダフィー政権で閣僚を務めていたユニスは、それが理由で反体制派の一部指導者たちからの信頼を得られていなかったようだ。

この事件は、僕にあることを思い出させた。

5月のある晩、ベンガジで一人のリビア人の若者と国の将来について話をしていたときだった。彼はきっぱりとした口調でこう言ったのだ。

「民主主義とか選挙なんてものは信じてないよ。偉大な指導者さえいれば、俺はその傀儡でいい」

教育レベルも高くて(英語なんぞ僕よりうまかったし)、自由・進歩的な彼の口からでたそんな言葉にはさすがに驚いたが、なんとなくその気持ちはわかるような気がした。それでも、彼に全面的に合意するわけではない。やはり選挙というのも、彼の言う「偉大な指導者」を選ぶ手段の一つでもあり得ると思うからだ。しかし彼の意味することは、統治の実力とカリスマ性を備えていれば、独裁者でも王様でも軍指揮官でも偉大なリーダだ。選挙なんて必要ない、ということだった。

それ以上深くこのことについて話し合わなかったことが少々悔やまれるが、ユニス暗殺のニュースを聞いてこの晩のことを思い出し、リビアの次期リーダーについて少しばかり思いを巡らせることになった。

カダフィーが国のリーダーとしての座に返り咲くことはまず不可能だろう。しかし、暗殺をきっかけに反体制派の内部武力抗争が勃発するとしたら、彼らにとっては最悪の事態になる。反体制派の闘争が始まってからすでに5ヶ月。NATOを後ろ盾にしながらカダフィーを追い出すのにこれほど時間がかかっているのは、反体制派に偉大なリーダーが存在しないという理由も大きいのだ。

しかし、いまは選挙でそのリーダーを選んでいる場合では勿論無いのだけれど。。。