Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
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危険に晒されるジャーナリスト達

2007-10-28 22:44:33 | アフリカ
先日アブディからまたメールが届いた。前回のブログに書いた、モガディシュのラジオ局ラジオ・シャベレで働き、たびたび街の近況を知らせてくれるのが彼だ。

このラジオ局のマネージャーが殺されたという。外出先から自宅に戻ったところを、複数の男達に撃たれたらしい。

今年に入って、ラジオ・シャベレのスタッフ達をはじめ、ソマリアのジャーナリスト達が極端な命の危険に晒されるようになった。彼らは臆せず政府批判などもおこなってきたため、暫定政権(以下単に「政府」と略)とイスラム抵抗勢力の衝突が顕著になるにつれて、政府軍から露骨に狙われるようになったのだ。

9月には政府軍兵士たちがラジオ・シャベレのスタジオを襲撃し、16人のスタッフが逮捕、拘禁された。銃撃で設備は破壊され、局は2週間以上閉鎖を余儀なくされた。

今回の暗殺を含めて、今年に入って8人のソマリア人ジャーナリストが殺された。外国からのメディアがソマリアに入ってこない今、現地からの報道はソマリア人ジャーナリスト達の肩にかかっている。彼らが報道を続けるために冒すリスクには相当なものがあるはずだ。

ジャーナリスト達の携帯に脅迫電話やメッセージが送らるのは日常茶飯事で、恐れをなしてモガディシュを離れていった者も少なくない。もともと40人ほどいたラジオ・シャベレのスタッフも、いまでは10人足らずになってしまったという。

「何とか助けてもらうことはできないだろうか。。。」

モガディシュで僕らが出会ったとき、アブディもできることなら国外へ逃げたいと切望していた。

外国から来たジャーナリストの同胞である僕らを頼ってのアブディの願いだったが、こればかりは彼の期待する答えを返すことができなかった。リベリアの子供達を学校に行かせるような、単純な援助で解決できる問題ではないのだ。

資金とコネのある人間はナイロビなどに脱出することは可能だが、そうではない一般のソマリア人が他国のビザを取得するのは困難だ。僕にも明確なことはわからないが、国をでるためには、全てを捨てて難民になるしかないのだろうか。

毎日命の危険に晒されながら生きていく。。。それも、単に流れ弾にあたるという類のものではなく、自分自身がターゲットとなり、狙われ続けるという恐怖にははかり知れないものがあるだろう。安全に帰る場所のある外国人の僕らには、とうてい理解することのできない心情だった。

しかしこんな状況下でも、残された彼らは局を運営し、放送をし続けている。

「逃げられるものなら逃げたいけど、せめてここにいるうちはジャーナリストとしての仕事を続けなければと思っているんだ」

アブディは静かな口調で、しかしはっきりとこう語った。

ジャーナリストとしてのこれほどの使命感を果たして僕は持っているだろうか?

彼の言葉は、僕の胸に鋭く突き刺さってきた。











見放された土地

2007-10-25 00:38:03 | アフリカ
ソマリアでの取材を終えて1週間以上が過ぎた。予定では続いてコンゴに行くことになっていたのだが、取材先が中東に変更になってしまい、いったんシカゴへ戻ることになった。

現在ソマリアでの日本語での記事をまとめているところだが、残念ながら首都のモガディシュに関して、イラクのバグダッド同様近い将来への希望がなにも見出せないでいる。

モガディシュで知り合った現地のラジオ局のレポーターが、数日ごとに街の近況をメールで知らせてくれるのだが、毎日のごとく市内で爆弾テロや銃撃戦がおこり、犠牲者が絶えることがない。ほとんどが暫定政府軍とそれを後押しして侵攻してきたエチオピア軍に対する攻撃だが、多くの市民達もその巻き添えをくっているようだ。

とりあえず今回は簡単にソマリアの現状を紹介しておきたいと思う。

イギリス、フランスそしてイタリアの保護領となった歴史をもつこの国は、1991年の内戦以来、暫定政権はあるものの事実上の無政府状態となっている。1993年には、内戦収拾のために国連軍として介入してきた米軍がこっぴどくやられて18人の米兵が犠牲になった。米兵の死体が市内を引きずり回され、映画「ブラックホーク・ダウン」でも有名になったこのときの様子を憶えている人は多いだろう。

伝統的にソマリア人は氏族(クラン)を中心とした社会を形成していたので、内戦が下火になってからもこの氏族が地域を分割統治するかたちで、時折勢力争いを繰り広げながらも、昨年までなんとかそれなりの秩序を保ってきた。いわば日本の戦国時代のようなものだ。

しかし、昨年6月にイスラム法廷会議(ICU)が、暫定政府軍を破り、モガディシュを含むソマリア南部を武力制圧した。16年ぶりに中央政権らしきものができあがったのだが、イスラム原理主義的な統治をおこなうこの政府はアメリカにとって脅威になった。タリバン政権のように、アルカイダと密接に結びつく可能性があったからだ。

そこでアメリカは、ソマリアの隣国で犬猿の中でもあるエチオピアをけしかけ、モガディシュに軍を侵攻させ暫定政府軍の後押しをさせて、イスラム法廷会議を追い払った。

敗走したあといったんは成りを潜めていたイスラム武装勢力だったが、ここ半年ほど攻勢に転じ、現在またモガディシュは泥沼の内戦状態になっているというわけだ。

イスラム武装勢力は、路上爆弾や自爆テロで暫定政府軍とエチオピア軍兵士を狙い、また政治家、市民を問わず親政府の人間の誘拐、暗殺をおこなっている。

これはイラクでの手口とまったく同じで、外国人なども誘拐、殺害の対象になるので、そのため現在外国からのジャーナリストがほとんどモガディシュにはいることもない。外国人のカメラマンとして取材したのも、恐らくここ半年ほどでは僕一人だけではないだろうか。

モガディシュは、いわば国際報道から見放された土地、とでもいえるのだ。











ソマリア取材を終えて

2007-10-17 22:48:34 | アフリカ
先日ソマリア取材を終えて、ナイロビに戻ってきた。

ソマリアでは首都のモガディシュと北部の港町ボサソを訪れたが、滞在中はやたら忙しく、かろうじてメールをチェックできるくらい。とてもブログの更新まで手がまわらなかった。

モガディシュでは予想していたとおり治安の問題で随分と行動が制限されたが、それでもバグダッドよりは撮れたと思う。

長年続く内戦でことごとく破壊された凄惨な街の景色は、僕にとっては初めて眼にするものだった。それはまるで遺跡群のようでもあり、不謹慎ながら美しいとさえ感じるほどであった。

ソマリアの政情は複雑で、これからしばらくも落ち着くことはなさそうだが、記憶と感覚が薄れないうちに記事を綴らなくてはと思っている。

とりあえずは報告まで。