先日アブディからまたメールが届いた。前回のブログに書いた、モガディシュのラジオ局ラジオ・シャベレで働き、たびたび街の近況を知らせてくれるのが彼だ。
このラジオ局のマネージャーが殺されたという。外出先から自宅に戻ったところを、複数の男達に撃たれたらしい。
今年に入って、ラジオ・シャベレのスタッフ達をはじめ、ソマリアのジャーナリスト達が極端な命の危険に晒されるようになった。彼らは臆せず政府批判などもおこなってきたため、暫定政権(以下単に「政府」と略)とイスラム抵抗勢力の衝突が顕著になるにつれて、政府軍から露骨に狙われるようになったのだ。
9月には政府軍兵士たちがラジオ・シャベレのスタジオを襲撃し、16人のスタッフが逮捕、拘禁された。銃撃で設備は破壊され、局は2週間以上閉鎖を余儀なくされた。
今回の暗殺を含めて、今年に入って8人のソマリア人ジャーナリストが殺された。外国からのメディアがソマリアに入ってこない今、現地からの報道はソマリア人ジャーナリスト達の肩にかかっている。彼らが報道を続けるために冒すリスクには相当なものがあるはずだ。
ジャーナリスト達の携帯に脅迫電話やメッセージが送らるのは日常茶飯事で、恐れをなしてモガディシュを離れていった者も少なくない。もともと40人ほどいたラジオ・シャベレのスタッフも、いまでは10人足らずになってしまったという。
「何とか助けてもらうことはできないだろうか。。。」
モガディシュで僕らが出会ったとき、アブディもできることなら国外へ逃げたいと切望していた。
外国から来たジャーナリストの同胞である僕らを頼ってのアブディの願いだったが、こればかりは彼の期待する答えを返すことができなかった。リベリアの子供達を学校に行かせるような、単純な援助で解決できる問題ではないのだ。
資金とコネのある人間はナイロビなどに脱出することは可能だが、そうではない一般のソマリア人が他国のビザを取得するのは困難だ。僕にも明確なことはわからないが、国をでるためには、全てを捨てて難民になるしかないのだろうか。
毎日命の危険に晒されながら生きていく。。。それも、単に流れ弾にあたるという類のものではなく、自分自身がターゲットとなり、狙われ続けるという恐怖にははかり知れないものがあるだろう。安全に帰る場所のある外国人の僕らには、とうてい理解することのできない心情だった。
しかしこんな状況下でも、残された彼らは局を運営し、放送をし続けている。
「逃げられるものなら逃げたいけど、せめてここにいるうちはジャーナリストとしての仕事を続けなければと思っているんだ」
アブディは静かな口調で、しかしはっきりとこう語った。
ジャーナリストとしてのこれほどの使命感を果たして僕は持っているだろうか?
彼の言葉は、僕の胸に鋭く突き刺さってきた。
このラジオ局のマネージャーが殺されたという。外出先から自宅に戻ったところを、複数の男達に撃たれたらしい。
今年に入って、ラジオ・シャベレのスタッフ達をはじめ、ソマリアのジャーナリスト達が極端な命の危険に晒されるようになった。彼らは臆せず政府批判などもおこなってきたため、暫定政権(以下単に「政府」と略)とイスラム抵抗勢力の衝突が顕著になるにつれて、政府軍から露骨に狙われるようになったのだ。
9月には政府軍兵士たちがラジオ・シャベレのスタジオを襲撃し、16人のスタッフが逮捕、拘禁された。銃撃で設備は破壊され、局は2週間以上閉鎖を余儀なくされた。
今回の暗殺を含めて、今年に入って8人のソマリア人ジャーナリストが殺された。外国からのメディアがソマリアに入ってこない今、現地からの報道はソマリア人ジャーナリスト達の肩にかかっている。彼らが報道を続けるために冒すリスクには相当なものがあるはずだ。
ジャーナリスト達の携帯に脅迫電話やメッセージが送らるのは日常茶飯事で、恐れをなしてモガディシュを離れていった者も少なくない。もともと40人ほどいたラジオ・シャベレのスタッフも、いまでは10人足らずになってしまったという。
「何とか助けてもらうことはできないだろうか。。。」
モガディシュで僕らが出会ったとき、アブディもできることなら国外へ逃げたいと切望していた。
外国から来たジャーナリストの同胞である僕らを頼ってのアブディの願いだったが、こればかりは彼の期待する答えを返すことができなかった。リベリアの子供達を学校に行かせるような、単純な援助で解決できる問題ではないのだ。
資金とコネのある人間はナイロビなどに脱出することは可能だが、そうではない一般のソマリア人が他国のビザを取得するのは困難だ。僕にも明確なことはわからないが、国をでるためには、全てを捨てて難民になるしかないのだろうか。
毎日命の危険に晒されながら生きていく。。。それも、単に流れ弾にあたるという類のものではなく、自分自身がターゲットとなり、狙われ続けるという恐怖にははかり知れないものがあるだろう。安全に帰る場所のある外国人の僕らには、とうてい理解することのできない心情だった。
しかしこんな状況下でも、残された彼らは局を運営し、放送をし続けている。
「逃げられるものなら逃げたいけど、せめてここにいるうちはジャーナリストとしての仕事を続けなければと思っているんだ」
アブディは静かな口調で、しかしはっきりとこう語った。
ジャーナリストとしてのこれほどの使命感を果たして僕は持っているだろうか?
彼の言葉は、僕の胸に鋭く突き刺さってきた。