Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

母親の無念

2009-05-06 11:11:51 | シカゴ
ガスがとめられてからかれこれ2週間近くがたった。弁護士を雇っていろいろ手を打ったが、早急な解決策はなし。つくづく行政などなんの助けにもなってくれない存在だということを身に染みて感じている。少しずつ気温が暖かくなってきたのが唯一の救いだが、それでも水道の水はまだまだ冷たい。「うおっー」などと叫び声ともつかない気合いの声をあげながら、冷水シャワーを浴びる毎日だ。

~~~~~~~~

昨日、また「母親の悲しみ」を撮った。

「また」と書いたのは、ちょうどひと月ほど前、マリアナの葬儀で、彼女の母親の悲嘆にくれる姿を撮ったばかりだったからだ。

先週末、15歳の少年が頭を撃たれ殺されたあと、その身体が焼かれるという事件が起こった。彼は前科もなく、ギャングのメンバーでもなかったという。しかし、学習障害のために昨年9月から学校に行かずホームスクールをしていたこの少年は、どういう訳か以前にもギャングから引っ越すように脅かされていたことがあったらしい。

事件の状況判断からギャングの仕業であると目星がつけられているが、いまだに犯人は捕まっていない。

昨日、彼の遺体が発見された路地で、追悼式がおこなわれた。

泣き崩れる母親にレンズを向けながら、僕の胸中にどうにもやりきれない思いがこみ上げてくる。

しかしそれは「悲しみ」の感情ではない。こういう極悪非道なことを平気でやってのける犯罪者に対する「怒り」と、自分には所詮なにもできない、という「無力感」だ。

シカゴでのギャング絡みの銃犯罪の数は尋常ではない。加害者、被害者を問わず、公立学校に通うティーンエイジャーたちを巻き込む犯罪の多くは、ギャングが関係しているといわれている。この少年は、そんな公立学校の生徒として、今年35人目の犠牲者になった。

それは、この日僕が撮ったような「子供を殺され悲嘆に暮れる」母親が、たった4ヶ月そこそこの間にこれだけ生み出された、ということでもある。

彼女たちの無念さは、とても僕などに計り知れるものではないだろう。





ジムからの電話

2009-04-04 12:48:12 | シカゴ
2日前、突然ジムから電話が入った。元ホームレスのあのジムだ。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/bf7f47483f1a2be041bba86a7958066d

自由の身になるまであと2ヶ月を切っていたのに、突然トランジショナルハウスを抜け出し(2度目!)、昨年12月に行方をくらました。娘や前妻のところにも戻った形跡もなく、電話も通じぬまま消息が掴めなかった。

薄々とは感じていたが、心配していたとおり彼はロックフォードに戻ってしまったようだ。

半ばあきれた僕の心中などおかまいなしに、受話器の向こうでは相変わらずひょうひょうとしたジムの声。

「いまはあたらしいガールフレンドとアパートに住んでるんだ。でもここもあと数週間で出なくてはならないかも知れない。。」

撮影中だった僕はろくに話ができなかったが、とりあえず彼は元気そうだった。しかし、ロックフォードに行ったとなれば、ほぼ間違いなく彼はまたコカイン浸けの生活に逆戻りだろう。

刑務所のリハビリプログラムで中毒を克服し、出所後長年会っていなかった娘たちと再会。心機一転まともになろうと頑張ってきたあの2年間は、すべて水の泡になったのか。。。

僕としては確かに落胆はしたが、それでもこれが現実なのだろうな、とも思う。長年のホームレス生活とドラッグ常用が染み付いた彼のような人間にとって、更生することは他人が考えるほど単純で簡単な事ではない、ということだ。

かかってきた電話番号もそれ以来不通になってしまい、ジムとはまた連絡がつかなくなってしまったが、まあそのうちまた会えるだろうとは思っている。なんだかこういう気持ちになるのは自分でも不思議だが、その時に彼の話をじっくり聞くのが楽しみな気さえしている。





続くリストラ

2009-02-13 14:05:01 | シカゴ
また今日、ニュースルーム(編集部)から20人ほどが解雇になった。

日本での俗にいう「首切り」がどういう形でおこなわれるのかは知らないが、アメリカの企業は実にドライだ。特にトリビューンのように組合のない会社の場合はさらにひどい。社員は当日に解雇を宣告され、その日に社を去る事になる。

まあ現実的には身辺整理などいろいろあるので、その後数日は大目にみられるが、それでも社の身分証明書などは当日に返還させられるので、翌日からは社の建物に足を踏み入れるのもゲスト扱いだ。

写真部からも1人切られた。

クリスは昨年の部署統合の際、写真部に移籍してきたビデオカメラマン。ウェブ用のビデオ撮影と編集を主に手がけてきたが、すでに同じ仕事をしているベテランが一人いることもあって今回の削減対象になったのだろう。ただ、彼はまだ30そこそこで若いうえに、次の仕事の目星もいくつかあるということで、あまり気落ちはしていなかったのが僕らとしては唯一の救いだ。

昨年から続いている人員削減で数知れない記者や編集者、そしてカメラマン達が社を去っていった。

今日の午後にあらためてふと気づいたのだが、以前はいつも記者たちで賑わい、活気のあったニュースルームに随分空席が目立つようになってきた。

リストラは、当然これが最後ではないだろう。いったいどれだけ社員を減らせば、上層部は気が済むのか?能力のある記者や編集者を失なった影響は、すでに紙面の質にはっきりと現れている。

僕の入社した4年半前に比べても、確実に魅力の無い新聞となってしまったトリビューンをみるのは寂しいものだ。


またまた極寒のシカゴ

2009-01-16 23:53:47 | シカゴ
シカゴの冬が寒いのはあたりまえなのだが、今年は例年以上だ。気温マイナス20度、体感温度マイナス30度などという馬鹿げた日々が続いている。

あまりの寒さに建物や車からの温風が”蒸気”となってもくもくと立ち上り、まるで火事現場にでもいるかと思うほどだ。

今週末はようやくマイナス5度ほどまで気温が「上昇」するようで、少なからずほっとしている。不思議なもので、マイナス20度がしばらく続くと、マイナス5度が「暖かく」さえ感じるようになってくるのだ。

やれやれ。。。

トリビューン破産!?

2008-12-09 10:32:56 | シカゴ
今朝シカゴに戻ったとたんに、トリビューン破産申告のニュースが。。。

日本でも報道されているようで、心配してくれた友人達からもメールがいくつか送られてきた。

破産といっても、赤字対策のリストラの一環で、僕らの実際の日常業務にはそれほど影響はないようだ。しかし、先週写真部からカメラマンがまた2人クビになったし、状況は悪化の一方だ。

僕としてはもともとトリビューンに骨を埋めようなどとは思っていないし、まあなるようになるだろう、といった感じでそれほど気には留めていない。だいたい経営に関わっている訳でもなし、会社の状況などいちいち心配したところで仕方が無いだろう。カメラマンの僕らは、いい写真を撮る、ということだけ考えていればいいと思っている。仮に新聞社がなくなったとしても写真は撮り続けていけるし、いまの僕にとっては、ひとつでも多く納得のいく写真を撮って将来に備える、という事しかできないのだ。

2、3日前から風邪気味だったのだが、15時間の長いフライトでちょっとこじれた感じ。。。今日は葛根湯でも飲んで早く寝よう。

(写真:線路わきで焚き火をし暖をとるスラム住人たち)


大統領選挙の熱い夜

2008-11-06 13:47:39 | シカゴ
松山千春の歌ではないけれど、昨夜は「長い夜」だった。勿論、大統領選挙の話だ。

知っての通り、民主党候補のオバマが地元のシカゴで大集会を開いたため、僕らトリビューンのスタッフもほぼ総出で忙しい一日をおくることになった。

一般客のセクションを担当した僕は、一体何時頃にどのくらい人が集まるのか検討がつかなかったため、余裕を持って午後3時に会場入りしたのだが、結局すべて仕事を終えたときには午前1時をまわっていた。

ほとんど座る事もできず、さすがに長い夜ではあったが、僕自身、選挙速報が広場に備え付けられた大画面に映るたびに興奮してアドレナリンがビンビンでていたし、なにより集まった人々の凄まじいエネルギーを分けてもらったようで、寝床に就くまでほとんど疲れなど感じなかったほどだ。

オバマの勝利が確定した瞬間には、感無量で涙を拭う年配の黒人女性たちの姿も眼についたが、人種差別を受け公民権運動を闘ってきた世代の黒人たちにとって、待ちこがれていた一瞬だったに違いない。そんな彼女たちの姿をファインダー越しに見つめながら、僕の胸もこの歴史的瞬間に居合わせる事ができたという高揚感で一杯になっていた。

こういうイベントに接するたびに、アメリカの底力、というものを見せつけられるような思いがする。老若男女、肌の色を問わず何十万もの人間が一同に集まり、自分たちの将来を託した新大統領の誕生を祝う。これはすなわち、それだけ彼らが真剣に自分たちの生活、それを取り巻く社会、そしてアメリカという国の将来を考えている、ということだ。

日本では、スポーツや芸能イベントならともかく、政治集会でこれだけの人が集まるなど、ありえないだろう。

「誰が総理になったところで生活は変わらない。。。」

確かに、現在必要とされている経済や外交政策の本筋から全くはずれたとんちんかんな日本の多くの政治家の面々をみれば、日本国民の冷めた態度ばかりを責める事もできないだろうとは思う。

しかし、無関心を決め込んで、自らの権利のための声をはりあげなければ、それこそ政府の思うつぼ。国民は犠牲になるばかりだ。そういうことに僕らはもっと敏感になるべきだと思う。これは権力と対峙し、市民の側にたって本質をついた報道しないメディアの責任も大きいだろう。

僕は特にアメリカ贔屓というわけでもないが、やはり昨夜のようなイベントに体験すると、この国の国民性が心から羨ましくなってしまう。と同時に、この先落ちていくばかりの日本の将来を憂慮せずにいられなくなるのだ。


ジムからのメール

2008-09-27 07:02:52 | シカゴ
ジムを探しに週末にロックフォードに出かけようと思っていた矢先、突然彼からメールが入った。
「ちょっとトラブルがおこって、いまはXXXXにいる」と居場所の住所が記してある。

仕事を早めに切り上げて車を走らせると、そこはハーフ・ウェイ・バック・プログラムという、仮釈放の規則違反者が収容される施設であった。久しぶりに会ったジムは、やはり悪いことをしたという自覚はあるのだろう、それを隠すかのような照れ笑いを浮かべて僕に握手の手を差し伸べてきた。

予想していた通り、ペロール・オフィサーに娘と住む申請を却下され、頭にきて施設をとびだしたという。まずはロックフォードに戻ったようだが、以前住んでいたコンテナはもぬけの殻。あたりは整備され、住んでいたホームレス仲間たちもみないなくなっていたという。結局4日ほどぶらぶらしているうちにまた捕まり、この施設に送られてきた。(どうして捕まったか聞き忘れたので、次回会ったときに聞かなくては。。。)

すでに2週間近くこの施設にいた訳だが、以前の施設に置いてきた携帯電話をはじめ身の回りのものはみな処分されてしまい、娘のロビンや僕の連絡先もすべて無くしたらしい。先日ようやく施設の職員に頼み込んでネットにアクセスし、僕にメールを送ることができたという。

ジムはこの先2ヶ月半ほど(計90日)毎日4回のグループカウンセリングを受けながらこの施設で過ごさなくてはならない。門限どころか、建物の外に出ることは一切禁じられている。

やれやれ、せっかくあと数日で自由になれるところだったのに、また収容生活に戻ってしまった。所持品もすべて無くしてしまったし、こちらの生活環境は以前の施設よりも遥かに悪い。

「俺も馬鹿なことをした。。。」ジムも自分のとった行動に対して自覚はしているようだ。

まあとりあえずは、彼の居所がわかっただけでも良かったと思う。だけどこの施設は結構規則がうるさそうなので、撮影許可がおりるといいんだけど。。。


ジムの逃亡(2)

2008-09-23 08:55:17 | シカゴ
数日前にジムの娘のロビンから突然電話がきた。今月あたまに行方をくらました元ホームレスのジムのことだ。

僕は彼女の電話番号をもっていなかったので、「これでジムの様子が分かる、助かった」と思ったのだが、それも束の間、どうも彼女の様子がおかしい。

なんとジムは彼女のもとへも行っていないという。ロビンはジムの行方が気になって僕のもとに電話をかけてきたのだった。(以前会ったときに名刺を渡しておいたのが功を奏した)

僕は彼が望んでいたように、てっきりジムはロビンのもとで孫とともに暮らしていると思っていたのだが、どうやら誰にも知らせずに雲隠れしてしまったようなのだ。

これは参った。

以前ホームレス生活をおくっていたロックフォードに戻ってしまったのか。。。そうだとすれば、またコカインに手をだしてしまう可能性は十分にある。もう一年以上も薬抜きで頑張っていたのに。。。

とりあえず今週末にでもロックフォードに行って、心当たりを訪ねてみるしかない。




ジムの逃亡

2008-09-08 07:54:42 | シカゴ
ちょっとえらいことになった。

ジムの行方がわからなくなったのだ。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/d/20080614

釈放されてから、シカゴのトランジショナル施設で暮らしてきた彼だが、ちょうど今月4日に90日間の施設生活の期間が満了になるはずだった。

2週間ほど前に会った時、期間が満了したら娘のところに行って一緒に暮らしたい、と彼は言っていたのだが、そのためにはペロール・オフィサー(仮釈放中の行動を監視する職員)の許可が必要で、オフィサーとのミーティングが先週ひらかれたはずだった。

あいにく僕はハリケーンの取材でシカゴから離れておりミーティングに同席することができなかったので、その結果が気になっていたこともあって、ここ1週間ほどジムに電話をかけ続けていた。しかし、彼の携帯はずっとオフになったまま。何か嫌な予感がしたので、昨日トランジショナル施設を訪ねてみると、案の定、ジェームスは2日前に施設をでていったきり帰ってきていない、という。

恐らく、ミーティングで彼の希望は却下され、頭にきたジムは施設を飛びだして娘のロビンのところへ行ったのだろう。
しかし、ペロール・オフィサーの命令の背いて勝手に施設をでていったとすれば、これは彼の将来にとってもあまり懸命ではない選択だ。

居心地の悪い施設から一日でも早くでていきたい気持ちはわかるけれど、ここまで頑張ってきたのだからもう少し我慢できなかったのか。。。そんな思いで心が痛む。

しかしそれよりも、僕に一言もなくシカゴを去ったことをとても残念に感じている。これまで頻繁に時間を共にして、僕としてはジムといい関係が築けていたと思っていたからだ。まあこれは結局こちらの勝手な思い込みだったのかも知れないが、なんだか裏切られたような気がしないでもない。

ロビンの家は一度訪ねたきりではっきりとその住所は覚えていないのだが、ジムに会うためにはなんとか探し出しすしかないだろう。

明日から1週間の出張取材でバージニアとペンシルバニアに行くことになっている。仕事から戻るまでに彼と再び連絡がとれるようになっているといいのだが。。。

航空ショー

2008-08-18 11:32:51 | シカゴ
今日は航空ショーの撮影。ここシカゴでは毎夏おこなわれる恒例のイベントだが、今年は第50回目。3日間で200万人以上を動員するという、全米で最も大規模な入場無料の航空ショーだ。

実を言うとこのイベント、撮りたくなかった。

なんといっても人が多いので会場となるミシガン湖沿いのビーチへのアクセスが面倒このうえない。駐車場所がないため車で行くことができず、タクシーで近くまで行ってあとは徒歩。帰りは何万という人が一斉に帰るのでタクシーをつかまえることもできず、さらに長い距離を歩いて帰る事になる。

2年前にこの面倒さをひしと味わったので、この仕事は避けたかったのだが、どういう訳か僕にお鉢がまわってきた。やりたくないなあと思っているアサインメントに限っていつもこっちにまわってくるようだ。

しかし写真の事とは別に、この航空ショーでは考えさせられる事が多い。

民間機はそうでもないのだが、F22とかブルー・エンジェルスなどの軍用戦闘機の爆音はただ事ではない。頭上真上を飛ばれると一瞬鼓膜が破れたかと思うほどの激衝撃をうける。年に一回こういうのを見たい人間にとっては快感かもしれないが、こんな爆音に毎日晒される基地のそばに住む人々にとっては大変な事だろう。

こういう経験をして、あらためて沖縄や三沢、岩国などの住民の苦労に思いを馳せてしまう。

しかし、もともと航空ショーになんで軍用機をいれなくてはならないんだろうか?

確かに飛行機としての性能は軍用機が最高なのだろうけれど、これらは戦争のための道具であって、見せ物ではないはずだ。こんな空飛ぶ殺人兵器が曲芸をするのをみて喜ぶ人の気がしれない、といいたいところだが、正直言うと僕も子供の頃は航空自衛隊のブルー・インパルスをみて「カッコいー」などと騒いでいた馬鹿だった。

それでも、イラクやアフガニスタンでの米国戦闘機による理不尽な爆撃被害を目のあたりにしてから、軍用機の曲芸飛行などとても楽しめる気にはなれなくなった。

おまけにこういう軍用機を飛ばすには莫大な燃料費がかかる。こんな見せ物のために多くはない給料から納めた税金が使われていることにも腹が立つではないか。

いっそのこと航空ショーから、軍用機をすべて排除して民間だけのものにすれば、もっと素直にパイロットたちの熟練技術を堪能できるいいイベントになるんだけどね。。。

祭りのあと

2008-07-28 11:53:48 | シカゴ
米国には、アフリカン、ヒスパニック、先住民インディアン、そしてアジア系と、それぞれの人種をベースにしたジャーナリストの協会が存在し、各々年に一度コンファレンス(会議)を開いている。

今年は4年に1度、これらの団体が一同に集まりコンファレンスを共同でおこなうUNITYと呼ばれるイベントが開催される年なのだが、 日曜日までのほぼ一週間、このUNITYがシカゴで盛大にひらかれた。

週のはじめから同業の友人たちも続々とシカゴに到着。アメリカをベースにしている日本人カメラマンの友人たちとも年に一度会える機会でもあるし、これは僕も楽しみにしていたイベントなのだ。

そんなカメラマン達のなかでも、「兄弟」と呼び合うほど懇意にしてもらっているのがサンノゼ・マーキュリー・ニュースのダイと、オハイオAP通信のキー。(勿論これはニックネームで、彼ら普通の日本の名前持ってます)みなお互い会えるのが嬉しくて、ジャーナリズム志望の学生さんたちも交え毎晩午前3時までの酒宴続きになった。

そんな調子で4夜連続の睡眠不足に陥ったので、UNITYの終わった今日はさすがにもうぐったり。僕は日中通常の仕事があったので、アサインメントを終えて写真を電送し終えた途端、重い瞼と大格闘するはめに。。。

新聞業界の不振はどこも同じで、あまり明るいニュースのないなか、UNITYのおかげでしばしの息抜きをして楽しい数日を過すことができたと思う。

「兄弟」たちも学生さんたちもみなそれぞれの土地に戻り、シカゴに残された僕は、祭りの後の静けさ、とでもいうような、ちょっとした寂しさを感じている。

(お知らせ)
7月28日発売のアエラにハイチの見開き掲載されます。









エディターの辞任

2008-07-15 21:16:22 | シカゴ
昨日、シカゴ・トリビューンのエディター(日本では主幹というのだろうか、編集部のトップ)アン・マリーが辞任を発表した。

これは僕らにとっては大事件だ。

もちろん、これは新オーナーであるサム・ゼルの拝金主義のえげつない経営方針に対する彼女なりの回答であることは容易に察しがつく。

不動産業で成り上がってきたゼルは、これまで新聞業やジャーナリズムとは全く縁のなかった人間だ。こういう人だから、新聞社とはいえまるで不動産の一部としか考えていないし、報道の質など二の次でとにかく利益をあげることしか頭にはない。先月は本社の建物であるトリビューン・タワーまで売りに出すといいだした。

彼はウェブサイトのクリック数ばかりに記事の価値を置き、国際ニュースも激減させた。公の場で「読者はイラクの情勢よりも、地元の子犬のニュースの方に興味があるんだ」とまでのたまったのだ。

こんな経営方針に嫌気がさして、今年に入ってからもかなりの数のベテランの記者達が早期退職していった。彼らにとっては、いまが辞め時、といった感もあったのだろう。

しかし、「利益をあげる」ためにはこれでもまだ足りず、先週会社は8月末までに60人の首切りをすることを発表。これはニュース・ルームの14パーセントにあたる頭数で、実施されれば報道の質にも大きく影響がでるのは必至だ。

アン・マリーの辞任のニュースを聞いて、僕はなんだかトリビューン・タワーががらがらと音を立てて崩れていくような場面を想像してしまい、いささかショックをうけた。

別にトリビューンに特別の忠誠心などがあるわけではないが、それでもアメリカ5本の指にはいる新聞社として長年の伝統を培ってきたこの会社が、こんなひとりの拝金主義の男のために崩れ去っていくのを見るのは寂しいものがある。


ジムと娘たち

2008-07-11 05:48:26 | シカゴ
先月刑務所から出所したジムに同行して、シカゴ郊外に住む彼の家族に会ってきた。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/1a50d9b2128c4410576c64b8a34fd1b7

仮釈放中のジムに、ようやく市内を離れて遠出をする許可がおりたのだ。

バスに揺られて一時間半余、デカブという町で下車すると、停留所で長女のケリーが出迎えてくれた。ここからさらに車で20分ほどいったロシェルで、ジムは三女のロビンとも再会。

ジムにとって、ケリーとは1年ぶり、さらにロビンと会うのは3年ぶりになる。しかし、 彼らは僕らが日常にする程度のハグ(抱擁)をしただけで、その場面は僕が期待していたほどの「感動の再会」といったドラマティックなものではなく、僕は正直言って少しばかり拍子抜けしてしまった。

やはりドラッグに浸かり、ホームレスになって「父親としての役割」を放棄してきたジムに対する娘たちの心中には複雑なものがあるのかもしれない。

これまでジムと娘たちの間にどんなことがあったのか、僕はまだ彼の口から詳細を聞く機会を得ていない。しかし、彼はたびたび「俺はひどい父親だった。。。」と口にしていたし、刑務所を出る前にも、「これから家族の関係を修復していくのが俺にとって一番大切なことだ」と言っていたように、彼自身このことはよく自覚しているのだろうと思う。

それにしても、はじめて会う幼い孫たちと無邪気に遊ぶジムの姿は新鮮だった。こんな彼の表情は僕はこれまで見たことがなかったからだ。

冗談を言い合いながら公園を散歩し、 近所の老舗でアイスクリームを頬張りながらゆっくりと流れる時を一緒に過ごすうち、ジムと娘たちとの様子も徐々に自然になっていくように僕の目には映った。

家族の関係がうまく修復できれば、これからジムが「再生」していくうえで、これ以上の心の支えになることはないだろう。

(写真:娘と孫たちに囲まれくつろぐジム)