Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
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古都フエの記憶

2009-07-26 23:21:24 | アジア
ベトナムでの枯れ葉剤の取材整理で大忙しだ。今回はかなりの数のビデオも撮影してきたのだが、とりあえずは写真の編集におわれている。休みも返上して自宅で編集作業をおこなっているが、ビデオ編集は写真より遥かに手間がかかるので、これから先のことを考えるとちょっと気が遠くなりそう。。。

ベトナム滞在中、中部のフエ(ユエ)を訪れた時のことをひとつ。

この町はベトナム最後の阮朝の首都であり、現在ではユネスコの世界遺産にも登録されている王宮などの建造物の点在する美しい古都だ。日本で言えばさしずめ京都のような町といえるだろう。

しかし僕がこの町の名前を以前から知っていたのは、そういった理由からではなく、沢田さんの写真のせいであった。勿論、ベトナム戦争時に活躍した沢田教一カメラマンのことである。以前にも書いたかと思うが、僕が報道写真の世界に足を踏み入れるきっかけになった人だ。とはいっても、僕は彼の伝記を読んだだけで、実際に会ったというわけではない。彼がカンボジアで殺されたのが1970年。僕がまだ幼少のころだ。

フエの攻防戦は沢田さんが経験した戦闘の中でも最も激しいものだった。伝記によれば、彼はフエの攻防についてこんなことを語っている。

「。。。1月30日からはじまったベトコンの総反攻と、それにつづく市街戦によって、破壊の手は全市にのびた。ベトナムへ来て3年、戦場にはずいぶん出かけたが、こんどのユエの攻防は、かつてないすさまじいものだった」

こんな彼の言葉に加え、破壊された古城の瓦礫の上を這いつくばりながら仲間の死体を回収する米兵たちを撮った彼の写真は、僕の頭に焼き付いて離れる事はなかった。

だから僕は、フエという町に特別な興味があったし、ここに来たからには攻防の舞台となった王宮をぜひ訪れたいと思っていた。幸い撮影の合間に時間の余裕があったので、2時間ほどかけて王宮とその周辺を歩き回る事ができた。

静かにたたずむ美しい王宮と、訪れる無数の観光客たちの姿と眺めていると、ここでそんな激しい戦闘があったなどとは想像し難い。しかし、注意してみると、城壁の至るところにはまだ多くの弾痕が残っていた。

「40年前、沢田さんもこの場所にいたんだ。。。あの写真の瓦礫はこのあたりだったのだろうか」

弾痕の前に立って、しばし思いを巡らせているうち、なんだか少し感傷的な気分になってしまう。

現在王宮ではその修復作業が進んでおり、敷地の半分近くはすでに綺麗にお色直しがすんでいた。40度ほどの暑さの中、作業員達が言葉もなくこつこつと古くなった木造部を磨き、新しい塗装を施していた。

そのうち、城壁にもあたらしい石が組み込まれ、弾痕も塞がれてしまうのだろうか?願わくば戦争の歴史を刻んだこの城壁群はこのまま残してほしいと思う。

失ってはいけない記憶もある。

腎臓結石

2009-07-22 13:58:42 | 報道写真考・たわ言
数時間前、一ヶ月ぶりにシカゴに戻ってきた。

3週間のベトナム取材を終えてから、メルボルンに住んでいる僕の従姉妹一家を訪ねる機会も兼ねてオーストラリアで数日を過ごしてきたのだが、なんとそこで腎臓結石になってしまった。

何の予兆もなくいきなり腹部の激痛に襲われ、床に臥せったまま立ち上がる事もできなくなった。幸い知人の家を訪れている時だったので、そこから病院に運んでもらい一夜を過ごす事に。

腎臓結石は相当痛い、と聞いていたので、できれば生きているうちはご免被りたいものだと思っていたのだが、どうやらそんな願いは天に聞き入れてもらえなかったようだ。右腹の痛みだったので、はじめは盲腸が破裂でもしたかと思い、病院に向かう車の中で、「俺もここまでか。。。」などと縁起でもない思いも脳裏をよぎったが、その半端ではない痛みはこれまで経験したなかで最悪だったんじゃないかと思う。

一旦痛みが襲ってくるともう横になってうんうんと唸ることしかできなくなるのだが、病院では強力なモルヒネを射ってもらいなんとか痛みをしのぐ事ができた。このモルヒネだが、あとで医療関係の人と話したところ、日本では病院でも使用が認められていないらしい。

確かにモルヒネというと日本人の感覚では「麻薬」というイメージが強いので、僕も実際に痛み止めとして射ってもらっているときも、このまま中毒になってしまうのでは、などと頭の片隅で少し心配してしまったが、西洋の病院では普通に使われているようだ。

ところでこのモルヒネの語源が、ギリシャ神話に登場する夢の神モルフィスだということを今回初めて知った。痛みを鎮め夢心地にするその効用から、この夢の神にちなんで名付けられたらしい。確かにこの夢の神の薬のおかげで、激痛に襲われてもすぐに微睡んでよく眠る事ができたなあ。

腎臓結石とモルヒネ。。。初めて訪れたオーストラリアでの、忘れられない思い出になりそうだ。

バイク王国

2009-07-07 09:45:29 | アジア
取材に追われてなかなかブログをアップする余裕がない。今回は写真と同時にビデオ撮影もおこなっているので、こちらのほうの整理に結構手間がかかる。シカゴに戻ってからの編集作業のことを考えると気が重いなあ。

中部のダナン近郊での取材を終えて、2日前にホーチミン・シティー(旧サイゴン)にやって来た。北部、中部では主に、農村部での枯れ葉剤被害者の「家族」、および環境状況を主に取材してきたが、ホーチミンでは病院や施設なども見てまわる予定だ。

しかしこの国はどこにいってもバイクだらけだ。まさに国民の足代わりといった感じで、成人一人に一台はバイク(といってもスクーターとかカブのような排気量の小さなもの)を持っているんじゃないかと思う。見ていて面白いのは乗車時の女性のファッション。でかいマスクで顔の半分を隠し、この暑さなのに長袖、手袋というスタイルも少なくない。はじめは排気ガスのためにマスクをつけているのかと思ったが、女の子達にきいてみると、単に日焼け防止のためだという。ベトナム女性達にとっては、白い肌を守ることが大切らしい。

バイクは多いが車の数ははまだまだ少なく、道路で見る限り、バイク50台に対して車1台、くらいの割合だ。ガイドの話では、車に対しては購入に際し100パーセント以上の税金がかかるという事で、それなりの金持ちでないとなかなかカー・オーナーになるのは難しいという。

しかし、ハノイやホーチミンのような大都市を除いては道が狭い上、駐車スペースもほとんどないため、この高い税金は車の増加にいい具合に歯止めをかけているといえるだろう。現在でもすでに道路はバイクで溢れんばかりになっているのに、このうえ車が増えたら、交通渋滞の劣悪化は必至だ。

とはいっても、不況のあおりを受けながらも順調に経済成長を続けているこの国では、車を購入できる余裕のある国民が増え続けていくことは確実だ。5年後あたりにまた戻ってきたら、10キロの行程を行くのに1時間かかる、なんてことになっているかもしれない。