Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

仲間の死

2006-06-28 00:54:17 | 報道写真考・たわ言
悪いニュースが届いた。

リベリアの内戦中に取材を共にしていたスウェーデン人のカメラマンが、先週ソマリアで殺されたという。

マーティンと言う名のこのビデオ・カメラマンは、肝の据わった奴で、銃弾の飛び交う前線で地面にひれ伏しながら共に撮影した仲だった。

悲しい。。。というよりも、ショックだ。

ごく最近イスラム派が政権をとったソマリアで、大群衆の集まった政治集会を取材中、狙われて撃たれたらしい。

単に外国人だったという理由で。。。

今月あたまには、CBSのテレビクルーが、イラクで米軍に従軍中、路上に仕掛けられた爆弾で死傷した。カメラマンとサウンドマンが死亡、レポーターが重傷をおった。

その重傷をおったレポーターは、キンバリーという女性記者。僕は去年イラクで彼女と一緒に従軍をした経験がある。

彼女はとりあえず一命はとりとめたものの、このニュースを聞いた時はさすがに動揺した。

いやなことが立て続けに起こっている。

明日、いや、もう12時を回っているので、正確に言えば今日、僕はイラクに向けて出発する。




ビザ却下

2006-06-25 22:38:49 | 中東
昨夜遅く、バグダッドのスタッフから連絡が入ってきた。

「クニ、残念だけどイラクの情報省がビザの申請を却下したよ。。」

理由は「自衛隊撤退の時期のために、日本人をイラクに入れないで欲しい、と日本政府からの要請があったため」だという。

おかしなことだ。。。そう思って事情を確認するためにバグダッドにある日本大使館に電話をいれてみると、

「治外法権にもあたるし、イラク政府に対してそういう要請はしていません」という。

しかし、正式にはそういう要請はだしていなくても、何らかの形で日本人に対するビザの発給を認めないような働きかけはあったのではないだろうか、と勘ぐってしまう。そうでなければ、そういう理由をでっちあげてまでイラクの情報省が僕のビザ申請を却下するとは思えないからだ。

2003年の米軍侵攻から、僕はこれまでイラクに4回入国しているし、ビザを却下されたことは一度もない。

勿論現在のイラクは危険であるし、日本政府としてはあまり邦人に足を踏み入れてもらいたくない場所であることは重々承知している。しかし、僕らジャーナリストにとって、「危険だから行かない」という論理は成り立たないし、そんなことをいっていては仕事自体が成り立たなくなる。

一般の人が足を踏み入れることができないところだからこそ、僕らのようなジャーナリストが出向いて報道しなければならないのではないか。

これまで僕は外務省の人達にはできる限り協力してきたし、いい関係を築きたいとも思ってきた。しかし、今回の日本政府の過剰な対応には疑問を感じている。

僕が仕事でイラクに行かなくてはならないという状況は変わっていないし、従軍開始の日程ももう決められている。方法の如何を問わず、来週末までにはイラクに入国しなくてはならない。






イラク行き

2006-06-24 21:33:14 | 中東
多忙となまけ性ですっかりブログの更新を怠ってしまった。
なんと前回のアップからもう1週間以上だ。。。

数日前、突然にイラク行きが決まった。

今回はラマディで米軍に従軍しながらの取材になりそうだ。

2003年の米軍侵攻から今回でイラクはもう5回目になるが、正直いって従軍にはもう飽き飽きしている。毎回似たような写真しか撮れないし、なんといっても米軍におんぶにだっこになるから、自由もない。かといって誘拐、人質のはびこる現在のイラクの状況では僕ら外国人カメラマンが自由に街を動き回って取材することなど到底不可能に近い。

昨年の11月に南部のバスラを訪れた時もほとんど軟禁状態でろくに撮影ができなかったし、もうしばらくはイラクに行くこともないだろうと思っていたのだが、どういうわけか急に取材要請がきた。今回はシカゴトリビューンの仕事だけではなく、トリビューン系列のロス・アンジェルス・タイムズからの取材も兼ねているので、いつもより責任が重い。

急に取材が決まったので、ビザの取得に苦労している。

隣国のヨルダンでイラクの入国ビザを取得して、その足でバグダッドにはいる手はずになっているのだが、ビザの許可がおりるのに時間がかかる。従軍のスケジュールは決まっており、来週の日曜日までにはイラクに入らなくてはならないので、八方手をつくすためにバグダッドとヨルダンのスタッフと何度もメールのやり取りをしたり、バグダッドの日本大使館に連絡をいれたりと、結局今日一日はそんな事務仕事でつぶれてしまった。

前述したように、従軍しながらの撮影にはいろいろと不満がでることはわかっている。それでも、蓋をあけるまではどんな写真が撮れるかまだわからないし、少なくともシカゴにいて市長の記者会見なんかを撮っているよりはよっぽどましだ。

実のある取材にしたい、と思う。






ムス、訪米の成果

2006-06-16 09:36:08 | リベリア
ムスの義手が完成してから1週間が経った。

昨日、彼女の4回目のリハビリ・セッションに同行した。義手ができたからといっても、それをきちんと使いこなせるようになるためには訓練が必要だ。そのためにシカゴ市内になる子供病院が、ムスのために10回のセッションをおこなうことに同意してくれていた。

正直なところ、ムスが義手に慣れるまでかなり時間がかかるだろうな、とは予想していた。これまで3年ちかくも右手のない生活をしてきて、彼女はもう大概の事は不自由なくできるようになっている。使い慣れない義手の利点を理解するまでに結構苦労するのでは、と少し心配でもあった。

実際に、義手が出来上がったとき、ムスはそれをつけるのを嫌がった。手先は蟹の爪のような変な機械だし、重量もあるので、これまでほとんど使っていなかった二の腕が疲れる。義手をつけても、しばらくするとそれをとってしまうムスを見て、無理もないな、と思いながらも僕は不安にもなっていた。

彼女がリベリアに帰ったあとも、結局それを使わずにぶんなげられてしまうことにならないだろうか。。。そうなってしまったら、これまでムスの義手をつくるために関わってきた人達の好意や努力は無駄になってしまうのか。。。

しかし、昨日のリハビリの様子をみて、そんな不安はふっとんだ。

ほぼ完全にといえるほど、ムスは義手を使いこなしていたのだ。

紙を義手で掴み、型にあわせはさみで切っていく訓練や、靴紐を結ぶ訓練などを器用にこなすムスをみて、僕は驚いた。さらに、髪飾り用の輪ゴムを編んだり、洗濯物まできちんをたためるようになった彼女の姿にはもう感嘆するしかなかった。

リハビリを担当しているセラピストの先生もムスの早い上達ぶりには驚いていたようで、10回予定されていた訓練も、これ以上必要ないだろうと5回に短縮されるほど。。。もともと頭のいい子だとはわかっていたが、さすがにこのときはムスのその能力をまざまざ見せつけられたような思いだった。

おそらく、リハビリをすすめるうちに、義手のお陰でできるようになった新しいことに気づき、少しずつ楽しくなってきたのだろう。ムスはもう義手をつけることを嫌がることもなくなった。

ムスとファトゥのシカゴ滞在もあと1週間を残すのみ。とりあえず訪米の目的はいい結果で果たせたと思う。

これからのムスを見守っていくことがまた楽しみになった。








鉄鋼の街

2006-06-10 21:30:34 | 北米
取材で昨日からピッツバーグに滞在している。

ここを訪れたのは初めてで、昔、鉄鋼業の街として栄えたという事くらいしかこの街についての知識はない。

そんなわけで工業の街とか、公害の街とかいう、あまり良くない先入観しか持っていなかったのだが、ダウンタウンには比較的新しいビルが建ち並び、街並みも綺麗で驚いた。

地元の人によれば、60年代あたりから鉄鋼業は廃れ、工場は次々と閉鎖されていったそうだ。いまでは街の中心部には工場はひとつも残っていない。近年は、病院や大学、コンピューターソフト関係の会社を誘致することによって、再生化を図っているという。どうりで街が小綺麗になっているわけだ。

しかし、それでもこの街は未だに「鉄鋼」で溢れている。

たまたま入ったレストランでは、メニューのカバーが鉄鋼を連想させるが如くアルミでつくられていたし、街にはアイロン・シティー(鉄の街)という名の地ビールがどこの酒場にもおいてある。ダウンタウンには、合金のような銀色の外観をもったビルまで建てられているし、トレードマークとしての鉄鋼はいまでも健在だ。

「白いシャツを着てこの街を歩くな」

鉄鋼業が最盛のころ、こんな言葉があったそうだ。

工場から排出される煙とすすで、服が真っ黒になってしまうから、というわけだ。

そんなネガティブなイメージにも関わらず、おそらく当時のピッツバーグの市民たちは、アメリカの経済を支えてきたこの街の鉄鋼業を誇りに思っていたのだろう。そして、現在でもその当時を「古き良き時代」として懐かしんでいるのかな、と思う。

だから、鉄鋼業が姿を消して何十年も経つのに、今でもピッツバーグは「鉄鋼の街」なのだ。

豊かな食生活

2006-06-06 11:00:23 | 報道写真考・たわ言
先日のブログを書いたあと、少しまた考えてみた。

たしかに食べ物の選択肢があることは恵まれているとは思うが、だからといって別に他国の食べ物を知らないからといって、それが不幸というわけでもない。

マクドナルドやバーガーキングなどのファストフードや、ストアにあふれているジャンクフードなんて、身体に悪いだけで、そういうものが手に入る環境にいることのほうが逆に不幸だも思う。

よく考えてみれば、リベリアのムスの家族のように、冷蔵庫も持っていない人々にとっては肉や魚の保存ができない。だから生ものは食べる日に食べる分だけ市場から買ってくることになる。訳のわからない保存料などがはいっているわけでもないし、冷凍されたものより新鮮なのは確かだ。

これはちょっと極端な理論かもしれないけれど、そういう添加物のはいっていない新鮮な食材に舌の慣れているムスやファトゥが、こちらの料理の味に拒絶反応を示した、ともいえるのではないだろうか。

そういう点では、ファストフードや冷凍ディナーで生活しているアメリカ人たちよりも、選択は少ないにしても、ムスたちのほうが実はずっと豊かな食生活をおくっているといえるのかもしれない。。。





食べ物の好き嫌い

2006-06-04 23:21:37 | リベリア
日本食をご馳走したい、という友人の希望でシカゴ郊外にある日本人家庭にムスとファトゥを連れて行くことになったのだが、ちょっと気になることがあった。

僕自身も最近気づいたのだが、彼女たちは食べ慣れたアフリカ料理以外、ほとんど食事を受けつけないのだ。

リベリアではスパイスのきいた魚のスープとライス、チキンやキャッサバの葉などを良く食べるが、シカゴにはリベリア料理をだす店はない。そんなに極端には味も違わないから大丈夫だろうと先日連れていったケイジャン・フードの店では、魚のフライもライスも、一口舐めただけであとはまったく手をつけなかった。ぶどうなどの食べ慣れない果物もだめだし、りんごさえもグリーンアップルのほうが甘いといって、赤いりんごは食べないという徹底さ。。。

そんないきさつもあったので、まず日本食など無理だと思い、その旨を友人に忠告したあと、安全策にファトゥにリベリアの魚スープをつくってもらい持参することにした。

そして当日。。。

友人宅では、さすがに刺身は駄目だったようだが、ファトゥはかぼちゃの煮物や中華そばなどはなんとかクリアしていたようだ。ムスはほとんど日本食には手をつけなかったが、ほとんど友人の子供たちと走り回って遊んでいたので、食事はそれほどの関心ごとではなかったよう。心配していたほどの結果にはならなかったので、少しほっとする。

彼女たちには、僕らが普通に考えるように、「せっかく外国にきたのだからその土地の料理や、珍しいものを食べてみよう」という考え方自体が頭にないのかもしれない。生まれてから同じものをずっと食べ続けてきて、料理とか食べ物といえばこういうものだという固定観念ができているので、仕方がないのだろうか。単なる食べ物の好き嫌いとはまた違った次元の問題なんだろうな。

アメリカではジャンク・フードが氾濫しているから、それが幸か不幸かの判断はつけ難いが、とりあえずはいろいろな食文化を体験できる選択肢のある僕らは恵まれているのだと、とあらためて考えさせられた。




仕事の意義

2006-06-01 18:43:13 | 報道写真考・たわ言
アフリカにいる知人からメールが届いた。

彼女は西アフリカで国際協力関係の仕事をしているのだが、文面にはこんな彼女の気持ちが綴ってあった。

「世界中に開発ワーカーがたくさん働いているはずなのに紛争も貧困も悪化する一方で、自分の仕事を空しく感じてしまいます」

彼女の気持ちはよく理解できる。

戦争や飢饉、貧困問題はなくならないし、そういう視点からみれば世界が良くなっているとはとても思えないからだ。彼女のように、身を粉にして弱者のために働いている人にとっては、歯がゆいものがあるのだろう。

開発ワーカーに限らず、僕らのようなジャーナリストにしても同じことだ。世界中で大勢のジャーナリストが働いているにも関わらず、状況が良くなっているとは思えない。

僕らも貧困地域の取材などでよくこんな言葉を投げつけられる。

「お前らが何度取材にきたり、写真を撮ったりしたって、俺たちの生活は全然変わらないじゃないか!」

僕らのような仕事をしていると、その仕事に対するはっきりとした結果というものは見えにくい。しかし、だからといって仕事に対して空しさを感じてしまっては少し悲しすぎるだろう。

僕は彼女にこんなような返事をだした。

「確かに状況は良くなっていないかもしれないけれど、もしあなたのような開発ワーカーや、ジャーナリストがいなかったら、現状はもっと悪くなっていたと思います。。。」

僕らの仕事は、世界のプラスにはなっていないとしても、少なくともマイナスになることは食い止めているんじゃないか、と。

そうでも思っていないと、こんな仕事の意義など見出せやしない。