Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

インド北部の大洪水

2010-09-30 04:11:46 | アジア
先週、インド北部で2百万人近くに被害が及ぶほどの大規模な洪水が発生した。

パキスタンの洪水も日本に行っていたため逃したし、今回は是非ともと思っていたのだが、ちょうど同じ時期に打診のはいった国外での仕事のために、その最終決定がでるまでムンバイで待機しなくてはならなくなった。しかし、イライラしながら数日を過ごしたあげく、なんとその仕事がキャンセルに。。。ようやく月曜日に被害の大きかったウッタル・プラデーッシュ州に向けて飛ぶことができたのだが、さすがに出遅れたのは否めない。

心配していたとおり、やはり現場に着くのが少し遅すぎた。

ラクナウの空港から延々8時間かけて被災地に着いたはいいものの、水はすでにほとんどひいてしまっており、洪水の様子などろくに撮ることができなかった。氾濫した川に家を流されてしまった人々がまだ道路上でテントを建てて生活していたので、彼らのポートレートを撮るのがやっと。

洪水の取材なのに、水の写真がない。。。

多くの場合、災害後の取材でもそれなりにインパクトのあるストーリーがあるものだが、今回はそれも見つけられなかった。

飛行機代に車代、そして雇った通訳代と結構な出費だったけれど、被災を伝えるのに十分な写真は撮れなかったなあ。もちろん大赤字。まあ出遅れた僕自身の責任なんだけどね。。。

(もっと写真をみる:http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/09/30/floods-in-northern-india/ )


ガンパティ祭り最終日

2010-09-23 20:08:20 | アジア
ようやく終わった。

ガンパティ祭りの最終日となった昨日、ムンバイ中の巨大なガネーシャ像がアラビア海へと流された。

水に浸かっての撮影中、予期せぬことになんと自分も水底へと沈んでしまった。勿論、水中撮影を試みたわけではない、アクシデントだ。

このブログにも書いてきたように、祭りの期間中大小さまざまなガネーシャ像が水に沈められるが、最終日ともなると、これまで沈められた像があちこちに水底に堆積しているという状況になる。気をつけてはいたのだが、そのひとつにつまづいてバランスを崩してしまった。肩から海に落ちながら、脳裏を横切るのはただカメラのこと。。。なんとかカメラだけでも水面上にキープしようと、握った右手を思い切り突き上げる。頭まで水に浸かり、海水を味わいはじめたとき、近くにいた誰かが僕の手からカメラをとりあげてくれた。幾ばくかの水滴は被ったものの、機械のダメージは受けずに済んだ。(少なくとも翌日の今でもカメラは正常に作動している)

助かった。。。

祭りの期間中、毎日撮っていたわけではないが、なかなか結構骨の折れる撮影だった。祭り自体は、エネルギーに満ちあふれ、何といっても写真栄えするのがいい。僕のもっとも好きな祭りのひとつになったといえる。

それでも、とりあえず今は祭りが終わってほっとしているというのが正直なところだ。

(もっと写真を見る: http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/09/23/ganpati-festival-final-day/ )

ガンバティ祭り 第五・六日目

2010-09-20 13:42:20 | アジア
ガンパティ祭りも半ばを過ぎ、さらに多くの人たちが通りや海辺にでてくるにつれて町はいよいよ熱気をおびてきた。僕は海辺に近いローカルなマラティのコミュニティーに住んでいるので、無茶苦茶大音量のドラムの音や爆竹がけたたましく深夜まで鳴り響いている。

ヒンドゥー教の信者たちは祭りの期間中、定められた日にガネーシャ像を水に沈める。これはビサルジャンとよばれ、ガネーシャが信者の現世での苦難を取り除いたあと然るべき場所へ帰っていくことを象徴するものだ。

形あるもの永遠ではない、という法則を体現するものでもあり、ガネーシャを水に沈め溶かすことで、形がかわってもそこに宿る真理は変わらない、ということを意味している。さらにビサルジャンは「ものに執着しない」という教えも暗に含んでいるという。

実はガネーシャを海や湖に沈めることが環境問題に関わってくるのだが、これについては後ほど書くことにしよう。

僕はこんなガンパティ祭りの意味を知って、なるほどなと感心してしまった。

狂ったように盛り上がるという祭り最後の数日が楽しみだ。

(もっと写真を見る: http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/09/17/ganpati-festival-day-5-and-6/ )


ガンバティ祭り 第一日目

2010-09-12 02:32:32 | アジア
ガンパティ祭りの第一日目。

町の多くに設置されたガネーシャ像のお参りがはじまった。ピンからキリまでいろいろな像があるけれど、なかには金や銀をふんだんに使って実に贅沢につくられているものもある。こういう有名どころの像をお参りするためには、8時間も列に並ばなくてはならないこともあるそうだ。

ほとんどのコミュニティーではすでに像の設置は終わっていたが、いくつかはその準備がすこしばかり遅れ気味。午後遅くになってようやく像を工房から運び出す姿も見受けられた。

まあそんなことは気にしないんだろう。なんといってもムンバイでもっとも人気のあるお祭りだ。みながご機嫌、町中に浮かれムードが漂っている。

(もっと写真を見る:http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/09/11/ganpati-festival-day-1/ )

ガンパティ祭り

2010-09-12 01:43:05 | アジア
ここ数日、ムンバイの熱気が高まってきた。今週末からはじまるガンパティ祭りのためだ。

ヒンドゥー教の神のひとつであり象の頭を持つガネーシャは、学問や商業の神として親しまれているが、このガネーシャの生誕を祝うのがガンパティ祭り。10日間に及ぶこの祭典はムンバイで最大のものだ。

有名な祭りなので、これまで多くのフォトグラファーたちによって無数の写真が撮られてきたのだが、それでもムンバイに住む僕としては撮らないわけにはいかない。いくら多くの他人が撮っていようとも、この祭りは僕にとっては初めての経験だし、なんといっても祭りというのはわくわくするではないか。

今日の午後、ガネーシャ像をつくる工房をいくつか覗いてみた。家庭用の小さなものから、コミュニティー用の高さ3メートル以上のものまで、所狭しと並ぶ工房で職人たちは像の仕上げに忙しくしていた。

大小あわせ10万を超すこんな像が販売され、祭りの期間中に海に沈められることになる。近年は環境汚染も懸念されるようになり、環境保護団体などが啓蒙活動をおこなうようにもなった。このことについては祭りを実際に見てから来週にでも書くことにしよう。

今はとりあえず、祭りの興奮と熱狂を撮ることができるのが楽しみ、といったところだ。

(もっと写真をみる:http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/09/10/ganpati-festival/ )

沖縄の傷跡

2010-09-05 15:10:26 | 日本
今回の日本滞在中、初めて沖縄を訪れることができた。

太平洋戦争中、多くの犠牲を払わされ、さらに戦後も米軍基地のしわ寄せをくわされているこの土地をこれまで訪れていなかった事に、僕は日本人としてなにか後ろめたさのようなものをもち続けてきた。別に沖縄に来たからといって、それで気が済むなどとは思ってはいなかったが、土地の人たちの話しを聞き、戦跡、そして現存する米軍基地を訪れることによって、正直なところ僕の沖縄に対する感情は逆に一層複雑なものになってしまったうようだ。

訪れた土地のひとつ、読谷村のチビリガマ(洞窟)の内部には風化して茶色に変色した人骨がまだいくつも残っていた。侵攻する米軍から逃れ、点在するガマに身を隠していた地元民たちのうち83人が自ら命を絶った。案内してくれた知花昌一さんは、僕ら内地からきた無知な訪問者たちを相手に実に丁寧に当時の様子を説明してくれた。1987年の沖縄国体で、戦前の軍国主義を象徴する日の丸を焼いたのが彼である。

母親が自らの赤子の顔を身体に押し付け窒息死させたり、首の頸動脈を切って血が何メートルも吹きだしながらもなかなか死にきれなかった人々の様子など、語り部である知花さんの話しは凄惨を極めた。

「ここでおこったことは『集団自決』ではありません。『強制死』です」
彼はきっぱりと言った。

米兵に追われ、されには日本軍からも捨て石として見捨てられた島民の多くは、投降することも許されずにいわば「強制的な自決」を強いられたのだ。

3ヶ月足らず沖縄戦での日本側犠牲者は18万人以上。戦後、沖縄が本土に復帰されたとき、沖縄の人々はこう思ったという。

「これで日本に戻れる。もう米国領土でなくなるのだから、基地もなくなる」

しかしその期待は裏切られた。さらに引き続く本土による沖縄「捨て石」政策によって現在も彼らは裏切り続けられている。県民にあれほどの期待を持たせた鳩山内閣の失脚によって、沖縄人の怒りはもう頂点に達しているんだ、そんな言葉が県民たちの口から何度も溢れでた。

今回、撮影取材ではなく、写真学校の講師という立場でこの地を訪れた僕は、限られた沖縄の人々のごく一面に触れたに過ぎない。しかし、仮に綿密な取材をおこなっていたとしても、この沖縄問題に関して僕に何ができるのか、はっきりとした答えなど見いだせなかったろう。沖縄をとりまく情勢はあまりに複雑だ。

「沖縄の歴史を、そして現実を正しく知ること」

これは「本土の若者たちに何ができるか?」という問いに対しての、伊江島の反戦平和資料館の謝花悦子館長の答えだが、まさにその通りだと思う。自戒を込めて言わせてもらえば、広島、長崎の陰に隠れてしまって、沖縄の歴史をあまりに知らない本土の人間が多すぎるのだ。

無知なことによって、意識せずとも加害者になっている。それが本土に住む人々の罪だ。こんなことをあらためて思い知らされた。

(写真:チビリガマ内に残った、風化した人骨と空き瓶)
(もっと写真を見る:http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/09/05/okinawa-scars-of-war/