Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

外務省からのメール

2007-09-27 10:15:45 | 日本
ソマリア行きをブログに書いたとたん、外務省からメールが来た。

「外務省では、ソマリアに対して「退避勧告」を発出しており、滞在している方には直ちに出国されること、渡航予定の方には渡航の中止をお願いしております。。。」
とのこと。

実はイラクに行く度にも、毎回同じようなメールが送られてくる。

昨年イラクのビザ取得を妨害されたときにブログで外務省を批判したので、おおかた僕の名前は「要注意人物」としてブラックリストにでも載っているのだろう。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/bf04fcc409059e47e470b03aae098da5

いつも監視されているようであまり気持ちのいいものではないが、危険地域にいく日本人にはすべてこういう勧告を個人的におくっているのだろうか?

まあとりあえずこういう勧告をしておけば、万が一僕が現地で事件に巻き込まれても、「勧告したのにも関わらず、それを無視して行くからこういうことになったんだ」と、政府としては責任回避につなげられるのだろう。そしてイラクで人質となった高遠さんらのように「自己責任」を押し付けられて世間からバッシングされるのが落ちだ。

しかし、僕はなにも物見遊山でわざわざイラクやソマリアなどに観光にいくわけではない。報道されるべきことがあるからわざわざ危険を冒してもそういう土地へ行くわけだし、だいたい「危険だから」といってジャーナリストまでが尻込みしていては、一体日本やアメリカの一般の人たちが現場で起こっている現状をどうやって知ることができるというのか?

昔から「事なかれ主義」が主流の日本だけれど、外務省の方々にもそういう部分をもう少し理解してもらって、ジャーナリストやNGOなどをサポートしてもらえると僕らの仕事もやりやすくなるのだけれどなあ。






ソマリアへ

2007-09-26 09:04:14 | アフリカ
まだシカゴにもどって1週間ほどなのだが、ソマリアに行くことになった。出発が木曜日なので、また慌しく過ごしている。

ソマリアは以前から行きたかったのだが、ここしばらく情勢が悪すぎてあまり動けないことと、取材費がかかりすぎるということでなかなかその願いが叶わなかった。

2年前に石油プロジェクトで一緒に組んだレポーターのポールがなんとか上司と編集者たちを説得して今回の取材が実現したのだ。ピューリッツアーを2回受賞しているポールはいわばトリビューンの看板記者。だいたい彼の提案するプロジェクトはすんなり認められるのだが、そんな大物記者の彼でも今回のソマリア行きにオッケーをだしてもらうのにはかなり手こずったらしい。

首都のモガディシュはほとんどバグダッドのようになっており、自由に動き回って撮るのはなかなか難しいようだ。

隣国のエチオピアにも寄って取材をしてくる予定だが、どちらも僕にとっては初めての国。納得できるものが撮れるといいのだが。。。

「撮れるか、撮れないか。。。」この仕事を始めてもう15年経つが、いまだに初めての場所を訪れるときは、プレッシャーを感じるものだ。

「傲慢な」ジャーナリストからの回答

2007-09-18 19:45:19 | 報道写真考・たわ言
この文章は本来書き込み欄のコメントに対する返事として書いていたのですが、随分長くなってしまった上に、他にもこの件に関して疑問に感じている方もいるかと思うので、ブログ本文として載せることにしました。

僕の文章や態度が、「傲慢に感じる」としたら、人それぞれ受け止め方があるのでそれは構いません。しかし、記述に対して「大風呂敷を広げている」と非難されるのは別問題で、これはいわば、僕の書いていることが嘘であるとか、大袈裟に事実を婉曲していると言われているのと同じであり、ジャーナリストとしては非常に心外ですので、少し言及しておきたいと思います。

以前から何度も強調しているように、カメラマンという立場もあり、僕はあくまで「現場での視線」というものを最重要視しています。ですから、こうすべきだ、ああすべきだ、という机上の理想論とはどうしてもかみ合わない部分も現実的にはでてくるわけです。

今回の議論のもとになった、「ジャーナリスト(もしくは第三者)が現場に存在していることによって防ぎえる犯罪」についても、確実に存在することは現場に立つ者ならだれでも感覚的にわかることだと思います。ただ、それを証明せよ、といわれても、実際におこらなかったことですから、100パーセントの「事実」として証明できるわけではありません。

**komさんの書いているように、これはあくまで「予防」のことを話しているのであり、たとえば伝染病などの場合、もし病気が蔓延していたら10人が死んだか1万人が死んだかなどと事実として証明できないのと同じだからです。

これをもって、「根拠に乏しい」と思われるのは構いません。しかし、この一例のみで自分が納得いかないことを理由に、僕のブログで書いていること全てに対し「大風呂敷を広げている」と批判されるのはいかがなものか。

ムニースの件にしても、彼が脱走兵であることなど事実としてとうに認定されているからこういう記事を書いているわけであり、ジャーナリストとして裏取りが当然なことなどこの仕事をしている上で重々承知しています。

このようなケースの場合、自ら「自分は脱走兵」であるというムニースの自白をとることだけが裏取りではないでしょう。健康悪化などの緊急事態が起こったわけでもなく、報告もなしに休暇期間が過ぎても部隊に戻らなず、すでに数週間が経っている。さらに実家はすでにもぬけの殻。。。さらに、これはブログには書きませんでしたが、同じ部隊の兵士の証言によれば、ムニースはマイ・スペースというウェブサイトの自分のページに、「こっちでいい生活を送っているよ。もう帰らない」というような書き込みを残していたそうです。(すでにページ自体が削除されている)これだけの事実確認がそろっているのですから、これが僕らにとっては裏とりです。

しかし、えどしんさんは、ムニース本人から自白をとらなくては証拠にはならない、という。もちろんそれができれば越したことはないでしょう。しかし現実的に、これだけの重罪を犯した人間がそうやすやすと見つかると思いますか?仮に見つかったとしても、彼が嘘をつくかもしれない。今回の場合、僕らには、前述したとおりの現実的証拠がそろっており、ある意味これらの事実は彼の自白よりも確固とした証拠ともいえるのです。

公に向かって責任をもって発信しているブログですから、事実確認や裏取りくらいきちんとしなくては書けないことは承知しています。しかし、僕は新聞記事を書いているわけではないので、そういう裏のことまでブログでいちいち説明する必要はないし、そういうテクニカルなことが読者に知ってもらいたいポイントではないのです。

>なるほど、報道の看板を掲げれば、勝手に撮って、勝手に載せられると
>法で保障されている。したがって、報道写真は撮られる側への配慮は
>不要。高橋さんはそういう考えであると了解しました。

イラク人家庭に対する「撮影に対する同意」の件での上記のコメントですが、これも現場を知らない人がただ正義感を振りかざしてカメラマンを非難しているとしか思えません。

相手とコミュニケーションをとりながら撮り重ねていくドキュメンタリーやフォト・ストーリーと違い、現実的にこのようなニュースの現場では被写体との接触はほとんどありません。次々と変っていく状況に対応していかなくてはならないし、現実的に戦場などで被写体ごとに話をする時間などないのです。極端な場合、時には走りながら撮らなくてはならない時だってあるのですから。確かにそういう意味では冷酷だと思われても仕方がありませんが、僕らの仕事は、ニュースの現場では(前述したように、時間をかけるドキュメンタリーとは違いますから混同しないよう)、目の前でおこっていることをできるだけ忠実に「記録」することなのです。その記録を発信することによって、世間に「現実」に起こっていることを伝える。そういうジャーナリズムの目的が世間で認知されているからこそ、法律でもニュース写真では被写体の了解をとる必要がないと定められているのではないでしょうか。

もちろんこれにも程度の問題がありますから、たとえばダイアナ妃を死に至らしめたパパラッチ・カメラマンのように、有名というだけで必要以上のプライバシーの侵害には同意できませんし、そこにはモラルや自己制御が必要になってきます。しかし、こういう場合とイラクやリベリアの戦場で、被害にあった人々を撮ることとは同じではないでしょう。僕はイラクの家宅捜索などの場合でも、特に女性などから「写真を撮らないでくれ」と頼まれれば僕はまったく撮らないか、顔が写らない様な角度で撮るようにしています。ですから、いちいち了解はとらないけれど、撮らないでくれといわれればよほど必要と思われない限り撮らないようにしている、と解釈してもらって結構です。

えどしんさんがどんな職業でどんなバックグランドをお持ちの方かは知りませんが、「大風呂敷を広げている」などと相手をうそつき呼ばわりする前に、ご自身の狭い価値観や「机上の理想論」を超えた、現場での状況まで想像を広げた現実的議論をお願いしたいと思います。

脱走兵ムニース

2007-09-13 03:16:58 | 中東
日曜日に突然衛星モデムが故障し、修理不能になった。

コミュニケーションの手段がなくなっては仕事にならないので、木曜あたりまで従軍する予定だったところをやむなく早めに切り上げて昨日イラクを後にしたのだが、しかしなんと言うタイミングか。。。故障したのが締め切り日の翌々日。これが数日前だったらエライことになっていたなあ。

以前にも書いたように、今回は写真のみならずビデオの編集、電送まで撮影と並行しておこなわなくてはならず、この時間のかかる作業のおかげで従軍中は一日4時間ほどしか睡眠がとれなかったのだが、昨夜は久しぶりにホテルの柔らかなベッドでゆっくり寝ることができた。

6月にはじめたこのイラクのプロジェクトは、ひとつのプラトゥーン(小隊)の米兵18人と、彼らの家族を数ヶ月ごとに追っていくドキュメンタリーだが、そのパート1と今回のパート2が先日トリビューンのサイトにアップされた。
http://www.chicagotribune.com/platoon

パート2のストーリーのひとつにもなっているが、僕らが今回イラクに戻ってくる直前に、この小隊から一人の脱走兵がでていた。

小隊のなかでも一番若い20歳のムニースが、8月に休暇でアメリカに帰ったきり、期間を過ぎてもイラクに戻ってこなかったのだ。(陸軍兵士には12-15ヶ月の派兵期間のうち2週間の休暇が与えられている)

米国での脱走の罪は重く、法的には死刑になる可能性もある。それほどのリスクを犯してまで、ムニースはイラクという戦場に戻ることを拒んだのだ。

6月にムニースと話をする機会があったが、彼は兵士になる前、麻薬の密売人だったという。マイアミに住んでいた彼は、儲けた金で豪遊し、ナイトクラブで一晩に2000ドル、3000ドルを使うことも珍しくはなかったらしい。

そんな派手な生活をしていた自称プレイボーイのムニースだったが、陸軍にはいってからは随分更正したようで、「もうあんなことはやっていられない」「落ち着きたい」とこぼしていたし、パトロールでは、歩兵としてバグダッドの街を歩くのが怖いので、車から降りなくていいドライバーを志願していたという意外に小心な面もみせていた。

彼はすでに妻の出生地であるメキシコあたりにでも逃亡していることだろう。スピード違反ひとつで捕まっても身元が割れてしまうし、正式に就労もできないので、アメリカで暮らしていくのは難しいからだ。

イラクで死ぬくらいなら一生逃亡者となるほうがいい、とでも思ったのだろうか。。。死刑のリスクを犯してまでなぜムニースが脱走したのかはわからない。いずれにせよ、彼の脱走は残された小隊の兵士たちには随分なショックだったようだ。

「あのくそったれ野郎。。。」兵士達の多く、特に彼と歳の近い若い連中はいまだにムニースを許せないでいる。派兵前の基礎トレーニング時代からイラクの戦場まで、苦労を分かち合ってきた彼ら「兄弟」たちにとって、ムニースの行為は 裏切り以外の何物でもないのだ。

残された兵士達の怒りはもっともだし、よく理解もできたが、実は彼らの話を聞きながら僕はちょっと冷めた頭で冗談半分こんなことも考えていた。

「一掃のこと米兵全員が脱走してしまえば、また世界も変るかな。。。」

(写真:軍用車の運転席でたたずむムニース)

深夜の家宅捜索

2007-09-09 00:49:06 | 中東
従軍をはじめて1週間がたった。

9月半ばとはいえまだまだバグダッドは暑く、日中は50度ほどになる。湿気は少ないものの、陽の下に立っていると、肌がじりじりと焼けていくような「痛み」に近いような感触をうける。

今週はずっと夜の作戦だったので暑さはそれほど苦にならなかったが、電気のない家も多く、暗い中での写真撮影は結構きつかった。

深夜のレイド(強制家宅捜索)が主な作戦で、集められた情報をもとにテロリスト容疑者の家を抜き打ちで捜索するのだが、深夜にキャンプをでて戻るのは朝7時くらい。それから仮眠をとって写真とビデオの編集、電送をおこなわなくてはならなかったので、一日4時間ほどしか寝られなかった。 

今週僕の同行したレイドは4件。小隊は計3人の容疑者を逮捕、拘留したが、どの家からも証拠となるような武器や爆弾類は何もみつからなかった。拘留された容疑者たちもすべて2、3日で釈放されている。

僕は2004年に海兵隊に従軍して同じようにレイドの取材を続けておこなったことがあったが、そのときも、間違った家を捜索したり、容疑者は存在しなかったりと、あまり効果があるようには思えなかった。というより、深夜突然家に押し入り、無実の市民を拘留することによって、逆に反米感情を高めてしまうのではという危惧を感じていたのを覚えている。

もちろん僕はひとつの小隊に従軍しているだけなので、イラクの状況の全体像がみえるわけではないし、あくまでミクロの眼でみた僕の経験に限る話だが、3年が経った今も、レイドに関する状況はあまり変わっていないようだ。

これは、バグダッド陥落からすでに4年が経ちながら、いまだに米軍が治安を回復できない理由の一端でもあろうと思う。

米軍は、テロ容疑者を捕まえるためには地元民からの情報に頼らざるを得ない。何処にどういう人間が住んでいるか、それは地元の人にしかわからないからだ。

度重なる爆弾テロや治安の悪さに嫌気がさした市民達が、少しづつ米軍のホットラインをとおして状況を提供するようになってきた。これはいいことなのだが、情報提供者が必ずしも善意に基づいているわけではないことも少なくない。権力争いの結果、相手を陥れるために米軍を利用したり、または単に報酬目当てに情報をでっち上げる場合もあるからだ。

こういう信憑性に欠ける情報にも頼らざるを得ないのが米軍の現状であり、それだけ真犯人を捕まえる確立が落ちてしまうわけだ。

僕は正直言って、レイドの取材はあまり好きではない。それが本当にテロリストの家ならともかく、僕の経験に限れば、前述したように無実の市民達がとばっちりを受けているケースのほうが遥かに多いからだ。

夜中に突然踏み込まれ、捜索のために寝室や居間をめちゃくちゃに荒らされて、あげくに一家の主や息子を連れ去れ途方にくれる女性達のことをみるにつけ、どうにもやるせない気持ちになってしまうのだ。

兵士の自殺

2007-09-03 23:45:16 | 中東
先週末、ちょうど僕が部隊についたその数時間前に、部隊から一人の自殺者がでた。

僕らが取材している小隊の兵士ではなかったが、2ヶ月前に来たときに同じ兵舎で寝泊りしていたので、彼とは顔見知りだったし、何度か話をする機会はあった。

小柄で痩せており、典型的なマッチョ兵士のタイプではなかったが、それでも人のいい奴だなと思ったのを覚えている。アメリカの家族から送られてきたお菓子などを、「食べるかい?」と気前よく分けてくれたこともあった。どんなことを話したのかあまり覚えていないのだが、彼がラスベガスの出身だったということは、坊主頭の痩せた顔とともに、はっきりと僕の記憶に留まっていた。

彼と同じ小隊の兵士の話では、彼は1ヶ月半ほど前に一度、ピストルを顎につきつけて自殺未遂を図っていたという。その後いったん小隊から離されカウンセリングをうけていたが、カウンセラーの判断でまた小隊にもどされた。その矢先の自殺だった。

仲間の兵士たちはみな、どうしてカウンセラーがまた彼を小隊にもどしたのか、首を傾げていた。

彼はいつも孤独なタイプで、部隊内に友人もほとんどいなかったという。
「あまり歩兵部隊には向いていなかったと思う。同じ陸軍の仕事でも、事務仕事を扱う部署などもあるし、そういう場所の方が彼にはよかったのでは。。。」
仲間の一人はそう語った。

彼がどうしてそこまで追い詰められてしまったのか、僕には知る由もない。しかし、陸軍の上司が個人の性格をもっとよく見極めて、適材適所の任務を与えていれば、彼も自殺などせずにすんだかもしれない。

戦争は、爆撃や銃撃といった戦いによってのみ犠牲者を出すわけではない。

ワシントンポスト紙によれば、イラクを含めた戦場で、彼のように自ら命を絶っていった米兵の数は昨年99人。陸軍が記録をつけ始めたここ26年間で史上最高の自殺率になったという。