前回のブログに書いたように物置の整理をしていたら、昔のネガのファイルと一緒に日記のようなものがでてきた。数枚のレポート用紙に当時の自分の気持ちがだらだらと綴ってある。
こんな物書いたかなあ、いや、書いたような気もするなあ、と、記憶は曖昧なのだが、ここに綴られている僕自身の気持ちは今でもはっきりと覚えている。
アメリカに来たばかりの1990年、当時つきあっていたアメリカ人ガールフレンドのメイン州の実家に、冬休みを利用して遊びにいった時のことだ。
自分の日記なのでちょっと恥ずかしいが、そのまま少し引用してみる。
「。。。毎日毎日みんなとテーブルを囲んでゴタゴタとローカルな、自分の理解できない話をされて、完全に自分がおいてきぼりになったときの孤独感は本当にみじめなものだ。なによりも自分自身に腹が立つ。これだけ長い間英語を勉強しているのにも関わらず、そのうえ渡米してからもうかれこれ6ヶ月にもなるのに、自分の英語力に全く進歩がかんじられないことだ」
「。。。せめてもう一人日本人がいて、自分の意志を鉄砲玉のようにダダダダッと表現できれば(アメリカ人の目の前ならもっといい)どんなにすっきりするだろうかと思う」
そして、こんなことまで殴り書きしてある。
「だまれ、うるさい、お前らの話なんかききたくない。胸がむかむかする。早く俺を一人にしてくれ」
今読み返すと赤面ものだが、相手の言っている事がよく理解できず、かつ自分の意見もいえないというもどかしさ、それも相手が自分のガールフレンドの家族ということで、この時のフラストレーションは相当なものだったことが思い出される。
このあと僕は、英語で意思の疎通をはかろうという努力をあきらめて、自分をシャットダウンした時期さえしばらくあったのだが、そのうちに「相手が自分の英語を理解しないのは俺のせいじゃない。俺の発音が聞きとれない相手が悪いんだ」という、驚くべき自己中心的な開き直りの発想転換で、英語の生活に順応していったのだ。
それから18年。ネイティブのようなという訳にはいかないが、言葉で日常生活に不自由する事も無くなった。
今でも時折、英語をうまく話せない人間を見下げたように軽くあしらうアメリカ人を目にする事がある。そんな場面に接するたびに、嫌な記憶がよみがえってくる。僕もたどたどしいながら英語で話す努力をしているのに、きちんと聞いてくれようとせず、まともに相手にされなかった経験はいくらでもあるからだ。
アメリカ国内はもとより、取材で国外にでるときなど、英語を母国語としない人々と接する機会が少なくないが、自分自身の苦い経験のお陰で、得意でない英語を使ってコミュニケーションをとろうとしてくれるそんな人々に対しては、僕はきちんと眼を見て、辛抱強く会話をすることを心がけるようになったのだ。
言葉ができない、というだけの理由で、人間としての価値まで下げられてしまってはたまらないだろう。
写真とは関係のない話で失礼。
こんな物書いたかなあ、いや、書いたような気もするなあ、と、記憶は曖昧なのだが、ここに綴られている僕自身の気持ちは今でもはっきりと覚えている。
アメリカに来たばかりの1990年、当時つきあっていたアメリカ人ガールフレンドのメイン州の実家に、冬休みを利用して遊びにいった時のことだ。
自分の日記なのでちょっと恥ずかしいが、そのまま少し引用してみる。
「。。。毎日毎日みんなとテーブルを囲んでゴタゴタとローカルな、自分の理解できない話をされて、完全に自分がおいてきぼりになったときの孤独感は本当にみじめなものだ。なによりも自分自身に腹が立つ。これだけ長い間英語を勉強しているのにも関わらず、そのうえ渡米してからもうかれこれ6ヶ月にもなるのに、自分の英語力に全く進歩がかんじられないことだ」
「。。。せめてもう一人日本人がいて、自分の意志を鉄砲玉のようにダダダダッと表現できれば(アメリカ人の目の前ならもっといい)どんなにすっきりするだろうかと思う」
そして、こんなことまで殴り書きしてある。
「だまれ、うるさい、お前らの話なんかききたくない。胸がむかむかする。早く俺を一人にしてくれ」
今読み返すと赤面ものだが、相手の言っている事がよく理解できず、かつ自分の意見もいえないというもどかしさ、それも相手が自分のガールフレンドの家族ということで、この時のフラストレーションは相当なものだったことが思い出される。
このあと僕は、英語で意思の疎通をはかろうという努力をあきらめて、自分をシャットダウンした時期さえしばらくあったのだが、そのうちに「相手が自分の英語を理解しないのは俺のせいじゃない。俺の発音が聞きとれない相手が悪いんだ」という、驚くべき自己中心的な開き直りの発想転換で、英語の生活に順応していったのだ。
それから18年。ネイティブのようなという訳にはいかないが、言葉で日常生活に不自由する事も無くなった。
今でも時折、英語をうまく話せない人間を見下げたように軽くあしらうアメリカ人を目にする事がある。そんな場面に接するたびに、嫌な記憶がよみがえってくる。僕もたどたどしいながら英語で話す努力をしているのに、きちんと聞いてくれようとせず、まともに相手にされなかった経験はいくらでもあるからだ。
アメリカ国内はもとより、取材で国外にでるときなど、英語を母国語としない人々と接する機会が少なくないが、自分自身の苦い経験のお陰で、得意でない英語を使ってコミュニケーションをとろうとしてくれるそんな人々に対しては、僕はきちんと眼を見て、辛抱強く会話をすることを心がけるようになったのだ。
言葉ができない、というだけの理由で、人間としての価値まで下げられてしまってはたまらないだろう。
写真とは関係のない話で失礼。