Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

リベリアへ。。。

2006-11-26 14:02:40 | リベリア
ようやくリベリア行きが決まった。

この国を訪れるのはこれで4度目になるが、僕が3年前の内戦時から追い続けているムスをはじめとした子供達の近況取材のほかに、今回の訪問には特別な理由がある。

内戦で孤児となった少女ギフトが、アメリカ人女性の養子になることが決まったのだ。

昨年末にトリビューンで発表された僕らの記事を見て、ジョディというこの女性がギフトのことを知り、養子にすることを決意した。実は今年の初めから僕はジョディと連絡をとり、フィラデルフィア郊外にある彼女の家にもすでに訪れていたのだが、養子が正式に決定するまでは公表するつもりはなかった。

当初の予定では8月あたりには養子が実現するはずだったが、アメリカ及びリベリア両国の養子に関する法律が複雑なうえ、やたらと時間がかかる。この手続きを待っていたので、僕のリベリア行きも延び延びになっていたのだ。しかし、遅滞の続いた長いプロセスも、遂に最終段階がやってきた。ギフトをひきとる手筈は整い、昨夜ジョディから、彼女が来月早々にリベリアに向かうことになったと連絡をうけた。

僕の出発は火曜日。ジョディよりも1週間ほど早くリベリアに着き、彼女を待つ間にムスやモモ、ファヤなどの子供達を訪ねる予定だ。そして、ギフトの米国パスポートが発給され次第、この新しい母娘と一緒にアメリカに戻ってくる。日本の人々から寄せられた募金も、これでようやくリベリアの子供達に持っていくことができるので、ほっとしている。

このギフトの養子に関して、僕の胸中にはいろいろな想いが巡っているが、のちに順を追って書き綴っていこうと思う。

家族をすべて殺され、つらい思いしか残っていないリベリアから逃げ出したがっていたギフト。いまはただ、もうすぐ夢が叶うであろう彼女の笑顔を見るのが待ちきれない。。。










サンクスギビングとパティー

2006-11-24 04:58:25 | 報道写真考・たわ言
サンクスギビング・デーには、いつもパティーのことを想いだす。

AP通信ボストン支局にステファンというスタッフ・カメラマンがいるが、僕がまだ駆け出しの頃、よく面倒をみてくれたのが彼だった。パティーはそのステファンのワイフで、彼らの間には4人の子供達がいた。

もう10年ほど前になるだろうか、伝統的に家族の集まりであるサンクスギビングのディナーに招待してもらって以来、僕は毎年決まってこの祝日はステファンの家で過ごすようになった。お決まりの七面鳥料理の他に、イタリア人であるステファンのつくるミートボール・スープは絶品で、これを食べるのが僕のサンクスギビングの楽しみだった。

パティーは、まだ永住権がとれなくて僕が悩んでいた時も、「それなら私達が養子にしてあげるわよ」などと言ってくれるほどに気にかけていてくれており、アメリカでひとり生活していた僕にとって、彼らはいわば第二の親のような存在だった。

2001年、そのパティが脳がんの宣告を受けた。

医者の予想では6ヶ月ほどの余命といわれていたが、未成年の4人の子供をおいていくことはできないという気持ちがあったのだろう、副作用の厳しい治療に耐えながらもそのあと2年間頑張った。

僕が初めてのイラクでの従軍を終え、ボストンに戻った直後、ついにパティーは帰らぬ人となった。戦場での報告をしようと彼らの家を訪れた僕の目の前で、ステファンと4人の子供達に見守られながら息をひきとったのだ。

その翌年僕はシカゴに移り、以来ステファンの家を訪れることができないまま、昨日でもう3回目のサンクスギビングを迎えてしまった。葬式のときから彼女のお墓参りにも行っていないし、なんだか申し訳ない気がしている。

「ステファン家の七面鳥と、特製ミートボールを食べに来なくちゃだめでしょう!」

そんなパティーの声がきこえてきそうだ。



安すぎる原稿料

2006-11-18 19:36:04 | 日本
先日、日本の政府関係の組織から、原稿の執筆を依頼された。

まだ書いている途中なのであまり具体的なことはいえないのだが、提示されたその原稿料があまりにも安いので、それを聞いた時、正直言って開いた口が塞がらなかった。

先方がいうには、「国の規定により」原稿料が決まっているのだという。

僕は公務員ではないのに、その労働に対する報酬は交渉の余地もなく「国」の規定に従わなくてはならないわけだ。

まあ、それでも一応決まりというものがあるのならこれはある程度理解できるとして、問題は、国は何を基準に原稿用紙一枚に対する原稿料を決めているのか?ということだ。

提示された額は、贔屓目にみても一般紙の平均的原稿料の3分の1以下である。

これを政治家や公務員の給料に当てはめるとして、彼らの給料が、民間の会社員の3分の1以下なんてことがありえるだろうか?

そう考えると、この原稿料は全く正当な基準で設定されたとは思えないし、まさか、「国のために『書かせてやっている』のだから、原稿料など安くていいのだ」という傲慢な姿勢であるとまでは思いたくないが、少なくともこの安さは僕ら執筆者の労働に対する蔑視だと思う。

この件について詳しい方がいたらぜひ事情を伺わせてください。

まだ風邪

2006-11-15 08:35:27 | 報道写真考・たわ言
もう4日たつが、まだ風邪が治りきらない。

2日休んで出勤した昨日も、咳がでるので撮るものだけ撮ってさっさと家に戻ってきた。体を動かしていないので、欲求不満もたまってくる。

寝苦しい夜を過ごしながら、ふと高校生時代のことを思い出していた。

バスケットボール部に所属していたが、部員数が少ないうえにやたらと練習がきつい。人数が減るときついトレーニングの順番が回ってくる速度が増すので、多少の怪我や風邪などではとても練習を休める状態ではなかった。残ったメンバーに大ひんしゅくをかうことになったからだ。

だからあのころは、喉が痛くて鼻水をながしていても、練習だけは休めなかった。よくやっていたなあ、としみじみ思う。いまならそんな無茶をしたら、肺炎でも併発してえらいことになることだろう。

だけど、そんなきつい猛練習をこなしてきたから、体力にはある程度自信がある。

50度を超える真夏のイラクにいても、「アフリカ大陸の脇の下」とよばれるほど蒸し暑い西アフリカにいても、文句をいいながらも病気にもならずにやってきた。

しかし、いざこうやって風邪をひいてぐずぐずとしていると、気力さえもがでてこない。

さすがにもう高校時代のようにはいかないな。。。もう歳???

風邪?

2006-11-11 13:39:17 | 報道写真考・たわ言
風邪ひいたようだ。昨夜からなんとなく身体がだるかったんだけど、今日の昼あたりから鼻汁が出て喉が刺されるように痛くなってきた。

風邪なんて、ここ3、4年まともにひいていなかったのに。。。

毎年流行るインフルエンザの予防接種も、覚えている限り少なくともここ5年ほどうけたことがないし、それでも全然平気だった。ところが2週間ほど前、会社で社員のための集団予防接種があったので、どうせ只だし、などと思って気まぐれでうけてきた。

予防接種のために、逆に体が急に入ってきたインフルエンザ菌に反応してしまった?なんていうわけではないだろうが、いずれにしてもしんどい。

やらなきゃいけないことは山積みなのに。。。

明日からまた仕事が始まるし(僕は金曜、土曜が休みのシフトなので)、これが悪化しないように今日はさっさと寝床にはいることにしよう。

選挙日に思うこと

2006-11-07 20:25:42 | シカゴ
今日は中間選挙の投票日で、僕も朝から候補者達の撮影で忙しかった。

中間選挙というのは、大統領選挙の中間にあたる年におこなわれる連邦議会選挙のことで、上院と下院の議員を選出するものだ。今回の選挙では、イラクの泥沼化によってブッシュの共和党への不信感が高まっており、民主党が前回の選挙で失った議席をかなり取り戻すと予想されているのだが、まあこの中間選挙自体のことはさておいて、アメリカにおける選挙権について、僕には日頃からちょっと心に引っかかっていたものがあった。

僕は現在、永住権保持者として(グリーンカード保持者)アメリカで生活し仕事をしているが、市民権をもっているわけではないので、選挙で投票する資格がない。

一般のアメリカ人と同じ税金を払い、国の財源に貢献しているにも関わらず、政治家を選ぶ権利は与えられていないのだ。僕は以前からこのことに関して少々不満を持っていたのだが、先日このことを友人に話したら、別に日本人という国籍をもっていて、ただアメリカに住んでいるというだけではそこまでの権利はもらえなくてあたりまえだと言われてしまった。逆の立場で、日本に仕事できて数年間住んでいるというだけの米国人が日本の選挙で投票できたらおかしいだろうと。。。

まあそれもそうだなあ、となんとなく納得してしまったのだが、考えてみれば、国民でないということは緊急時の兵役もないということだから、選挙権もない代わりにある程度の義務からも免除されているわけで、僕のような永住権保持者に選挙権も与えろというのはやはりちょっと無理な注文かもしれない。

アメリカで選挙の取材をするために感じるのが、一般市民の選挙に対する意識の高さだ。自分達の生活に直接関係してくるからという理由は勿論だが、若い頃から学校教育でも投票の権利や一票の重さというものをしっかり教えているので、日本などに比べるとはるかに一般市民の選挙に対する関心は高い。

投票日の夜は、テレビやラジオで開票状況が刻一刻と伝えられ、各候補者の支援者たちの集まるホテルのパーティー会場はお祭り騒ぎのようになるが、10代の若者たちから車椅子の年配者まで幅広い層が参加する。

いういう様子を目のあたりにしていると、日本の選挙がいかに一般市民の意識から抜け落ちてしまってるかがよく実感できて、ちょっと寂しくもある。

「誰が政権をとっても、同じことさ。。」そんなあきらめの声が聞こえてきそうだが、それは有権者自身に責任があるのではないだろうか。投票の棄権は権利の放棄であり、それによって国民のためにあるべき政治が、政治家のものになってしまっている。国民不在の政府、といわれるのも、そんなところから端を発しているんじゃないだろうか。

一人一人が、一票を通して自身の確固とした意思表示をおこなうことが生活改善のための第一歩だという意識をもって主権を取り戻せば、まだまだ日本を変えていくことも可能だと思うけれど、ちょっと甘いかな。

まあこんなことをのたまっている僕自身も、昨年ようやく在外投票の登録をしたばかりなので、とても偉そうなことは言えないのだけれど。。。










 

落葉の行く末

2006-11-02 11:59:01 | シカゴ
また寒い季節がやってきた。

夏人間の僕は暑いのはなんとかなるが、冬はつらい。特にシカゴの風は冷たく、肌を痛いほどに刺してくる。短い秋など感じる間もないように過ぎていってしまったようで、路上の木々からもすでにほとんど葉が落ちてしまった。

今日は仕事で「落葉の行く末」を撮ってきた。

この季節にシカゴ周辺の住宅地から大量に発生する落葉がその後どこへいくのかこれまで僕は考えてみたこともなかったのだが、今日の撮影を通して、市内から80キロほど西にある農場で細かく裁断され肥料として使われているということを知った。

はじめは「落葉の撮影なんて。。。」と全く乗り気ではなかったけれど、そのプロセスはなかなか興味深いものだった。

落葉は一度誰かに使用されたものというわけではないから、これをリサイクルとはよべるのかどうかは疑問だが、ただ燃やしてしまうよりは環境にもいいしずっと有意義な使用法だと思う。

数年前に異常気象とリサイクルのことを絡ませて記事を書いたことがあるが、この落葉の再生使用を撮りながら、ちょっとその記事のことを思い出した。
http://kuniphoto.com/kj0105_flood.html

環境にやさしいリサイクルをして、異常気象を防ごうというような内容だったのだけど、シカゴの場合冬の寒さはこれで当たり前なのだから、逆に異常気象にならない限り、僕にとって「過ごしやすい」冬にはならないわけだ。

異常気象を推進するわけにもいかないし、こればかりはあきらめて、厚手の靴下とジャケットを着こんで冬をしのぐしかないな。