Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

パソコンに向かって8時間。。。

2010-03-30 02:15:46 | 報道写真考・たわ言
ああ、疲れた。。。

この8時間ほどずっとパソコンの前に座りっぱなしでメールをうちまくっていた。

ある仕事で近々DRC(コンゴ民主共和国)に行くことになったので、ビザ申請のために4時半に起きて早朝の飛行機でデリーにやってきた。しかしいざ大使館の窓口に行くと「コンゴからの招待状がない」といちゃもんをつけられ、申請書を受理してくれないのだ。

以前ナイロビから申請したときはそんなものは必要なかったし、他の書類がそろっているんだからなんとかしてくれ、と粘ったが拉致があかない。これまでの経験上、アフリカ人なら押したり引いたりしているうちになんとかなるものだと思っていたが、今回は窓口がインド人だったのがまずかった。インドは普段はいい加減な奴が多いくせに、こういう役人になるとまったく融通がきかなくなる。上の大使と話しをさせろと言ってもとりあってくれないし、20分ほど頑張った甲斐もなく、こちらが負けて引き上げる羽目になった。

されそれからが大変だった。

DRCには行ったことがないので現地のジャーナリストやNGO関係者にも全くコネがない。ゲストハウスの部屋に籠って、東京の国連関係の人物からアフリカに詳しい記者まで、思い当たる知り合いに片っ端からメールをうったり電話をかけたり。しかし時差もあるのでなかなかコミュニケーションもスムースにいかない。

5時間ほど電話とメール、それに携帯テキストのやりとりをした挙げ句、ようやく紹介してもらった現地のガイドと連絡がとれ、彼から一応招待状を大使館にファックスしてもらうことができた。(余談だがスカイプのおかげで助かった。携帯からこれだけ国際電話なぞかけていたら眼もくらむような通話料になっていたところだ)

そのあとも、すっかりメールモードにはいってしまった頭と身体の勢いで、これまで返事をせずに溜まっていたものや、他の取材関係のメールのやりとりでさらに数時間を過ごす羽目に。ようやく今になって一息つけたので、遅い夕食をとった後、さぼっていたブログも「ついでに」アップしている次第だ。

しかし、ガイドから送ってもらった招待状も、じつに簡素であまり正規のものにはみえないので、また窓口のインド人に明日難癖つけられそうだなあ。。。正直言ってまだ心配は尽きない。

ヒマラヤの雪景色

2010-03-16 18:51:42 | アジア
撮影のため北部カシミール地方の山奥グルマーグで1日を過ごしてきた。

州都のシュリナガールを訪れたことはあるが、グルマーグまで足を伸ばしたのは初めて。ヒマラヤ山脈に抱かれたこの町は、スキー場としても人気の高いリゾート地だ。

今回の仕事はニュース関係ではなくて、この冬山で救急隊員として働くアメリカ人のポートレート撮影。某雑誌の表紙用だ。ティムという名のユタ州出身のこの男とは、会ったときからなんだか気があった。こういうときは撮影も楽になる。

景色のいいところを背景にということで、ロープウェイで到達できる一番高い位置まで登る。ここのロープウェイの終点は3979.50メートルで、世界一標高が高いらしい。停車場で降りると、そこはもう別世界。雪に覆われた山の頂はまさに息を呑むような眺めだ。スキーをしない僕はこういう場所を訪れる機会が滅多にないので、それは特に新鮮に感じられるのだろう。

ロープウェイの営業時間が終了し、一般客がいなくなるとあたりは静けさにつつまれた。

人や車はおろか、木々のざわめきや鳥の声さえも聞こえない、完全なる静寂である。こんな経験をしたのは何年ぶりだろうか、いや、ひょっとすると人生初めてかも。。。24時間ひっきりなしに車や人、おまけに鳩やカラスの喧噪に晒されているムンバイでの生活からはとても想像の及ばない環境だ。

撮影のため陽光がいい角度になるまでの待ち時間を含め、2時間ほど頂上付近で過ごしたあと帰路につくが、すでにロープウェイは終了している。スキーのできない僕は、救助用そりに乗ってティムに引っ張ってもらい下降することになったのだが、これがまた痛快な経験だった。

そりをつないで相当な急斜面を滑っていくので、引っ張るほうはかなりのテクニックが必要とされるだろう。さすが救助隊員、などと感心しながら余興もかねてビデオをまわしていたが、少しスピードがでてくると、雪の固まりがえらい勢いで吹き飛んでくるようになった。眼もあけられなくなるうえ、体中が雪で覆われ真っ白に。。。さらに背面に溜まった雪が溶け出して、濡れた尻が凍えるほどに冷えきってきた。

30分ほどかかったろうか、やっとの思いで宿泊するロッジそばまで辿り着いたころには靴もズボンもぐっしょり。それでもこの貴重な体験を楽しませてもらった。

ジャーナリスティックな意味合いはないけれど、こういう撮影ならたまには悪くはないな、と思わせてくれるひと仕事だった。

よく転ぶカメラマン

2010-03-13 18:45:56 | 報道写真考・たわ言
つまらぬことだが、最近なんだかよく転ぶようになったような気がする。

それも仕事中にだ。

数日前、州南部の田舎町で撮影中に、たかだか1.5メートルほどの段差のジャンプ着地に失敗し、膝を擦りズボンに穴をあけた。ひと月ほどまえも、足下のくぼみに気づかずに路上でこけ、肘を派手に擦りむいた。転ぶときは反射的に、肩から下げているカメラを守ろうとするため肘を犠牲にすることが多いのだが、このときはその努力もむなしく70-200ミリのレンズが大破。ポケットにいれていた携帯のスクリーンも破損し、そのうえ写真もろくなものが撮れず、という踏んだり蹴ったりの日になった。ちなみにこのときに壊したレンズはもう4週間以上たつのにまだ修理から戻ってこない。。。さすがインド。

もう7年ほど前になるが、友人のカメラマンQさんとイラクやリベリアなどの現場で撮影を共にしていたとき、よく転んで小さな怪我をしていた彼を笑っていたものだ。彼はたしか僕より7、8歳年上のはずだが、いまやそんな僕があちこち身体を擦りむいている。

ひょっとして歳のせい?そこそこ運動もして体力維持には気を使っているつもりだが、だんだんバランス感覚が後退してきたのか。。。いずれにしても高い機材をしょっちゅう壊すわけにもいかないので、すこし気をつけないとな。

最貧州ビハール

2010-03-08 00:56:02 | アジア
昨日ビハール州での取材から戻ってきた。

3日間と時間が短かったので一部しかみることはできなかったが、このインド最貧州の片鱗には触れることができたと思う。

州都のパトナは他の都市とそれほど変わらないが、一旦町を離れると電気もほとんど通っていない。訪れた田舎部から、日没後道路にも家にも灯のない闇の中を車のヘッドランプだけをたよりに戻ってきたこともあった。

この貧しいビハール州が、近年国内で2番目の経済成長を遂げている。

これまで小さな建物ひとつしかなかった村の公立学校にも校舎が増設され、教師の数も2倍以上になった。道路も整備されて交通時間も大幅に短縮。さらにパトナでは大規模なメトロ鉄道の建設も進んでいる。そして何よりも、以前はギャング団がはびこり、強盗や恐喝などとても安全とはいえなかったこの州の治安が著しく改善されたことは、誰もが口にする大きな変化だ。

これらの成果は、2005年の就任以来、汚職やギャングを摘発し、経済発展に力を注いだ州知事のクーマ氏の手腕に依るところが大きい。しかし、この経済成長が長続きするという保証はない。今年10月におこなわれる州選挙の結果次第では、治安、経済とも急転換してしまう恐れもあるといわれている。

汚職、腐敗に手を染め、ビハール州を「暗黒の時代」に貶めた前知事のプラサド氏がじわじわと巻き返しにかかっているといわれるからだ。

普通に考えれば、州の順調な発展を導いているクーマ氏を続投させるのが一般市民の利益に繋がると思うのだが、そう単純にいかないのが複雑なインドの政治。カーストや経済的な階層もさまざまで、市民といってもとても一括りになどできないし、それぞれの思惑も絡まるなか、プラサド氏を支持する人々も少なくはないらしい。

市民は果たしてどんな選択をするのか。。。ビハール州を垣間みることができたおかげで、10月の選挙に興味が沸いてきた。

(写真:近年建てられた携帯電話塔の前で遊ぶ子供達。経済成長に伴い、ビハール州では携帯電話の通話時間伸び率が国内最大になった)





ホーリ

2010-03-02 23:30:23 | アジア
先週末から月曜にかけて、またヒンドゥー教のフェスティバルを撮ってきた。しかしこの国は宗教がらみの行事が実に多い。数えてみた訳ではないが、恐らく毎週一度かそれ以上はどこかの町で祭り事がおこなわれているんじゃないだろうか。

ホーリというこの祭典は、別名「フェスティバル・オブ・カラー」。その名の如く色彩華やかな行事だが、春の始まりを告げる日でもある。

期待して町へ繰り出したのだが、結局ろくな写真も撮れず、散々な眼にあった。

この日は染料を溶かした液体をみなお互いの顔や身体にかけあうので気をつけろ、とカメラマン仲間から忠告されていたのだが、最初に撮りだした場所でいきなり頭からそれをぶっかけられた。それも背後からだったのでよける術もない。

服は汚れてもいいのを着ていたし、カメラも防水カバーをかけていたので特に問題はなかったのだが、顔と頭にべっとりとついた赤と緑の染料が石けんで洗ってもなかなか落ちない。この後も行く先々でべたべたと顔に塗りたくられ、もう最後はどうでもいいやとなげやりになっていたのだが、それよりも悔やまれるのは「レイン・ダンス」が撮れなかったことだ。

通常なら色のついた水をホースやバケツでまき散らし、それを浴びながら踊るこの「レイン・ダンス」が慣習なのだが、なんといっても今年のムンバイは水不足。水の無駄使いをしないように、との当局からのお達しを皆守っていたようで、市内ではこれを撮ることができなかった。色彩派手なレイン・ダンスは鮮やかな写真になるので楽しみにしていたんだけどなあ。ちなみに他の州では結構おこなわれていたようだ。

しかしホーリに参加(?)して、長年の疑問が一つ解けたのは収穫だった。

もう18年ほど前になるが、初めて南アフリカを訪れたときのことだ。インド人の多いダーバンで、僕は大晦日を過ごしていた。新年のお祝いを撮ろうと夜の海辺をぶらついていたのだが、午前0時、年が明けると同時に、「ハッピー・ニューイヤー!!」と叫びながらインド人の若者達がみな黒い靴墨をお互いを顔に塗り始めたのだ。否応なく僕の頬にもべったりと黒い墨が塗りたくられたのだが、しかしその後アメリカに戻り、知り合ったインド人たちにこの話をするたびに帰ってくる答えはいつも同じ。
「そんな風習は知らないなあ。。。」

それが昨日染料を顔に塗られたことで昔の記憶が蘇り、合点がいった。

そういえばみな「ハッピー・ホーリー!」と叫びながら色を塗り合っていたし、南アの靴墨もきっとこれに根付いた習慣なのに違いない。南アでは染料が簡単に手に入らないのかどうかは定かでないが、このアフリカの地に移住したインド人たちはホーリを新年に、そして染料を靴墨に代えて彼らの文化を引き継いでいったのだろう。

最近行事などの「軽い」撮影が続いたので、また水不足と環境問題のプロジェクトに戻らないとな、と思っていたら、例の如く急な仕事がはいって明日から東部のビハール州へ行くことに。ここはインドの最貧州のひとつなので以前から訪れてみたかった場所だ。何が撮れるか楽しみ。