Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
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ウェブの弊害

2008-01-31 13:35:28 | シカゴ
このところシカゴの冬らしくマイナス10度とか15度の極寒続きだったのだが、昨日は珍しく10度近くまで気温のあがる「暖かい」日になった。

しかし天気予報によればそれも夕方までで、午後3時過ぎから気温は下がりはじめ、夜には強風を伴う吹雪になるということ。昼夜のその気温差はなんと20度以上にもなるという。(珍しく予報はあたって、実際にそうなった)

午前中はフィリピンでの取材のビデオ編集などおこなわなくてはならなかったので、僕は撮影のシフトからはずしてもらっていたのだが、昼過ぎにデスクからこんな撮影を頼まれた。

「クニ、ちょっと風が強いところでも探して天気関係の写真撮ってきてくれないか?」

「それは構わないけど、まだ天候は悪化してないからほとんど風は吹いてないし、気温もさがってないよ。。。」

正直そんな撮影に出るのもちょっと面倒だったので、いぶかしげに僕がこう言うと、なんとこんな答えが返ってきたではないか。

「いや、ウェブサイトのチームが、早判のページにとりあえず吹雪の前兆のような写真を載せておきたいらしいんだ」

「???」

僕は唖然とした。

カメラマンは、現在目の前に起こっていることを記録するわけで、占い師でもあるまいし、これから起こる未来のことなど撮れるものではない。いや、占い師だって、将来のことは言い当てても、それを写真に撮る事なんてできないだろう。

大型台風でも予報されていれば、被害を防ぐために窓に板を張るなど「予防措置」をする人の様子を撮ることも可能だろうが、昨日程度の吹雪などシカゴでは特別なことでもない。いくら数時間後に吹雪になるといっても、実際に気温が下がって風が強くなってこなければ、こちらが頑張ったって求めている光景になど出くわすことなどあり得ないのだ。

そんなことはデスクも重々承知のはずなのに、とりあえずウェブページにアップデートする写真が必要なので、こんな難題をカメラマンに押し付けてきたのだ。

いくら理不尽な仕事とはいえ、手ぶらで帰るわけにも行かない僕は、結局ダウンタウンを2時間半歩き回った末に、風で旗がばたばたひらめいているようなどうしようもない写真を3枚撮ってオフィスに戻ってきた。

一応ウェブサイトには数時間その写真が載せられたけれど、僕としてはまったく腑に落ちない。

以前のように、翌日の紙面のためだけに撮っているのなら、写真入稿の締め切りは夜だし、実際に吹雪になってからその様子を写真を撮って新聞に載せれば済むことだ。それが刻々ページを更新していかなくてはならないウェブサイトでは、その都度写真のアップも求められることになる。締め切りが一日に何度もあるようなものだ。

そんなわけで、こんなカメラマンとしては理屈に合わない仕事も発生するようになってきた。

これも考えようによっては、僕らにとってのウェブ時代の弊害のひとつだ。

だけどいくらなんでも昨日のケースは、デスクが毅然とした態度でウェブ・チームの理不尽なリクエストを拒絶するべきだったよなあ、とは思うけど。


















旧友との再会

2008-01-27 13:07:36 | シカゴ
仕事が忙しいのに加え、ニューヨークを訪れたりとプライベートでもなんだかいろいろあって、すっかりブログ更新なまけてしまった。文章など全然書く気がおこらなかったのだ。これじゃあジャーナリスト失格か。。。でももともとカメラマンだし、筆不精なのはいつになっても同じだから仕方ないな。

2日前、極寒のシカゴで旧友に会う機会があった。

ハリーという名の彼は、僕がボストンにいた頃、いつも懇意にしてもらっていたカメラ店のオーナーだ。僕がボストン・ヘラルドで仕事をしはじめてすぐに知り合ったので、もう12年以上の付き合いになる。

その頃はまだ個人営業のカメラ屋だったのが、6,7年ほど前に大手のチェーン店カルメット・フォトに買収されて、ハリーはそのボストン支店のマネージャーになった。それから彼も随分出世し、今ではオペレーション部門のナンバー2。ここ最近は毎週シカゴに3日滞在し、残りをボストンで過ごすというタフな生活を続けているという。シカゴに来ていてもいつも打ち合わせ続きで忙しいらしいが、今週ちょうど都合のあった僕らは再会を果たすことができた。

彼と会うのももう4年ぶりになる。

ボストン時代に、機材を買うとき僕はいつも彼の世話になっていた。無理な価格で値切るので、僕に売っても彼はいつも儲けなし。まあ、他できっちり儲けてたんだろうが、それでも気に入ってくれていたようで、いつも無理をきいてもらっていた。

僕はハリーの家族にも何度か会って面識があるのだが、ひとしきり昔話に花を咲かせたあと、話題が彼の2人の息子のことになった。

時の経つのも早いもので、上の息子はもう29歳になったという。最後に会ったのは確か彼が大学卒業するあたりだったはずだ。3年前に結婚したといって、ハリーは式での写真をみせてくれた。都市名は忘れたが、カリフォルニア州の海辺に大邸宅を建てて住んでいるという。

「奴はいい仕事がみつかって、ずいぶん稼いでいるんだ。俺よりもずっとね。。。はははっ」

ハリーは苦笑いしながら半ば息子を自慢するようにそんなことを言った。

「カルメットでナンバー2の君より稼いでるって?息子は一体どれだけ給料もらってんだ?」

ハリーははっきりとは言わなかったけれど、会社の売買に関する仕事をしている息子は、年収3千万以上は楽に稼いでいるらしい。これを聞いて僕は半ば唖然としてしまった。

世の中に稼ぎのいい奴などごまんといるのはわかっているが、さすがに自分の知り合いでこういう人間がいるとちょっと複雑な気持ちになる。それも若干29歳だ。まあ朝日新聞あたりのスタッフは別にして、だいたいカメラマンやジャーナリストなどそれほど金には縁のない連中が多い。だから、年収3千万どころか、1千万といわれてもどうもピンとこない。

別に僕は、贅沢はできないにせよ生活に困っているというほどではないし、特に金銭的に大きな不満があるわけでもない。ただ、仕事に関してはまだまだ納得がいかない部分もあるし、新聞社のスタッフとしての限界もわかっている。

「それだけ金があれば、採算のことなど考えずに、1年でも2年でも世界中をまわって、納得するだけ写真撮っていられるなあ。。。」

だから、もしもそんなに収入があったら。。。なんて少し甘い夢をみてしまったのだ。

ちなみにハリーの下の息子だが、そちらもニューヨークのワールドバンクでバリバリやっているという。さすがユダヤ人一家。やはりビジネスに関しては才覚があるようだ。

久々の再会を機会に、僕は以前から欲しかった機材用のバッグを翌日カルメットに買いにいくことにした。普段は店頭になどでてこないハリーを呼び出して、ボストンにいた頃を思い出しながら、強引に値切る。

さすがのユダヤ人商人ハリーも、相変わらず僕相手には儲けなし。。。だ。











「人の好い」国

2008-01-15 14:22:07 | アジア
取材を終えて、今日の午後シカゴに戻ってきた。

僕は日本人でありながら、カメラマンとして仕事をはじめたのがアメリカだったし、取材先の多くがアフリカか中東ということもあって、これまでほとんどアジアを訪れれたことがなかった。タイに一度いったことがあるだけで、恥ずかしながら隣国である韓国も中国も知らないのだ。勿論フィリピンを訪れるのも今回が初めてだったので、滅多にない東南アジアでの経験を楽しみにしていたのだが、僕は期待していた以上にこの国を好きになった。

深い緑に覆われたミンダナオ島の自然も素晴らしかったのだが、なによりもフィリピン人は人が好い。他人であろうがすれ違いであろうが、こちらが微笑みかけるとほぼ例外なくいい笑顔が返ってくる。その笑顔がまた自然なのだ。

大都市のマニラでも、タクシーの運ちゃんや店の店員もみな愛想がいいし、非常に接しやすい。交通量の多い街の中心部で撮影していても、人が集まってくるわけでもなく、至る所にいる警備員や警官たちも全然煩くない。これがアフリカや中東だったら、3分もしないうちに「なんだなんだ」の人だかりになって、まともに撮影ができなくなるところだ。特にイスラム教の土地では、「なんの目的で写真とってるんだ」という質問攻めにあうことになり、その説明に苦心させられることが多い。

今回はイラク・プロジェクトの一環で訪れたので、貧困を含めたフィリピンの「暗部」に接する機会がなく、半ば観光客のようにこの国の表面的な部分しかみることができなかった。それで安易にいい印象だけ受けて帰ってきたのだが、これが「アジアの国」であったことはやはりおおきな理由のひとつだと思う。

ある日出店で安いながらも実に旨いフィリピン流焼き鳥を堪能しながら、自分が妙にリラックスしていることに気づいた。

行き慣れている中東やアフリカでも、どんな状況においても緊張感から開放されることはない。いつもどこからかの視線を感じずにはいられないし、常に外国人として意識をさせられてしまう。地元の人々の間に自然に溶け込むというということは非常に難しいのだ。

それがフィリピンでは、特に意識したわけでもなく、身体がこの土地に馴染んでいったようだった。

確かに同じアジア人だから顔つきも似ているし、中国系も多いので日本人とほとんど変わらない風貌のフィリピン人も少なくない。そんな部分でもかなり気楽だったし、僕らが訪れた場所はそれほど治安の問題もなく、極端に言って僕の住むシカゴよりも居心地が良かったともいえる。

いずれにしても、この国は僕がこれまで訪れた国のなかで、もっとも「人の好い」土地だったのは確かだ。いつになるかはわからないけど、また訪れることが楽しみな国が一つ増えた。









マニラより

2008-01-04 22:36:44 | アジア
取材で初めてのフィリピンに来ている。

イラク・プロジェクトで追っていた部隊のフィリピン人兵士が現在休暇で家族の元に帰っているのだが、彼が取材に同意してくれたことで、家族と過ごす様子を取材できる機会に恵まれたのだ。

11月に部隊から従軍中止を言い渡され、そこでプロジェクトも終わったはずだったが、これは思っても見なかった起死回生のチャンスとなった。尤もイラクでこの部隊に従軍できる可能性はほぼゼロなので、僕にとってはこれがイラク・プロジェクトのための最後の取材になるだろうけれど。。。

この兵士、ヤカピン軍曹は同じアジア人ということもあって、僕とは部隊の中でも最も気の会う存在だった。パトロールや作戦にでるときも、僕はほとんどいつも彼のトラックに同乗させてもらっていたし、暇な時間にも一緒にDVDで映画を観たりしたものだった。彼と奥さんの間には、年の明ける少し前にちょうど2人目の子供が生まれたばかりだ。

シカゴ、デトロイト、そして名古屋と乗り継いで、正味18時間以上のフライトの末ようやく昨夜遅くにマニラに到着。今日彼らの住むミンダナオ島のカガヤンに飛ぶ予定だったのだが、なんと悪天候のため飛行機がすべて欠航になってしまった。

明日の午後に行われる新生児のための洗礼の儀式はどうしても撮らなければならないので、なんとか明日の早い便に座席を確保しようと現在空港の中にあるチケットオフィスにいるのだが、ここがまた大混雑。もう2時間近くも待っているのに、整理券番号298番の僕らの順番はまだまだ先だ。これは先が思いやられると、時間つぶしにブログを書き始めた次第。。。

ーーー

結局3時間待った挙句ようやく午後の座席を予約したが、それでは洗礼の儀式に間に合わなく恐れがあるので、明日の朝の便からキャンセル待ちのスタンバイをすることにする。

というわけで明日は午前3時起き。昨夜も時差ぼけでほとんど寝られなかったので、もうベッドにはいることにしよう。