熊本熊的日常

日常生活についての雑記

京都での食事

2010年06月07日 | Weblog
京都ではなるべくきちんと作られたものを食べるということを心がけた。ひとりでふらりと入ってそれなりに満足できる店というのはそれほど無かったように思うが、今回の旅行ではそうした不便は全く感じなかった。

6月3日の夜は宿泊先に近い六角通りにあるガリーレというトラットリアで「おすすめコース」をいただいた。この店は魚介料理専門店だ。京都に在りながら明石や淡路といった瀬戸内海の幸を中心に使っているのだそうだ。19時頃に訪れた。寺町を歩いた後、空腹を覚えたので繁華街を外れて、なんとなく宿泊先方面へ歩いていて、この店の前を通りかかった。通りから中を覗くと奥行きの深い造りに見えるが、それは奥の壁全面に貼られた鏡の所為だ。どの席でもよいというので、カウンター席に腰掛けた。席からは厨房は見えない。厨房は鏡の向こう側で、カウンターの中は酒類やグラスなどが並ぶ。カウンターの中にフロア担当の若い男性がいて、料理を出す時にその説明をしてくれる。こちらも興味を覚えたことや疑問に感じたことは尋ねてみるので、自然に会話が成り立つ。料理もおいしかったが、会話も楽しかった。彼はこの店のアルバイトなのだそうだが、それにしては料理の説明がしっかりしていた。ちなみにコースのメインは鱸のポアレ。夏である。

6月4日の昼は樂美術館の向かいにあるShiじMaという店で「かんたんなお昼のコース」をいただいた。この店はおそらく民家だった建物だ。特に観光シーズンというわけでもない平日の昼間は静かである。通りに面したところから細長い通路を歩いて建物に至る。通路の両側には手入れの行き届いた草花が植えられてある。玄関を入ると靴を脱ぎ、通り側のテーブルに案内される。テーブル3つか4つほどの小さな店だ。窓からはさきほど歩いてきた通路や通りに面して建つ家の裏側にある庭が見える。手入れの行き届いた通路や庭の緑と室内の様子が言いようもなく気持ちよい。他に客がいなくて静かだった所為もあるのかもしれないが、レストランに来たというよりも知り合いの家を訪ねているような心持がする。店の人はフロアに1人と厨房に1人。厨房は席から見えないが、フロアの人との遣り取りと、なんとなく気配でそのように感じた。会話の言葉遣いの雰囲気から家族のようである。料理は前菜の盛り合わせにとメインと甘味だが、どれひとつとして出来合いのものが無い。香の物に至るまで全て手作りだ。しかも、家庭料理のように見えて、それに一手間添えられている。おいしいとかおいしくないとか、そういう味覚の世界を超えた料理だ。こういうものに出会うと、生きていてよかったと思う。

6月4日の夜は宿泊先の近くにあるカレー専門店の地カレー家でカレーをいただく。店の名は「地カレー家」だが「京都咖哩博物館」と銘打ってある。店内調理のカレーは特にこれといった特徴の無いありきたりのカレーなのだが、この店は日本各地で販売されているレトルトカレーを150種類以上取り揃えている。レトルトなのでそのまま持ち帰ることもできるし、この店で温めもらって食べていくこともできる。これはこれでひとつのアイディアだろう。偶然、地元のミニコミ誌と思しき取材の真っ最中で、そのやり取りを聞きながらいただいた。

6月5日の昼は佐川美術館のレストランで毎日数量限定のお弁当をいただく。弁当なのでお碗以外は作りたてというわけにはいかないが、食材の配置がたいへん凝っていて、蓋を開くと「おっ」と思う。味もまずまずで、目で楽しみ食べて楽しむという弁当の王道を行くものだ。私は12時数分前に注文して「最後のひとつ」と言われた。その日の来館客の多寡にもよるのだろうが、この弁当を食べようと思うなら、早めに食事に来たほうがよいだろう。

6月5日の夜は寺町の万寿寺に近い三里舞昧(さりぶみ)で前菜の盛り合わせと上海やきそばをいただく。中華を中心にアジア料理を揃えている店だ。夜は一人用のセットメニューのようなものが無いようなので、ひとりで行くと割高感は否めない。しかし、ひとつひとつの料理にこの店の独自色を出そうという意気が感じられる。アルバイトのフロア担当はもう少し料理の知識を持って仕事をしたほうがよいのではないかと思うが、全体としては感じの良い店だ。

以前にもこのブログのどこかに書いたかもしれないが、食べることは大好きなので、初めての土地を訪れたときに、そこで食べたものによって、その土地全体の印象が大きく左右される。京都は仕事では何度も訪れているが、個人的に訪れるのは今回が初めてである。おかげさまで大変満足して旅行を終えることができた。

※「京都咖哩博物館」の「哩」は口ヘンに「厘」

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