熊本熊的日常

日常生活についての雑記

職人

2009年07月30日 | Weblog
職場の休憩室に置いてあった「サライ」に野田岩のご主人のインタビュー記事が掲載されていた。80歳を過ぎても現役で「職人」たることを通し続けることの理由が語られていた。たまたま、今週の木工教室で夏休みのことが話題になったとき、木工の先生が「職人は休まないんです」とおっしゃっていたのを思い出した。そして、職人というのは「職」と「人生」が重なっている人のことを指すのだと了解できた。生きることが仕事をすることと同義だから、休暇もなければ定年もないのである。

学校を出て以来、勤め人として生きてきた。数年前から別の生き方を模索するなかで、勤め人であることの気楽さというものを改めて認識している。しかし、楽なことというのは続かない。年齢を重ねる毎に、雇用の機会は減っていく。今の老人とは違って、自分が本格老人になる頃には、この国の年金制度は破綻している。カヌーに乗って川下りをしていたら、先のほうが滝になっていた、というような状況に例えることができるかもしれない。

小学生の頃、海援隊の「母に捧げるバラード」という歌が流行したことがある。その歌詞にこのような一節があった。
「働いて、働いて、働き抜いて、
遊びたいとか、休みたいとか、
そんなことおまえ、いっぺんでも思うてみろ、
そん時ゃ、そん時ゃ、テツヤ、
死ね。
それが、それが人間ぞ。」
子供心に激しい歌詞だと思ったものである。それが今ごろになって、この歌詞の意味するところが自分なりに了解できたような気がしている。

生まれることは選べない。生を受けたら、それがどのような状況下であれ、その生を全うするのが生き物の務めである。どのような形でそれを終わりにするのか、そういうことを真剣に考えなければならない年齢に達し、思いついたことをあれこれ準備している。播かぬ種は生えぬ、という。自分も「職人」になりたいと思う。