くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

民営化

2007年09月28日 | Weblog
■郵政民営化が始まる。小泉政権の政治目標がようやく形になった、、てなわけだが、僕のすでに遠く薄れつつある在米生活感覚からすると、なんとまた遅れた、、って感じだ。

僕の学科担当のマクリー教授の専門は米国セキュリティー史、プライバタイゼーションであった。つまりアメリカ行政の歴史は民営化の歴史でもあるのだ。警察がセキュリティー会社に、消防署が消火消防会社に、監獄が民間の監獄に、そして裁判所が裁判会社になって退職判事が雇われて企業の損害賠償契約を作ったりするのだ。

権力集中は悪であり堕落である。国家は小さくなければならないという信念こそアメリカの原点である。フランス革命の思想とプロテスタントの精神が生きている。社会の活力の源泉は企業であり競争の自由である。だからこの自由とは企業活動の自由のことで、この自由を保障する独占禁止法こそがこのアメリカ資本主義を支える最も重要な法律なのだ。

そんなアメリカでは現在でも民営化があらゆる分野で叫ばれている。政府の権力は悪であり、映画TVでは政府機関の手でいつも陰謀が企てられ、それを打ち破るのは個人のアウトロー的ヒーローということになっている。「水戸黄門」はありえない話なのだ。

自由競争か社会保障か、アダムスミスかマルクスか、といったくくりで日本の社会保障制度を考え、公平や平等を優先させても地球的には公平とはいえない。日本社会は一握りの金持ち国家なのだからその国の富の配分がいくら公平でも地球的には関係がない。むしろ自由の制限、保護経済的政策が国際化の進んだ国家間では障害となる。

昨日のTVでみた「ホワイトカラーのアウトソース」の話が現実なのだ。日本企業の総務の仕事が中国に外注される時代になった。日本人しかできないと思い込んでいた仕事が優秀な若い中国人に簡単に取ってかわられる時代なのだ。生産の合理化で高性能の商品を売る時代はおわり、今は能力ある人材が国際的に流通する時代になったのだ。

技術開発、ファイナンス、マネジメントといった商品取引メインの世界は終わりを告げ、教育、コミュニケーションにより育成された人材流通の世界が来ている。国内の富の配分の公平さより経済的精神的自由の優先性が問われていると思う。

競争の自由から生ずる精神活動の活性化は人類の遺伝因子の進化の歴史と密接な関係があると思う。地球規模の富の分配はまだ未来の話。福祉の不公平より企業活動の自由。生産効率より教育投資の時代、、、と俺は思う。民営化思想のしみついたアメリカ経済にとっては当然のことだが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする