くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

憂鬱パートII

2007年09月01日 | Weblog
■うまくいかない車庫証明の仕事が続いている。前回のケースは申請者が探してきた新たな承諾者の土地も登録車がいっぱいで使えないどうしようということになり、いまだにペンディング中。

もう1件は承諾者が土地は誰も使ってないと言っているから登録されている車を消して新しい車が入るようにしてくれと言うが、所有者本人の同意なく他人の車を無登録車にすることはできない。車は実際は廃車されたのではなくどこかよそに止めてあるのだろう。ディーラーは以前そこで登録したはずだとねじこんでくるのでつい実際より大きなスペースがあるような図面を書いて申請する者がいるのだろう。だから実際1台しか入らないはずの場所に2台3台登録される結果になる。

土地の境界などはっきりわからないのが現実。隣地が公有地であれば賃貸できない形になるからから勝手に車を止めてあってもどこからもクレームがでない。そこで公有地分を含めたスペースで図面を書き収容台数を増やす操作も可能。前者のケースは以前そうした偽装がうたがわれて駐車台数がシビアになっている様子がうかがわれる。

実際だれが悪いということはない。皆現実を知らないだけだ。気が小さい者が貧乏くじを引いて悪者になってしまう。ディーラーは車を売らなけりゃいけないし、買主はスペースがあれば車を置けると思っている。気の小さい行政書士はやいのやいのいわれるとつい面倒でいい加減な図面を書いてしまうのだろう。

行政書士はエンドユーザーである所有者を直接に説得するという「説明責任」があると思っている。しかし依頼主であるディーラーは我々が接触することを嫌う。行政書士の車庫証明センター制度はディーラーの言い分だけ聞いて仕事をすればいいというシステムの中では責任の取れない行政書士ばかり育成してきた。と思う。責任をとって余計な説明をしてはディーラーが困ると言うのだ。なるほどそうかもしれない。

いちいちこんな案件で何日もつぶすなんてばかばかしい。かいあってちゃんと車庫証明がとれたあかつきには皆の満足と充足感があるだろうが仕事にならない。評価が次の仕事に繋がらない限り、これは趣味と自己満足の世界だ。与えられた条件でできない時は「できん」とだけ言うことが正解だろう。ここをこうしたほうがいいああしたほうがいいということはこちらから言うべきことではないのだろう。

「できない」と答えた案件については再度「こうすればできるんじゃないか」とか言ってきたが「できない」で通した。お互い重苦しい雰囲気だがそれがこの仕事のやりかただ。憂鬱と感じるのはまだまだ俺はプロじゃないからだろう。

ちなみに、そもそもの原因は「村」に車庫証明は要らないが「町」には必要だという規制区分にあることに気づいた。しかし規制あっての仕事、文句はいえない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする