草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

今日の俳句 / コスモス (九分九厘)

2008-10-30 | Weblog

秋風の旅ゆくところ石畳
畑に見る小さき林檎や羅馬の空
秋闌くる自分に宛てる手紙あり
秋の雨色沈めゆくライン城

コスモスの茎倒るるも花は天

今日の木曜日は月例の句会でした。自己主張の強い個性溢れる集いで、ますます賑やかな句会となってきました。最初の四句はドイツ旅行の句を出しました。最後のコスモスの句は、昨日訪れた近所のコスモスの丘で詠ったものです。コスモスが盛りを過ぎて高くなりすぎ、茎が倒れていたのですが、花だけは天に顔を向けていました。「花は天」に宗匠から考え直すように宿題を頂きました。正解を得るのにしばらく時間がかかりそうです。
                           以上
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今日の俳句(時代祭)/龍峰

2008-10-29 | Weblog
10月22日初めて京都の時代祭に出掛けた。当日は曇り、後半は小雨になったが、繰り広げられる平安絵巻の数々に堪能した。日頃TVでしか見たことのない、平安から明治の初めまでの天皇、公家、武士、女御、特使等から庶民に至るまでの衣装や道具の数々の実物を間近に見ることが出来た。正に生きた歴史の流れを2時間ぐらいで見ることが出来た訳である。

人垣の厚くなりゆく祭かな
時代ごと衣の変わりゆく秋の暮れ
しずしずと牛車すすみし秋大路

秋深し平安女御の笑みひとつ
腰細の時代祭のやっこかな

あらためて京都は歴史が一杯詰まった偉大な空間であることを再認識した。

写真は桓武天皇の神幸列である。
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今日の俳句/ドイツ・オーストリア旅行(其の五・最終)/ 九分九厘

2008-10-25 | Weblog
10月13日、オーストリアに入り、先ずはザルツブルグの南東に広がる湖水地方ザルツガンマートを観光。岩塩の取れるところで有名ですが、湖の多い美しい地方です。ハルシュタット湖とザンクトヴォルフガング湖で遊びました。夕方にザルツブルグに到着し、ここで連泊しました。



上の写真はザルツブルグ市のミラベル庭園から、ホーエンザルツブルグ城を撮ったものです。公園の両側にはモーツァルテーウムがあって、その音楽院には現在13名の日本人が留学しているそうです。写真に見える木は菩提樹です。モーツァルトの生家や城塞等市内観光の後、足も疲れ切って夫婦でこの黄葉の菩提樹の下のベンチで暫く休んでいましたが、音楽院から女性コーラスの素晴らしい練習の声が流れてきました。旅の終りの、心休まるひと時でした。このミラベル庭園は「サウンド・オブ・ミュージック」のドレミの歌のフィナーレが撮られたことでも有名です。

 モーツァルト生まれし家に暖炉あり
 旅の秋孫の土産にハーモニカ
 天高く蹄闊歩する祝祭劇場
 魔笛聞く城吹く風や秋深し
 ラジオ体操朝寒のザルツブルグ

この旅行記を書いていた途中になって、阿部謹也著「物語ドイツの歴史/ドイツ的とは何か」(中央新書)を読みました。この本の副題にある<ドイツ的とは何か>についての疑問に答えを見つけたいと思ったわけです。特に私の興味のある問題に限って、この本の要点を下記に書きます。

「ドイツは19世紀の近代に至るまで群雄割拠の領土支配の時代の歴史が続く。古くは神聖ローマ帝国の担い手としての、言語共通部族の帝国という認識はあったが、13世紀以降は事実上領域支配国家ラントとなる。古ゲルマン時代からドイツに住んでいた人々は樹木や泉そして山や川には、それぞれの霊があると信じていた。一種のアニミズム的な信仰を持っていて、彼らは森で木を伐る時も川で魚を捕る時も、それぞれの儀礼を営んでいて、神々や諸霊の世界と互酬の関係を結ぶという信仰を持っていたのである。この関係自体は呪術的関係であるが、キリスト教の普及とともにこれが解体されていくのである。キリスト教は贖罪すなわち自己の罪の告白を要請し、迷信や俗言そして民族的伝統を個人の罪として否定していき、ついにルターの宗教改革に至って完全にこれが解体される時代を迎えるのである。即ち、人間は長いこと他の人間たちとの絆を認識かつ顕示することにより自己の存在を確認してきたが、自己自体を告白することを余儀なくされ、それによってのみ他人が己を認証することになってきた。真実の告白は個人の形成という社会的な手続きの核心に登場してきたのである。ここにヨーロッパの個人の原点があり、この原点からヨーロッパの近代的個人が形成されていくのである。ここに日本人との根本的な違いがある。ところが、周辺国と違ってドイツではこのアニミズム的な感覚が近代まで残っていくのである。領土支配の群雄割拠により、11~12世紀からドイツには多くの都市国家が形成されていくのであるが、他国とは付き合いのないそれぞれの領主の采配による狭い都市文化を保持していくことになる。都市の内部は人間世界の日常の小世界であり、一歩外に出るとその城外は太陽や月までも含む自然の大宇宙と考える世界観が長く続くのである。(ルートヴィッヒ二世がノイシュヴァーンシュタイン城を建てのは19世紀の半ばです。すなわち北方プロセインのビスマルクが大ドイツ領をつくらんとして南ドイツの領主たちに買収を仕掛けて成功したわけですが、彼はこの金を使ってワーグナを可愛がり、とてつもない城を建てたわけです。この時代まで古きドイツの民族的伝統にこだわる封建世界が続いていたわけですが、これは明治の初期にあたり、私達にとってほんの一寸の昔の話なのです。)
さて、ドイツ史を音楽抜きでは語ることはできない。どの国をみてもドイツほどに多くの優れた作曲家を生んでいないのである。ドイツの音楽の形成は上記の述べた中世以来特に宗教改革以来の都市と深い関係を持っている。ドイツの都市市民は中世末から領邦権力の谷間で息を潜め、国家とも関係を持たず、狭い都市の範囲の中で宇宙に思いを寄せて暮らしてきた。領主に対する忠誠を含め、均質的な国民性を持つことになっていくのである。ここにおいて、音楽こそが天上と人間界を繋ぎ、地上の秩序として人間が生きていくための表現として理解されていく歴史を形成していくのである。その意味で音楽もドイツの観念論哲学と深い関係を持っているのである。かつてドイツを覆っていた森と泉はもはや都市には見ることができない。そのような嘆きが音楽にも哲学にも反映しているのである。いわば呪術的なものを多く抱え込んだ国が、近代化に直面し特異な能力で以てこれに対応したかにみえたが、かつての生活を支えたきたアニミズム的な憧憬は抑えがたく、あらゆる機会、すなわち政治、文化或いは芸術面にも大きな影響をいまだに背負っていると言わざるを得ないのである。ナチスの動向についてもそのような面を否定することはできないのである。」

以上の要点からすると、ある面日本の歴史と似通った面があることは否定できません。
それにしても、ドイツの町或いは郊外に出てもごみ一つあるわけでもなく、電柱も見かけないし、道中の立て看板もないし、田舎の草原は雑草は綺麗に刈られているし、建物の色調は法律で統一されているし、何ともどうにももう少し勉強をしないとコメントの出来そうもない国でした。



 ロマンティック街道のネルトリンゲンで美味しいアイスクリームを食べました。ドイツの子供たちは我々外国人を見ると例外なく、にっこりと笑って「ハロー」と言います。

旅は自己の再発見につながるという我が親友の言葉を噛みしめながら、今回の旅行記を終了いたします。一週間ブログを独占したことをお詫びするとともに、長らくお付き合い願いました皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。 
                               以上
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今日の俳句/ドイツ・オーストリア旅行(其の四)・白鳥城 / 九分九厘

2008-10-24 | Weblog
10月10日、ロマンティック街道の終わりに近いガルミッシュの街に入り宿をとる(二泊)。ここを拠点にノイシュヴァンシュタイン城(白鳥城)とアルペンのドイツ側最高峰のツークシュピッツェを観光しました。

ノイシュヴァンシュタイン城は今回の旅で、行きたかったもう一つの場所です。ルートヴィッヒ2世がワーグナーの楽劇に心酔しての、趣味が目的の居城であると知っていたからです。城の上から見るとルートヴィッヒ2世が選んだだけに、はたせるかな見事な絶景の場所に建っています。その昔、麓から城の門までは馬車で行くとしても、門から居住区のはるか城の上の方に行くには階段を歩く以外に方法はなく、神秘的な風景の中で趣味の世界に耽る為には、ルートヴィッヒ2世もかなりの健脚を持ていなくてはならないと思いました。広い厨房から食堂までに行くにも細い螺旋階段をかなり登る必要があり、料理も冷めてしまうし給仕の仕事も大変だったのではないかといらぬ心配もしました。住むために作った城ではないのです。結局彼はこの城で100日くらいしか住んでいなく、城も内部の半分以上は未完成のままです。彼は禁治産者に宣告されて、そのあとすぐに41歳の若さで湖に謎の投身自殺をしてしまいます。生前彼はワーグナの最大の庇護者であって、この城はワーグナの楽劇の題材を数多く部屋毎に描き、中にはタンホイザーを題材とした模擬洞窟の部屋まであります。趣味もここまで徹底すると生き方そのものまで変わってくるのでしょう。私はワーグナの作品はあまり好きでもないし、長時間の曲を全部聞き続けたことはありません。あの耽美的かつポリシンフォニックな、そしてこれでもかこれでもかの繰り返しの音に、何故にルートヴィッヒ2世が、そしてヒトラーも含めたドイツ人が、いたく心酔するその背景を是非とも知りたいと、今なお思っております。そのためにもこの城を訪問した理由がありました。次回にその問題に触れてみたいと思っています。


 只今外装工事中の白鳥城


 白鳥城の上から見る光景

 白鳥の動かざる湖冬近し
 白鳥の城高く秋澄みにけり
 高楼の石壁白く冷まじや
 ワグネルの耳底痛し暮の秋

翌日、ドイツの最高峰ツークシュピッツェ(2964m)に登りました。行きは登山電車で一時間半、帰りはロープウエイで20分の楽な登山です。上は零下5度Cくらいでしたが、天気は最高で、360度見渡せました。展望台で飲んだコーヒがおいしかったです。驚いたことにドイツ人はみんなビールを飲んでいました。


 ツークシュピッツェの上から

 アルペンの月はとっても青いのだ
 アルペンの嶺は銀色十三夜
 酸っぱくて秋はこれまでザワークラウト

登山当日の晩は十三夜にあたり、雲ひとつない月夜の晩になりました。

ドイツ旅行記も次はオーストリアのザルツブルグに入ります。次回で最終とさせていただきます。

 
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今日の俳句/ドイツ・オーストリア旅行 (其の三)・ロマンティック街道 /九分九厘

2008-10-22 | Weblog
10月8日、ヴュルツブルグを起点として南へロマンティック街道を走り、終点のヒュッセまで長時間走るのですが、この間古い城壁都市であるローテンブルグ(二泊)、ディンケルスビュール、ネルトリンゲンに立ち寄り、途中脇道にそれて田園の中にひっそりとあるヴィース教会にも寄りました。世界遺産を順次見ていったことになります。

ヴュルツブルグでは、18世紀に領主大司教が建てた豪華絢爛な世界遺産レジデンツを見学。ベルサイユ宮殿に劣らないものでした。絢爛な金細工装飾の鏡の間の話ですが、玉座の真後ろには仕掛けがあって、大司教の用足しのときに後ろから便器が出てくるようになっています。会議の最中に皆の前で堂々と用をする由。これを見れる人は大変に大司教の信任厚いということになり、希望者が絶えなかったとか。部屋の後ろ側は細い廊下になっていて使用人が世話をするバックヤードになっています。当時の偉い人の化粧は男でも七重の化粧をしていて、当然風呂に入ると後が大変なわけで、風呂嫌いとなるそうです。玉座の近くの柱には裏からつながった細い穴がいくつか穿いていて、ここから香の煙を常時出していたそうです、体臭を消すことも目的の一つですが、蚤を寄せ付けないようにするのが最大の目的とガイドは説明しておりました。なんと不便な宮殿だったのでしょう!

城壁都市ではローテンブルグがもっとも有名で、ドイツでも一に二を争う観光地です。これらの都市は11~12世紀にたてられたものが多く、街の真ん中に教会と市庁舎が建っています。カトリックとプロテスタントの抗争の歴史が繰り返されてきましたが、二つ教会が建っている都市は、二つの教派が並存しているところだそうです。

 回廊の城壁暗し蔦紅葉
 人形のからくり時計秋三時
 秋の灯やローテンブルグは石の街
 金融危機のありて早やクリスマス



 

写真上はローテンブルグを取り巻く城壁。高さ10mたらずの回廊式のもので、全周して5kmくらい距離です。下の写真は、早々にクリマス用品を売っている店があり写真を撮ったのですが、ガラスにローテンブルグの町の建物が写っています。気に入った写真の一枚です。

世界遺産ヴィース教会はその内部の絢爛さに圧倒されました。教会では珍しいロココ調の装飾がなされていて、18世紀に建てられた今も現役の巡礼教会です。

 巡礼の額ずく草原深き秋
 馬肥ゆる行脚で集う男女かな
 黄葉やイエスの傷の癒されし
 涙する奇跡の彫像曼珠沙華



草原に忽然と現われるヴィース教会



内部はロココ様式のヨーロッパ随一の装飾と言われています。祭壇の中央に「鞭打たれるキリスト」が祭られています。老いた農夫婦があがめていた像が或る日、奇跡の涙を流したということで、巡礼者が次第に増えて、ついにこのような立派な教会になりました。
 
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今日の俳句 /ドイツ・オーストリア旅行(其の二)・ハイデルベルグ/ 九分九厘

2008-10-20 | Weblog


10月7日連泊のリューデスハイムを出発、バスで二時間足らずでハイデルベルグに到着。今回の旅行で是非行ってみたいと思っていたところの一つです。私は大学の4年間を寮で過ごしましたが、寮歌に<ハイデルブルグの学び舎>というのがあり、酒を飲んでは大声で歌ったものです。特に文学部や医学部の先輩たちは、この地を聖地の如くあがめていましたので、一体全体どんな所か、それ以来一度行ってみたいと念願していたわけです。半世紀以上も前の話です。1386年に創設されたドイツでは最古の大学で、町全体が大学となっていて、人口13万人のうち学生が3万人といいます。第二次世界大戦では日本の京都や奈良の如く、連合軍の爆撃対象から外されたそうです。古い街並みの、期待に違わずのハイデルブルグでしたが、それはむしろ青春の回顧のなせる仕業だと思いました。

 学び舎の古き伝えや色落葉
 秋去るに哲学の道歩くべし
 黄葉の照りに華やぐ古き城
 青春に還る道筋秋惜しむ
 
ライン河の支流ネッカー川に架かっている、とても美しいアルテ橋から散策を始めたました。町の中央に70~80m四方くらいの小さな大学広場があります。その周りに創設期の建物群があって、その一つに創立の式典を行ったという校舎がありました。この建物が空中廊下で裏の建物につながっています。裏の建物は学生牢と称して、悪さをした学生を閉じ込める牢屋で、三日間水とパンだけの罰が与えられたそうです。反省がないと最長2週間閉じ込められるそうです。ただし授業だけは受けられたそうです。ドイツの大学は昔から牢屋を併設することが決まりとなっていたそうで、つい戦後になってから廃止されたそうです。この牢屋に入ると箔がつくというので、ひっきりなしに悪さが起こったという事で、どうやら日本の旧制高校の<ばんから>もここが発祥の地のようです。この広場の一角に創設の最初につくられた学科の建物があります。ガイドの説明によると、<音楽史学科>教室だそうです。一寸首をひねったものの、そうなんでしょう。別の通りには音楽家のシューマンの下宿がありました。2年間法律を勉強していたが、主任教授の助言によって音楽家への転向を決めたそうです。本当に弁護士なんかにならなくて良かった!

町の散策のあとは、岡の上にある今は廃城となっているハイデルベルグ城に登ったのですが、ここから眺める町の光景はまさに絶景でした。



冒頭の写真は、ハイデルベルグの城から街を見下ろしたものです。天気が良くていい写真が撮れました。小さく写っているのがカールテオドール橋(アルテ橋)で、川向うに理工系の建物があります。

終わりにある写真は、当日の晩に泊まった古城ホテルです。左手の真っ赤な小さな木は、マルバノキ(マンサク科)です。六甲山の森林公園や高山植物園でお馴染みの木です。こん場所で紅葉になっているのだ!と懐かしく思った次第です。
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今日の俳句 / ドイツ・オーストリア旅行(其の一)・ライン河/ 九分九厘

2008-10-19 | Weblog


13日間のドイツとオーストリアの旅に行ってきました。ちょうど黄葉の最盛期に遭遇したのが真に幸運でした。ドイツはどこに行っても、赤色の紅葉は数が少なく、一面黄色と赤褐色の彩です。 第一日目の午前中の小雨を除いて、あとは快晴の旅を続けることができラッキーな旅でした。最初の逗留地は<リューデスハイム>という小さな町でした。フランクフルトのすぐ近くです。この町は白ワインの産地であるとともに、ラインクルーズの出発点となります。葡萄畑が丘一面に広がり、ドイツ人の気性なのか、定規で引いたような真っ直ぐな畦の列が印象的でした。夜は<ツグミ横丁>という細い路地で、観光客がひしめきあいながら、ワインを飲むのです。日頃の赤ワイン党の私は、旅行の間最後の日まで白ワインで通しました。

 天翔るジェットで小水弦の月
 オランダの背高のっぽや暮れの秋
 
日本は真夜中の時刻でしたが、アムステルダム乗り継ぎのラウンジで会うオランダ人の殆どが、男女ともにとてつもなくでっかいのには唖然としました。江戸時代、長崎の出島でさぞや日本人は驚いたものと思います。たしか海賊ヴァイキングの子孫のはずと記憶しております。

 はるばるとラインに臨み冬支度
 行く秋の雨に色落つライン城
 錦秋の城に隠れしローレライ
 秋深し古城伝説知らずとや
 めぐらしてラインに筋違ふ葡萄畑

ケルンの方向に向ってラインを北に下り、二時間ほどのクルーズの後下船。バスで宿に戻って、近くの葡萄園を散策。夕食後はワインを飲みながらライブの音楽を楽しみました。





写真: 上)つぐみ横丁(Drosselgasse)で酔っ払って仰向けに写真を撮ったものです。
      つぐみは鳥のことですが、酔っぱらいがよたよたと梯子酒をする様子からきたそうです。
    中)リューデスハイムのメイン通り
    下)ぶどう園の丘からリューデスハイムの町とライン河を見下ろす

 
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今日の一句/ご挨拶~桜紅葉(ゆらぎ)

2008-10-19 | Weblog
嬉しさは桜紅葉のプレリュード

 ながい旅から戻ってきました。九分九厘さんも帰国され、賑やかになります。ご報告を兼ね、別ブログ「海の手六甲から」に順次書き込み、ますので、ご笑覧いただければ嬉しいかぎりです。
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天高し(四捨五入)

2008-10-17 | Weblog
ずつしりと眠るみどり児天高し
泳ぐ夢見しか赤子のかえる足
嬰抱けばしやくり止まりし夜長かな

秋の蜘蛛子蜘蛛侍らせ蹲踞せり
七尺の穂芒育む堅地かな

長女が先月生まれた男児を連れて里帰り中です。
久しぶりに赤ん坊とのつかのまの共同生活を楽しんでおります。


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今日の俳句/秋日傘(龍峰)

2008-10-12 | Weblog
渡月橋を三々五々秋日傘
秋の日や力車過ぎて小倉山

爽風を受けて目つむる嵐山
白鷺の身じろぎもせず秋の水
水かさの満つ船遊び秋気澄む

保津川下りの後渡月橋の辺りを散策。秋気満ちて人の往来もそぞろ、詩心を誘う午後の一時でした。

写真は渡月橋と小倉山
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