10月13日、オーストリアに入り、先ずはザルツブルグの南東に広がる湖水地方ザルツガンマートを観光。岩塩の取れるところで有名ですが、湖の多い美しい地方です。ハルシュタット湖とザンクトヴォルフガング湖で遊びました。夕方にザルツブルグに到着し、ここで連泊しました。
上の写真はザルツブルグ市のミラベル庭園から、ホーエンザルツブルグ城を撮ったものです。公園の両側にはモーツァルテーウムがあって、その音楽院には現在13名の日本人が留学しているそうです。写真に見える木は菩提樹です。モーツァルトの生家や城塞等市内観光の後、足も疲れ切って夫婦でこの黄葉の菩提樹の下のベンチで暫く休んでいましたが、音楽院から女性コーラスの素晴らしい練習の声が流れてきました。旅の終りの、心休まるひと時でした。このミラベル庭園は「サウンド・オブ・ミュージック」のドレミの歌のフィナーレが撮られたことでも有名です。
モーツァルト生まれし家に暖炉あり
旅の秋孫の土産にハーモニカ
天高く蹄闊歩する祝祭劇場
魔笛聞く城吹く風や秋深し
ラジオ体操朝寒のザルツブルグ
この旅行記を書いていた途中になって、阿部謹也著「物語ドイツの歴史/ドイツ的とは何か」(中央新書)を読みました。この本の副題にある<ドイツ的とは何か>についての疑問に答えを見つけたいと思ったわけです。特に私の興味のある問題に限って、この本の要点を下記に書きます。
「ドイツは19世紀の近代に至るまで群雄割拠の領土支配の時代の歴史が続く。古くは神聖ローマ帝国の担い手としての、言語共通部族の帝国という認識はあったが、13世紀以降は事実上領域支配国家ラントとなる。古ゲルマン時代からドイツに住んでいた人々は樹木や泉そして山や川には、それぞれの霊があると信じていた。一種のアニミズム的な信仰を持っていて、彼らは森で木を伐る時も川で魚を捕る時も、それぞれの儀礼を営んでいて、神々や諸霊の世界と互酬の関係を結ぶという信仰を持っていたのである。この関係自体は呪術的関係であるが、キリスト教の普及とともにこれが解体されていくのである。キリスト教は贖罪すなわち自己の罪の告白を要請し、迷信や俗言そして民族的伝統を個人の罪として否定していき、ついにルターの宗教改革に至って完全にこれが解体される時代を迎えるのである。即ち、人間は長いこと他の人間たちとの絆を認識かつ顕示することにより自己の存在を確認してきたが、自己自体を告白することを余儀なくされ、それによってのみ他人が己を認証することになってきた。真実の告白は個人の形成という社会的な手続きの核心に登場してきたのである。ここにヨーロッパの個人の原点があり、この原点からヨーロッパの近代的個人が形成されていくのである。ここに日本人との根本的な違いがある。ところが、周辺国と違ってドイツではこのアニミズム的な感覚が近代まで残っていくのである。領土支配の群雄割拠により、11~12世紀からドイツには多くの都市国家が形成されていくのであるが、他国とは付き合いのないそれぞれの領主の采配による狭い都市文化を保持していくことになる。都市の内部は人間世界の日常の小世界であり、一歩外に出るとその城外は太陽や月までも含む自然の大宇宙と考える世界観が長く続くのである。(ルートヴィッヒ二世がノイシュヴァーンシュタイン城を建てのは19世紀の半ばです。すなわち北方プロセインのビスマルクが大ドイツ領をつくらんとして南ドイツの領主たちに買収を仕掛けて成功したわけですが、彼はこの金を使ってワーグナを可愛がり、とてつもない城を建てたわけです。この時代まで古きドイツの民族的伝統にこだわる封建世界が続いていたわけですが、これは明治の初期にあたり、私達にとってほんの一寸の昔の話なのです。)
さて、ドイツ史を音楽抜きでは語ることはできない。どの国をみてもドイツほどに多くの優れた作曲家を生んでいないのである。ドイツの音楽の形成は上記の述べた中世以来特に宗教改革以来の都市と深い関係を持っている。ドイツの都市市民は中世末から領邦権力の谷間で息を潜め、国家とも関係を持たず、狭い都市の範囲の中で宇宙に思いを寄せて暮らしてきた。領主に対する忠誠を含め、均質的な国民性を持つことになっていくのである。ここにおいて、音楽こそが天上と人間界を繋ぎ、地上の秩序として人間が生きていくための表現として理解されていく歴史を形成していくのである。その意味で音楽もドイツの観念論哲学と深い関係を持っているのである。かつてドイツを覆っていた森と泉はもはや都市には見ることができない。そのような嘆きが音楽にも哲学にも反映しているのである。いわば呪術的なものを多く抱え込んだ国が、近代化に直面し特異な能力で以てこれに対応したかにみえたが、かつての生活を支えたきたアニミズム的な憧憬は抑えがたく、あらゆる機会、すなわち政治、文化或いは芸術面にも大きな影響をいまだに背負っていると言わざるを得ないのである。ナチスの動向についてもそのような面を否定することはできないのである。」
以上の要点からすると、ある面日本の歴史と似通った面があることは否定できません。
それにしても、ドイツの町或いは郊外に出てもごみ一つあるわけでもなく、電柱も見かけないし、道中の立て看板もないし、田舎の草原は雑草は綺麗に刈られているし、建物の色調は法律で統一されているし、何ともどうにももう少し勉強をしないとコメントの出来そうもない国でした。
ロマンティック街道のネルトリンゲンで美味しいアイスクリームを食べました。ドイツの子供たちは我々外国人を見ると例外なく、にっこりと笑って「ハロー」と言います。
旅は自己の再発見につながるという我が親友の言葉を噛みしめながら、今回の旅行記を終了いたします。一週間ブログを独占したことをお詫びするとともに、長らくお付き合い願いました皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。
以上