カジュラホでは有名なヒンドウ教の西、東、南の寺院群を訪ねた。寺院の外壁の天女たちの天真爛漫な姿にこの宗教の開放的な根源を見た。次にベナレスへ。ガンジス河畔のガート(祈りの場)での幻想的なプージャ(祈り)を見学。翌朝ガンジスの日の出を拝むため再度ガートへ。船に乗りガンジスを移動しながら、日の出と幾つもあるガートを見る。暁に祈る人、沐浴する人そして隣のガートでは、煙が幾筋も上がり、夜明けと共に荼毘にふされている。最上の幸せとか。ヒンドウ教では墓はなく全てガンジスの流れに撒かれると。更に釈迦が初めて弟子に説法したサルナートへ行く。
ベナレスからデリー方向のアグラへ、寝台車で行くも10時間以上遅れ、日程が混乱。しかし、これもインドとか。アグラでのタージマハルは中に入る時間が無くなった。世界遺産のアグラ城を見てジャイプールへ。アンベール城や風の宮殿を見る。インドには中世イスラムとモンゴル系が攻め込んでおり、これらの城はモンゴル系のものである。なかなか立派で大きい。
最後のデリーへ移り、フマユーン廟やインド門等を見て帰国の途に就く。
写真はガンジスのカート
春日差し笑み豊かなる天女たち
菩提樹の陰の祠や春の風
ヒンドウの経に癒さる春の宵
春暁やガンジスの岸沐浴す
ガンジスの夜明けに祈る春の水
春暁のガンジスの辺に今けむり
春の日や雲間に笑みのサルナート
王侯の栄華哀しや春の雨
天竺の万重の山春の雨
天竺の春の西空天が紅
今回の旅は自分なりに、インドで起きた仏教がなぜこの国ではほとんど消えてしまい(0.8%)ヒンドウ教が栄えているのか問いただすためだった。こちらの人に何人か聞いて回った。あまり明確ではないが、ヒンドウ教から出た仏教は1000年の後、元の7000年の歴史のヒンドウ教に飲み込まれてしまったらしい。釈迦はもともとヒンドウ教から出発し、悟りを開き仏陀になった。
しかし、ヒンドウ教の一番の神様のヴィシヌシンの第9番目の生まれ変わりが釈迦だと。完全に飲み込んでいる。それだけヒンドウ教は懐が広いわけである。
ガンジスのゆったりした流れを見ているとこの国は牛のごとくマイペースで進むのだろう。
ベナレスからデリー方向のアグラへ、寝台車で行くも10時間以上遅れ、日程が混乱。しかし、これもインドとか。アグラでのタージマハルは中に入る時間が無くなった。世界遺産のアグラ城を見てジャイプールへ。アンベール城や風の宮殿を見る。インドには中世イスラムとモンゴル系が攻め込んでおり、これらの城はモンゴル系のものである。なかなか立派で大きい。
最後のデリーへ移り、フマユーン廟やインド門等を見て帰国の途に就く。
写真はガンジスのカート
春日差し笑み豊かなる天女たち
菩提樹の陰の祠や春の風
ヒンドウの経に癒さる春の宵
春暁やガンジスの岸沐浴す
ガンジスの夜明けに祈る春の水
春暁のガンジスの辺に今けむり
春の日や雲間に笑みのサルナート
王侯の栄華哀しや春の雨
天竺の万重の山春の雨
天竺の春の西空天が紅
今回の旅は自分なりに、インドで起きた仏教がなぜこの国ではほとんど消えてしまい(0.8%)ヒンドウ教が栄えているのか問いただすためだった。こちらの人に何人か聞いて回った。あまり明確ではないが、ヒンドウ教から出た仏教は1000年の後、元の7000年の歴史のヒンドウ教に飲み込まれてしまったらしい。釈迦はもともとヒンドウ教から出発し、悟りを開き仏陀になった。
しかし、ヒンドウ教の一番の神様のヴィシヌシンの第9番目の生まれ変わりが釈迦だと。完全に飲み込んでいる。それだけヒンドウ教は懐が広いわけである。
ガンジスのゆったりした流れを見ているとこの国は牛のごとくマイペースで進むのだろう。