雨が降って、いっきょに涼しくなりました。神様は、出雲の方へ旅に出られます。神無月です。初冬の句をお詠みください。一人、五句です。投稿は、十月七日です。予めご用意ください。(今回の幹事は、”ゆらぎ”です)
注)写真は、十月の花。茶の花。
皆様の投句が出揃いましたので、コメントを書き入れていただくようお願いします。コメントは、いつものように一段下、右へ一字ずらして記入してください。
当該句のコメントバックに当たっては、コメントの時と同様、当該句の一段下、一字右寄せでお願いいたします。
紘子さんのコメントバックは、先月と同様に割愛させてもらいます。皆様によろしくとのことです。(九分九厘)
(龍峰)
秋夕焼風ふところに土手に立つ
吟行をした犀川の夕焼け風景をふと思い出しました。壮大な夕焼け風景と作者の姿が溶け合って一幅の絵を見ているようです。(九分九厘)
なんとも風情がある句。”風ふところに”が、効いています。名句です。(ゆらぎ)
心地良い秋風を頬に散策を行っています。その内次第に夕日が落ちて来て、荘厳な眺めになり土手に立って腕組を行ったまま眺めながら思いに耽って居られるですね?(たろう)
九分九厘様 ゆらぎ様 たらう様
コメント有難うございます。今の時期夕焼け空を眺めていると、目の前の光景とかつて見た大夕焼け空が重なって、いつの間にか自分の世界が出来上がってしまいました。そのような迷句です。(龍峰)
竹林のにはかに葉音初しぐれ
雨に打たれる竹林の羽音に静寂さを感じました。 (紘子)
紘子様
コメント有難うございます。嵯峨路の竹林を歩いていて突然葉音がしたかと思うとパラパラと雨模様、そして雨がやんで静寂が戻ってきました。(龍峰)
泉下の声解き放ちをり曼珠沙華
ある日突然花を咲かせる曼珠沙華の姿を見事な言葉で表現されました。(九分九厘)
見事な曼珠沙華が咲いている。今は、なき泉下の父も声を上げて喜んでいることであろう。これも、名句かと。(ゆらぎ)
九分九厘様 ゆらぎ様
コメント有難うございます。道端の曼珠沙華に出くわし、瞬間的に泉下の声が放たれているように感じました。(龍峰)
虫の音や金鈴かすか書を閉じぬ
秋の静寂を演じる名優が揃いました。(葉有露)
葉有露様
コメント有難うございます。ご指摘のように名優が揃い過ぎました。反省の句ですね。(龍峰)
嵯峨の路の庵近しや柿紅葉
嘗て、芒の会にて嵐山の落柿舎で句会を行いましたね?想い出しました!!。中に入って意外にこじんまりしていて、皆で驚きました。(たろう)
たらう様
コメント有難うございます。ご指摘の通りです。落柿舎に辿り着く前に、途中の軽食のカフェレストランで昼食をとった。その庭に柿の木があり、見事な五色の柿紅葉を見つけました。庵は落柿舎でその暗示に柿紅葉を詠みこみました。遊び過ぎですな。(龍峰)
(紘子)
茜雲森に触れ秋深まりぬ
空一面が茜色に染まり、その雲がかかる森は赤く色づいている。秋の深まりをしみじみ感じる句です。(龍峰)
夕刻の茜雲が広がり、森に触れ森の紅葉が深まりました。日毎に深まり行く秋の光景が、夕刻の茜雲によって強調されました。(たろう)
茜さす雲ふつふつと神無月
中七が気に入りました。辞書によれば、ある感情がわずかずつ込み上げてくるさまなどを意味するとあります。上五・下五と組み合わせいろんな解釈が出来て面白いです。しかし、神様が留守の間に、西方の茜色した鰯雲が浮かんでいると、自然に読むのが正解なのでしょう。(九分九厘)
心身のどこか歪みぬ天高し
季語の「天高し」は、健康体に対する羨望の意味なのでしょうね。(九分九厘)
体の調子があまり良くない。それなにに秋の天は、高い。その高い天に、詠み手は思いを馳せているのでしょうか。(ゆらぎ)
秋の野の風に寄り添ふ昨日今日
野を吹き渡る風は、海風と違い一様ではありません。人の世のそれぞれに夫々の風が吹くようです。(葉有露)
晩秋ともなれば、野山には季節替わりの風が良く吹きます。その景色を「風に寄りふ」との措辞が巧みであり、芒の穂や草花がそよぐ光景がありありと見えます。(たろう)
古刹への道迷ひけり天高く
ここで言う古刹は、奈良にある唐招提寺のことではないでしょうか。駅からは一本道なので迷うはずもありませんが、天高く良い天気なのであれやこれやと道の両側にあるものに目移りして、迷ったのでしょう。趣のある句です。(ゆらぎ)
久々に訪れた古刹、その道を迷う、そして天高し。ゆったりした時間の流れ、作者は道を迷ったことさえ楽しんでおられる様に伝わってきます。(龍峰)
(九分九厘)
老妻の甘え切なく秋の暮
身につまされる句です。円満なる夫婦の老後を見事に率直にうたいあげられている感動句で、訴えるモノ大です。 (龍峰)
恋し焦がれて一緒になったお二人。奥様から、”ねえ貴方、背中が痒いの。掻いて!”とのお声が飛んでくるかも。そんな風景が思い起こされる秋の暮れ。甘ったるい(笑)迷句ではありますが、羨ましくもなるような名句です。(ゆらぎ)
二人暮らしの日々の中で、お互いにこれ迄簡単に出来て居た事が老いて来れば次第に難しくなって来ます。つい相手に頼む事が多くなります。 何!こんな事もかい?と云いながら優しく行います。(たろう)
コメントありがとう御座います。喜怒哀楽を共にして今年で60年目となります。遂に老老介護の域に至るまで、長生きをしております。あと十年ともなれば、野球で言えば九回裏になります。(九分九厘)
円満の笑みに翳あり満月の夜
弁当の夜食に無口そぞろ寒
夜食に弁当とは少しこたえますね。どうしても無口になりがちです。(葉有露)
毎日の料理作りは、さすがに飽きが来て最近出来合いの弁当を週三回取り寄せています。いずれまた趣向を変えねばと思っています。(九分九厘)
温め酒良き夢あると思ひしか
忙しい1日が終わって、くつろぎに温め酒、一酔いに夢を託す。人生のほろ苦さを感じます。(龍峰)
老齢が進むと睡眠の質が急低下してきています。寝酒を避けたほうが良いようになってきました。いい案があれば皆さんに教えていただきたいと思います。(九分九厘)
友逝きて白きに咲きし曼珠沙華
ひめやかに咲く花の姿を思いました。(紘子)
年々同級生や嘗て親しくしていた友人が先に逝きます。仕方の無い事ながら、淋しさが余計に募るこの度は秋です。その心情を「白きに咲き̪し曼珠沙華」との措辞に込められ、共感の一句ですね!!。(たろう)
曼珠沙華の花言葉は、”また会う日を楽しみに”です。恐らく学生時代からの親友が亡くなって悲しみに沈んでいる詠み手ですが、”また会えるかも”と心に思っていることでしょう。心に染み入ってくる句です。(ゆらぎ)
お三方のコメントに感謝を申し上げます。3年後輩で入社以来、半世紀以上付き合ってきた友人が昨年亡くなられました。丁度この句会投稿日の前日が1回忌でした。庭に白い曼珠沙華が満開の時でした。(九分九厘)
(たろう)
朝早く旗日のあがり運動会
賑やかな運動会のはじまり始まり!(紘子)
賑やかな運動会のはじまり始まり!(紘子)
75年前まで記憶を戻して楽しみました。(龍峰)
紘子さま、龍峰さま・・コメントを頂き大変有難うございます!!。以前は運動会の当日ともなれば、「決行」の告知も兼ねて旗日があがって居ました。パンパンパン~と大きな音が聞こえれば、いやが上にも気分が高揚していました。最近は騒音防止の観点からでしょうか?無くなってしまい少し淋しいですね!。(たろう)
数珠玉やあの娘もすでに白髪なる
吟行の御所の闇とや後の月
かつて行った御所の吟行を思い出しました。あの時も後の月が印象的でした。作者は思い出に浸っておられる。(龍峰)
思えば、あの暗闇の中で吟行をしましたね。そのあと近くの小料理屋の二階で句会をしました。今となっては懐かしい思い出です。(ゆらぎ)
龍峰さま、ゆらぎ様・・・コメントを頂き大変有難うございます!!。夕刻うす暗くなって御所の南入口にて待合せの上、芒の会の「後の月」吟行を行いましたね?その後、ゆらぎさま行きつけの小料理屋の二階に於いて、一杯飲みながら句会を行いました。懐かしくも楽しい想い出のひとつです。(たろう)
冷まじや月影うすく比叡山
神在りの月の出雲や海荒るる
稲佐の浜に集まって来られた八百万の神様たちは、今年はちょっと機嫌が悪いようです。戦争や悪疫が流行っているせいでしょう。(九分九厘)
小学一年の時、祖母と二人で出雲大社に疎開していました。大鳥居の横です。稲佐の浜に出かけ、漁師の引く網を手伝って少しばかりの魚を貰っていました。(葉有露)
九分九厘さま、葉有露さま・・・コメントを頂き大変有難うございます!!。旧暦の神無月となれば、全国の神様は出雲に参集の上、年頃の男女の縁結びの相談を行われると云います。然し、出雲のみは「神在り月」と云われます。この頃ともなれば、日本海の稲佐の浜は冬荒れの波となりますね!!(たろう)
(ゆらぎ)
二人して小春日和に酌み交わす
暖かい陽光が広がり、静かな語りの時を思いました。(紘子)
かなり寒くなって来た初冬に、ふと恵のように暖かい日です。こんな日は 夫婦そろって出掛け、ディナーでも?のようですね!(たろう)
紘子さま、たろう様コメントをお寄せいただきありがとうございました。夫婦ふたりして、家でワインを楽しんでいる図です。外へ出かけると、高くつくものですから(笑)・・・(ゆらぎ)
金沢や十夜念仏人去らず
金沢にお二人で旅行されましたか。秋の金沢は景色も味も深まってきます。金沢は真宗王国。寺も多く信心深い人が多い。思いでの句になりましたですね。(龍峰)
龍峰さま、コメントありがとうございました。金沢は、仰るように真宗王国ですね。知人から聞いた話ですが、彼が友人の葬儀に出向いた時、その日はたまたま十夜年仏の日でした。葬儀が終わっても広い座敷から誰も去ろうとはしません。一緒になって座っていると、そのうち皆さん横にごろごろ寝転がって朝になるまで、そうやって誰も去ろとうとはしなかった、とのことでした。
(ゆらぎ)
秋の燈のいつものひとつ未(ま)だ消えず
灯火親しむ秋とはいえ、いつもの窓は深夜になっても未だ燈が灯って居ります。物書きでしょうか?受験生でしょうか? 特に自宅の窓よりその窓の燈が見えていて想像が膨らむ作者です。(たろう)
たろうさん、コメントありがとうございます。詠み手は、一晩中読書にふけっていました。そんな光景詠みました。(ゆらぎ)
読書家の作者、秋の夜長は正におのが世界。今夜の書は読み終わったが、心の灯りは未だ灯ったまま。余韻がいつまでも残る。(龍峰)
龍峰様、コメントありがとうございました。たろうさんへ、”一晩中、読書を・・・、と書きましたが文字通り読書に没頭しておりました。ドストエフスキーの作品な読むと、どれも長編なので、読み通すのに一晩中かかります。(ゆらぎ)
銀木犀すべてを忘れまた明日
我が家にも大きな銀木犀があります。金木犀と違ってあまり匂いもしなくてあっという間に散ってしまいます。人間は中七・下五のようにはなりませんね。明日がどうなっているのか、皆目見当がつかないようです。(九分九厘)
我が家にも大きな銀木犀があります。金木犀と違ってあまり匂いもしなくてあっという間に散ってしまいます。人間は中七・下五のようにはなりませんね。明日がどうなっているのか、皆目見当がつかないようです。(九分九厘)
今回小生も「銀木犀」の句を詠みました。強烈な匂いでなく、ふと思い出す程度です。そのように、、亡き父を思い出します。(葉有露)
九分九厘様、葉有露様、コメントありがとうございました。銀木犀の花言葉は、「初恋」です。その思い出をすべて忘れ去って、明日へ踏み出そうと思った次第です。本音をいえば、そう簡単には思い出を忘れることはできないのですが・・・。あはは・・(ゆらぎ)
小六月言葉の力信じたり
(葉有露)
秋晴れや老いをあずけるベンチあり
中七・下五の表現が素晴らしいです。ベンチをメタファーと解釈して、「教会」「イエス」と読みました。(九分九厘)
伸びやかな秋晴れの戸外での一時を頂きました。(紘子)
空気も澄み,暖かく晴れた秋晴れの戸外です。こんな日はベンチに座り日向を浴びてのんびりしたいものですね!!。(たろう)
(お礼)
本句に注目して頂き、お三方にお礼申し上げます。中七をさまざまに受け取って頂き、うれしく思います。私自身としては、「老い」を軽くしたいとの思いが底流にありました。(葉有露)
秋日和しみじみと見るわが影は
よく似た光景は、小生にもあります。ただ、その時に思うことは様々。作者の気持ちに強く共感が持てます。(龍峰)
(お礼)
共感して頂き、龍峰様にはお礼をもうしあげます。体の曲がり具合、横幅の変化と自らは思っていない自画像に驚いています。(葉湯露)
銀木犀父の呉にし香りかな
新走りぐい呑み片手腰浮かし
新走り友とつどいて荒ばしり
新走りが出たと友と盛り上がり、その勢いで馴染みの店に駆けつけた。荒ばしりと語呂合わせで軽妙洒脱に句を詠まれている様に思います。(龍峰)
今年出来た新酒の出回る頃です。利き酒に出掛け、ついでに友とはしご酒になってしまいました。(たろう)
今年採れたての新米で造った酒を呑んでいたら、機嫌が良くなり友達を誘って近くの呑み屋へゆく。そこでは、発酵を終えたばかりの液を絞った「荒ばしり」が出てきた。座も大いに盛り上がったとか。羨ましいようなことです。(ゆらぎ)
(お礼)
お採りあげ戴いたお三方にお礼申し上げます。
下五を様々に受け止めていただき、うれしく思っています。灘五郷の真ん中に永年住んでいるものですから、つい口に出てしまいました。「荒走り」とは、ゆらぎ様が触れておられるように、業界用語では,醪を酒と粕に分ける工程で、最初に出てくる酒のことです。絞り始めのため微炭酸が特徴で、軽快な味わいです。アルコール度数はやや低めです。新々酒とでも云うべきでしょうか。(葉有露)
以上