草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

今日の俳句 / 白梅 (四捨五入) 

2017-02-28 | Weblog

 
とうとう二月も最後となりました。梅は二月の季語ですから滑り込みです。
このところ快晴が続きますが、今日も青空が美しいので、梅の木の一部を切り取ってみました。
後段はさる句会で詠んだ句を集めてみました。

  白梅や句会十年ひとむかし
  巡り来る時期を違へず梅の花
  細枝を遡りつつ梅咲けり
  憂きことを吸い取るごとく梅咲けり

  薄氷や池のさざ波拒みをり
  吹かれつつ解けつつ流る薄氷
  薄氷やわれ関せずと甕の魚
  薄氷を跨ぎ一番バスに乗る
  節分や現世の鬼はグローバル
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今日の俳句/初旅(龍峰)

2017-02-03 | Weblog
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 明治25年10月、正岡子規が26歳の時、都内から箱根、修善寺、三島、熱海そして小田原へと徒歩で俳句を作りながらの旅に出た。その旅は気の赴くままに、峠の茶屋でうまい団子があれば食べ、山谷で日が暮れれば宿を探し、足を引きずり、駕籠かきに嘲笑されても気ままな旅を、当人は楽しみながら続けた。その紀行を「旅の旅の旅」という短い手記に彼はまとめた。
出だしの俳句は

       旅の旅その又旅の秋の風

 どうやら子規は旅に出る時、行先の他は何も決めず、旅の道中で起きるハプニングや色々な人との出会いこそ又旅であり、旅の面白さであると悟ったようである。これを「旅の旅の旅」と称したのでないかと思うのである。


 昨年の大晦日、早朝の神戸ベイシャトルにパスポートのみを持って乗船するように妻と私は彼から言われた。行き先は分からない。一行は彼と彼の妻そして我々の4名である。やがて関空にてチェックイン。この時に行先は台湾の高雄であることが判明した。高雄に到着すると空港よりバスにて約50分南東の東港へ、しかし、ここは目的地ではないようである。ここからさらにジェットフェリーで30分、沖合の小島に漸く辿り着いた。ここは小琉球嶼と称する、これまで聞いたことも地図で見たこともない初耳の島である。どうやらここが旅の目的地のようであったようである。

 私事で恐縮だが、我々は昨年、結ばれて50年の節目を迎えた。その時彼から正月に小旅行をしようと言われた。ここで彼とは愚息の事である。この彼は少し変わった旅が好きでマダガスカル、スリランカ、ネパール、バングラデッシュ、ミャンマーや中国の奥地などなど、開発途上国の未開地を、計画なし、出たとこ勝負の一人旅をするのを趣味としている。今回の初旅は彼の計画である。尚、「旅の旅の旅」も彼の紹介である。


 小琉球嶼は周囲12km、歩けば2時間、バイクで回れば1時間もかからないようなかわいいサンゴ礁でできている島である。人口は2000人とも言われるが不詳。漁業が7割。冬でも20℃以上で着いた時26℃であった。年の300日は晴天の由。台湾本土から水が送られてくる。島の交通機関はバイク、ホテルも銀行もない。郵便局は一つ。民宿は80軒。しかし、なぜかセブンイレブンが2軒ある。ここは台湾本土や近隣からの観光客で賑わうようである。但し、英語も日本語も通じない。一番は台湾語である。3日間日本人には一人も会わなかった。50年ほど昔に戻ったような感覚である。


 島に着いて船から上がると、さて今夜の宿はどうするかと思案、する間もなくわんさとたむろしている客引きのおばちゃんに袖を捕まれた。しかし、何を言っているのかさっぱり分からない。日本語と片言の英語、後は身体総動員のボデイランゲージで話しかけるもさっぱり理解できず。唯、おばちゃんは客引きのプロ、感がいい。先刻我々の欲するところは承知しており、バイクに載せられ英語が出来るバイク屋の若い青年の所へ連れて行かれた。そして宿探しの詰めが行われた。かくして島の2夜の宿を確保。2階建ての一軒家、夏のみ開けていて冬は閉じているのを開けて貰った。湊の背後の小高い丘で見晴らしがよい。

 長い一日の疲れからか、いつもより早く眠りについた。ところが、突然眞夜中に大音響の破裂音で叩き起こされた。さては習近平の兵が攻めてきたのかと思ったが、窓の外にはきれいな火柱が上がる。見ると花火。午前零時のカウントダウンの花火である。そういえば今日は大晦日、今頃は紅白が終わって、ゆく年くる年を見ている時刻だと思い起こした。

       初旅は南海の島旅のたび

       
 午前5時半ごろに起きて4人で丘の上から湊の向こうに上がる初日の出を拝みに行った。今年の初日の出は生涯忘れ得ぬ思い出に残るものとなるだろうと、日の出を待ちながら思えてきた。

       さんご礁のかなたに拝む初日の出
       波音の寄する異国の初日の出
       新春の海に華やぐ鳥の声


 渚に下りて散策。さんご礁の島と言えば宮古島を思い出すが、さんごのかけらの石が色々な模様や色があって面白い。

       冬ぬくし渚にさがすさんご石  
       冬日向島のみやげはさんご石

 
 バイク2台を借りて島一周の旅に出た。バイクの後ろに乗るのはあまり経験がないので怖いものである。自分が運転する方がよほど安心である。しかし、若い者には負ける。南の島である故にガジュマルや鮮やかな花々が咲き、海にはウミガメが泳いでいる。貴重な砂浜には人が朝から泳いでいる。ゆっくりと一日かけて寄り道しながら島を巡る。土地の名物を食べながら大いなるカントリーサイドを満喫する。
帰りて宿の前から湊をスケッチする。



 夕方島の反対側でサンセットも見ようということでまたバイクで出かける。

       乾坤の雲間にかくる初入日
       黄金のひとすじ海に初入日

 当然のことながら新年と言ってもここは旧正月の国、街には新しい年の飾りは何もない。

       元旦や飾り一つなき異国の島


 今年の元旦はお節もお雑煮も何もない正月であるが、どこかほっとするような、一茶の心境のような感じがしてくる。

       翠なる小琉球嶼旅の春

 今回一つだけ困ったことが生じた。島に着いて台湾ドルに換えようとするもATMがほとんどない。町中のコンビニのATMはなぜかカードを受け付けてくれない。唯一つの郵便局のATMに行くも、新年の休みでやはりカードを受け付けてくれない。明日の朝飯までは4人の持ち金合わせて何とか食べられるが、後は暮してゆけないと。
 2日の朝から現地通貨入手を手分けして当たることになった。飛び込んだのが漁船の監視所、そこで身振り手振りで台湾ドル入手を懇願する。実に親切な現地人、日本語を話せる友達をスマホで呼び出す。電話のカメラに日本円をかざすとその人は日本円相当の台湾ドルを目の前の親切人に指示、無事交換ができた。実に真面目に、一生懸命に知恵を働かして助けてくれた。この情けを味わえただけでも今回の旅の価値は十分あった。短い滞在ではあったが、別次元の、タイムスリップしたような滞在で、思い出に残る島となった。

 島より再びフェリーで東港に帰ってきた。そこの切符売り場で、手持ちの台湾ドルは未だ不十分であり、交換できるところがないか妻が窓口の人に訪ねた。ところがここでも親切な人に出会えた。近く大阪にに行くので個人的に替えて上げましょう、近くに英語がわかる弟がいるので呼んできましょうと、そして弟さんを介して無事台湾ドルの交換ができた。大阪に来て時間があればどうぞ連絡を下さいとアドレスを渡して帰った。

 10日程してかの弟さんから連絡が入り旅の途中で神戸に行くと。姉と子供、弟夫妻とスタッフで5名と落合う。こちら4名、総勢9名で神戸の一夜、再会と窮地で助けて貰ったことのお礼で、杯を上げた。
なんとも不思議なハプニングが詰まった旅となった。それにしても台湾の人々とはどこか波長が合い、話していてもさわやか、この国にいつまでも安寧が続きますようにと祈らずにはおれない気がしてくる。

 彼の目論んだ「旅の旅の旅」はどうやら成功したようであった。


 

    



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