令和七年の新春を迎えました。今年もよろしくお願いいたします。
一月七日に草若葉の一月例会を行います。一人五句です。要領はいつもの通りです。よろしくお願いいたします。(幹事:九分九厘)
七日になりました。新年句会を始めます。今回からはコメントは入れてもらいますが、コメントバックは実施いたしません。前回よりも短期間で終了し、その後は次の個人ブログへ移ります。皆様のご協力をお願いいたします。(九分九厘)
全員の投稿が終りました。コメントをお願いいたします。(九分九厘)
皆様のコメントが終了しましたので、本年の新年句会をこれで終りにいたします。皆様のご協力に感謝します。尚、紘子さんの投稿は九分九厘が仲介してパソコン入力をしています。投句は何とかなりますが、コメントにつきましては不備が生じます。今回も割愛させてもらいますが、皆様のご了解を得たいと考えます。 (’25、1、11 九分九厘)
(紘子)
大晦日はるかに富士の黙しをり
新年の黙ほどきたる富士の峰
・最初の句の大晦日の富士と新年の富士がセットになり、時空の流れに思いをよせる発想に共感しています。「黙」の解釈は読む人それぞれに解釈が異なると思いますが、ともあれ今年はいい年であることを祈っています。今年の富士は綺麗に雪をかぶっているようですね。(九分九厘)
・どんな日々であっても、富士を目にすると日常から開放されます。小生も、かって住んでいた藤沢の地の日々を思い出します。(葉有露)
・富士山は関東各地より望まれると云います。それほど円錐形の山容が美しく、今年は海外より沢山の観光客が押し寄せたと云います。
お住まいの近くに新年の富士山が望まれたようですね?年が変わり静寂を破り、饒舌になった富士の峰が想われます。(かつらたろう)
・新しく迎えた年は静かで荘厳な中に明け初めた。その張り詰めた雰囲気は、いつも見ている富士の峰を遠くに認めて、緊張した気持ちが和らぎ、我に返った。新玉の年を迎える作者は厳粛な中に初富士を見て我に返る。そして寿ぐ気持ちが満ちてきた。新年を迎えるにふさわしいいい句ですね。「黙ほどきたる」が巧みです。(龍峰)
・”新年の黙”。と言う言葉がいいですね。言葉を失うほどの富士山の圧倒的大きさ。それに詠み手は、感動を覚えたのでしょうね。スケールの大きな句です!(ゆらぎ)
空澄めり八十才のお正月
・何と清々しい句でしょう。八十才を迎えての正月、何もかも悟りきったような感じさえする、作者の静かな気持ちが伝わってきます。(龍峰)
新年の第九また良し朝ぼらけ
・まさに同感! 通常は年末に歌う、または聞く第九ですげが、お正月に耳をかたむけるのもまたよし! (ゆらぎ)
年新た老いのひと日の改まる
・同級生の紘子さんでしたね?。年が変われば、否応なく老いの一日が改まり、又一日が始まります。今年も健康に留意の上、俳句を楽しみながら過ごしましょう!!。(かつらたろう)
(かつらたろう)
先急ぐ老いの人なり息白し
東雲のほのと明るく初山河
・「ほの』とは、新年にふさわしく優雅な趣です。(葉有露)
・東の空の明け行く元日の瑞気の満ちた風景、新年を迎える厳粛な雰囲気の、作者の気持ちが静かに伝わってきます。「ほのと明るく」に新たな年への希望、作者の優しい人柄さえ感じます。(龍峰)
<初詣の大原野神社>
神苑の高き木立や淑気満つ
・大原野神社の素朴で広い境内が目に浮かびます。そこに生えている背の高い古木に、新春の瑞祥の気の漂っている雰囲気を作者は感じられた。厳かな気持ちが伝わってきます。(龍峰)
・京都の西にあるこの神社は、奈良の春日大社を模したもの。紫式部も、中宮彰子の共をして祈りながら参詣したことでしょう。新年の神々しい気持ちが伝わってくるようです。(ゆらぎ)
あはあはと鴉笑ふ御慶かな
・面白い句ですね。「鴉笑ふ」の意味をあれこれと考えられることです。辞書によれば
「今まで泣いていた者が、すぐあときげんを直して笑っていること。」とありました。喜怒哀楽・紛争や戦争・政治の激変などなど、鴉からみる人の世の姿がみられます。あれこれと問題はありますが、ともあれ下五の「御慶かな」で締めてもらいました。(九分九厘)
金杯の乾杯なるや初競馬
(九分九厘)
初風呂や隣は古刹太山寺
・作者は初湯につかりながら、気持ちも新たな年を、またこれまでの過ぎし長い年月を、わが人生の歩みを思い浮かべられておられるのでしょう。作者の住まいの近くには1300年を超える古刹・名刹の太山寺があります。わが人生はこの古刹に見守られているような感じがし、その寺の歴史に比べれば、人の一生は短いものだとも感じておられる。しかし、わが身にとっては掛け替えのない年月ではある。そのような思いが伝わってくるような句です。中七でスパッと「古刹太山寺」と詠まれたことが句の深遠な奥行、広がりを感じさせます。(龍峰)
・結構なお正月気分ですね!湯につかっていると、近隣のある太山寺のことが偲ばれる。愉快にしてスケールの大きな句です! (ゆらぎ)
歯固やかくしゃくなれど根気負け
雑煮のみ倉敷風の残渣あり
・身に備わった味覚の遺伝子でしょうか。(葉有露)
・九分九厘様は岡山出身でしたね?正月雑煮も全国の土地柄があり、北海道は鰊などや、関東は角餅に鳴門入りのすまし、京都は白味噌使い雑煮、そして我が田舎鳥取は甘い小豆雑煮「所謂ぜんざい」です。然し、二人とも同郷の為同じ小豆雑煮です。(かつらたろう)
直ぐならぬ積木のごとし去年今年
・新年になって過ぎ去った年を振り返れば、人生は思い通りいかぬばかりか、まっすぐにはいかぬものだと、作者はつくづく感じておられる。誠に共感を呼ぶ句ですね。(龍峰)
・龍峰さんの所感に、右同じです。とても深みを感じさせる句です!(ゆらぎ)
・数年前より、ロシアのウクライナ侵攻があり、イスラエルによるガザ侵攻やレバノン攻撃など、対イスラムなどの戦争が各地であり、韓国の謎のような政変、アメリカの内向きばかりのトランプの再選、など世界中が混沌となるばかりです。世の中、平和も何事も即良くなることはありません。当に積み木を積むごとくの「去年今年」ですね!!。難しい季語をよく「ものに」されました。(かつらたろう)
運たがひ夫婦それぞれ寝正月
・昨年から作者の身辺で起きたことを詠まれたのでしょうが、決して深刻には捉えられていない。後五に「寝正月」を持ってこられたのは、さだめを逆手に正月は家に籠って寝て過ごすぞと、作者は開きなおった。句に気持ちの余裕とユーモアさえ感じます。(龍峰)
・これも龍峰さんの所感に同じです。病を抱えたダンナと体不具合も抱えた妻。それを、このように詠むと、それなりの幸せすら感じます。(ゆらぎ)
(龍峰)
鈍色の薄る生駒や初茜
・かつて絵の師匠と湖北にスケッチ旅行をしました。生駒の山の魅力をたっぷりと味わったことが懐かしいです。新幹線でチラリとみるだけの生駒と違いますね。絵を描けたら素晴らしいと思いますが、本句の情景を表わすには数枚の連作が必要のようです。色感・温度感・時間の経過など光景の描写に優れた句と思います。(九分九厘)
・初茜とはお目出度いことです。ご自宅からの展望でしょうね。(葉有路)
・この句はまさに小生の南のベランダからの風景です。それを、このように詠まれると一幅の絵となり、”ああ、いいところに住んでいるなあ!”と感じます。詠んでいただきありがとうございました!(ゆらぎ)
日本海の砕け散る濤淑気満つ
・龍峰様の田舎の実家は、富山の日本海に近い所でしたね?鳥取の舎の実家では、冬の日本海の荒波が海岸に砕け散れば「ど〜ん!!ガラガラガラ!!と海岸のごろた石を巻き込み、恐ろしい「海鳴り」です。そして波の花が漂います。しかし、その様子を眺めれば「淑気満つ」心情になりますね!!。(かつらたろう)
金粉の舞ひを飲み干す年酒かな
・私も一度この酒を飲んだことがあります。中七の思い切りの良さが、この句を引き立てています。こんな題材が俳句になるとは、と感心しました。
・龍峰様宅は正月の年酒は、金粉入りのお酒を頂かれるようですね?小生の最近はノンアルコールビールばかりです。ビールメーカーも沢山種類を出し、力を入れているようです。然し、ノンアルだけに沢山飲めません。(かつらたろう)
弾初や三分の出来のカンパネラ
・えっ、ピアノでも始められたのですか! 三分の出来、といえど素晴らしい!’(ゆらぎ)
崇めらる三ッ日エヘンと嫁が君
(ゆらぎ)
今生の今が幸せ初日の出
・何とものどかな、文字通り幸せな作者をひしと感じます。句はすでに小林一茶を遥かに超えていますね。(龍峰)
・初日の出の耀く陽光に臨みながら、ゆらぎ様は大きく達観(悟られた)ようですね? 過去を振り返り、未来を見据えても今を生きている「今生・・現在」が一番の幸せとは、云い得て妙かと存じます!!。毎日、日の出を遙拝しながら幸せをかみしめ過ごしたいものです。(かつらたろう)
とくとくと酒注がれゆく今朝の春
・上五中七の時間経過は、酒飲みの私なら二時間くらいは続けることが出来ます。春を味わうことは、酒を飲む時間と相関があることだと、この句で実感しました。いつもはやめしのゆらぎさんですが、今年は奥様とごゆるりのお正月でしたね。(九分九厘)
・作者宅の元日の朝の光景が目に浮かぶようです。並べられたお節を前に、注がれた年酒を心から寿ぎ、味わっておられるようですね。いいですね。(龍峰)
初明かりちぬの海越えしじまより
・六甲アイランドならでの新年ですね。この光景は、小生も子供の頃から、摩耶山頂より眺めていました。(葉有露)
・嘗て、芒の会の皆様と吟行を楽しみましたゆらぎ様の近くの海辺が想われます。確か釣り人も沢山居り、大阪湾方面に日の出を見ることが出来る事から、「初明かりを遙拝する人々」で一杯と聞いて居りましたね?。正月が終われば、ちぬ釣りも又一興かともです!!。(かつらたろう)
四方の春昔は式部今南場
~優れた女性を挙げました。平安時代の紫式部と、現代の南場智子(ハーバード大学を卒業し、株DNAを創業、横浜DeNAベイスターズのオーナー。女性初の日本プロ野球オーナ会議議長。女性初の日本経済だ団体連合副会長。
初明かりおせち食べれば海光る
(葉有露)
朝のミサ司祭の声は冴えわたり
・俳句は「言葉」の芸と言いますが、中七下五の「声は冴えわたり」が効いた句だと思います。「イエスは十字架の死を受け入れるために、徒歩でなく子ロバに乗ってエルサレムに赴いた。何気ない風景だが、この場面は様々な人に啓示を与えてきた。ここに神と人との不可逆な関係を見る人もいる。人間は神を乗せる小さなロバであるいうのである。同質のことは言葉との関係をめぐっても感じる。言葉というロバに乗ることで人は、世界を眺め認識し生きる。だが、人が言葉のロバにならねばならないこともある。言葉が人に仕えるのではなく、人が言葉に仕えるのである。」(『探していたのは、どこにでもある小さな一つの言葉だった』若松英輔著、亜紀書房、p85より)(九分九厘)
・厳かな雰囲気が諸に伝わってきます。冷え冷えとした教会の中に、新年を迎えられての朝のミサ、司祭の声は厳粛、冴えに冴えた空気が伝わってきます。句全体が厳粛です。(龍峰)
・龍峰さんのコメントに同感です。”朝”、という時間設定が絶妙です(ゆらぎ)
・元旦礼拝の朝のミサでしょうか?冷えた会堂に、司祭様の説教の声が冴えわたります。キリスト者の元旦礼拝は特に大切であり、荘厳な中にも司祭の声は冴え渡ります。(かつらたろう)
・
焼芋の声聞こえ来て頬緩む
・焼芋と聞くとホッとします。すべてのそれまでの緊張感が緩む感じがします。人それぞれに焼芋の思い出があります。寒い時の熱々の芋には、どんな洋菓子にも負けない人の心をほぐす、祖母の温みのようなものを感じます。焼芋の声を聞いて頬の緩むのも無理ないでしょう。(龍峰)
・素直で、いい句ですね。この句を見ていると、童心に帰ります。こんな素直な句をいよみたいなあ! (ゆらぎ)
焼芋に子らの喧嘩はすぐに止み
・焼芋と馬鹿にするなかれ!!。品種改良がすすみ色々な甘い品種が出回り、東南アジアへも輸出されて大人気とか?甘いお菓子にも匹敵する焼芋に、子等の喧嘩もすぐ収まります。(かつらたろう)
底冷えに目覚めし夜半蒲団中
底冷えに持ちし弁当歯のふるえ
以上