草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

洛西大原野・小塩山山裾の社寺吟行  / かつらたろう

2025-03-17 | Weblog
 3月14日は、久しぶりに暖かく快晴に恵まれ、急に思い立ち大原野小塩山山裾にある著名な社寺を、撮影も兼ねて一人吟行に出掛けた。自宅から徒歩で50分もあれば着くものの、訪ねる社寺は急坂も多くバスにて麓に向った。

   菜の花や畝間整のひ水たたふ     たろう
   菜の花を右や左に路線バス      たろう
   せせらぎの早瀬となりぬ丘の春    たろう

1、『大原野神社』

       

 桓武天皇の京都遷都の際、皇后の氏神である奈良の春日明神は余りにも遠く、この大原野に分祀したのがこの神社の起りと云う。その後社殿が造営され、春日造りの丹塗りの壮麗な本殿、猿沢の池を模した鯉沢の池も造られた。方除け、良縁の神である。春日神の使いは鹿である事に因み、神前には狛犬ならぬ神鹿が配されている。「瀬和井(せがい)」は古来から名水の一つとして有名である。清和天皇の産湯に使われたとの説もある。そして、藤原氏氏族の一人ともされる紫式部の氏神でもある。

        
         瀬和井(今は水は涸れて囲いのみ)

 参道脇の看板には「伊勢物語」「古今和歌集」「万葉集」から詠まれた歌が紹介されている。

  ここにかく日野の杉むらうづむ雪小塩の松に今日やまがへる  紫式部
  大原や小塩の山のほととぎすわれは神代のことかたらん    左大臣
  大原や小塩の山の小松原はや小高かれ千代の蔭見ん      紀貫之
  大原やせがいの水を手にむすび鳥は鳴くとも遊びてゆかん   大伴家持
  夜を寒みせがいの水は氷るとも庭燎は春のここちこそする   大江匡房

    森閑と高き梢や春の雲       たろう
    大原野の朱塗りの社殿春ふかし   たろう
    春うらら人つ子ひとり無き神社   たろう
    鬱蒼と杜の深さや春の空      たろう
    千眼てふ枝垂れ桜やまだ蕾     たろう

2、『花の寺(勝持寺)』

       

 京の西山連峰の麓にあり、小塩山大原院勝時寺と呼ぶ古刹である。白鳳八年天武天皇の勅により「役の小角・・えんのおずぬ」によって創建されたのが始まりである。応仁の乱には兵火に焼かれ、現在は天台宗勝持寺となっている。

   ねがはくは花のもとにて春死なむそのきさらぎの望月のころ  西行

 その昔平安時代の北面の武士佐藤義清(さとうのりきよ)が世をはかなみ、出家を決め西行法師となった寺とも云われている。境内の西行桜と云われる枝垂れ桜は二代目となったものの、花の寺に相応しい桜である。

 転勤により四十数年前関西に来た頃、初めて花の寺を訪れ、住職の説教を聞いた事がある。お堂の中には立派な十二神将が配され、薬師如来さまの教えなる言葉をも聞いた。曰く、「この世は苦楽相半ばなれば、先ず良しとせよ・・つまりこの世は辛い事ばかりではなく、又楽しい事ばかりではない。半分ずつであれば良しとしなさい」と云うものであった。大変感動し今でもはっきり記憶が残っている。

    寺苑なる急坂つづく落つばき   たろう
    坂道の急となればや薮つばき   たろう
    坂下り足の笑ひぬ花の寺     たろう
    剝落の阿吽象とや春浅し     たろう 

         


3、『西山正法寺』

       

 真言宗東山派別山であり、西山のお大師さまとして地元では親しまれている。寺苑には谷に面して広い梅園があり、この14日は未だ七分咲の紅梅と白梅が見頃であった。又全国より名石を取り寄せ、石のお大師様としても有名である。この日は暖かく穏やかな陽気であり、カメラ愛好家がたくさんレンズを向けていた。
   
     見下ろせる不動明王春の寺      たろう 
     名石のごろりごろりと麗らかに    たろう
     香りくる谷の梅とや正法寺      たろう
     梅林の谷より香る寺苑かな      たろう

       
    
                             以上    
    
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草若葉 三月句会   句会を終了いたします。

2025-03-05 | Weblog
・三月七日に三月の句会を始めます。投句は各自五句とします。写真は三月の季語とされる春蘭です。日本野生の蘭です。(九分九厘)
・全員の句が揃いました。皆様のコメント投稿をお願いいたします。(九分九厘)

誰が、句のコメントをブログ下部のコメント欄にまとめて書き込む言うことをしたのですか? 従来通り各人の下に、一字右にずらして書き込みましょう
(ゆらぎ)
・ゆらぎさんご指摘の通り、コメントは従来通り本文に記載して下さい。たろうさんのコメントは今後九分九厘のメールに連絡をお願いいたします。今月は九分九厘が本文に転載しておきます。(九分九厘)

・三月句会を終了いたします。皆様のご協力に感謝します。このあと、四月例会の前にかつらたろう様に吟行の執筆依頼をしています。(九分九厘、3月14日)

       


(ゆらぎ)
薬師寺や聖観音に春きたる
 薬師寺の東院堂に祭られている聖観音は最も好きな仏像である。その事を知った句友九分九厘さんはモノトーンで、その像を描いてくれた。そのスケッチは、今や私の宝物である。
・古都全体を柔らかな音で包むとは、幻想的です。(葉有露)
・俳句にしてみれば、<薬師寺><聖観音><春>のよく知られた言葉だけですが、薬師寺及び聖観音の歴史やその佇まいなどに傾倒した者どもには、いろんな世界を心の中に描き出してくれます。本句はシンプルですが、「春来たる」の下五がとても今の私にとって深い意味をもちます。ゆらぎさんに贈った絵はスケッチではなく銅版画(メゾチント)です。個展に出品するために薬師寺にも行き、3ヶ月くらいかかったものです。70歳後半、人生第二の青春期の作品ですが、恋人の如く<聖観音>とどっぷりと付き合ったものです。その御仏に<春が来た>、あれから10年ほど立ちますが、世相はもとより老いも進みました。本当の春とは、と自問自答しています。(九分九厘)

奈良町に春雨の音微かなる
・古都をすっぽり包む状況が浮かびます。(葉有露)
・悠久の古の地奈良の奈良町には、京都とは一味違うゆったりとした時間が流れ、古の趣ばかりではなく最近は古民家カフェなども流行っているようです。その奈良町に、しっとりと春雨の降る微かな音が素晴らしいです。(たろう)
・古い軒先の続く街並みに音もなく春雨が降る。それでも作者の研ぎ澄まされた聴覚には微かな音が捉えられる。しかし、それは心で捉えられたのかもしれない。混然とした無我の境地に作者はおられるのかもしれない。(龍峰)

ならまちや元興寺あたり雪の果て
今年は三月に入っても雪が降った。奈良町を散策していると、所々の雪も消えつつある。元興寺あたりに、夕べわずかに降った雪も昼頃には溶けだしているだろうなと、作者の詠嘆の思いが伝わってきます。(龍峰)

阿修羅像あとはどうなと駆けだせり
人の妻沈丁花はとつぶやけり
・紫紅色のつぼみが開き、花の盛りには白くなる沈丁花はその高貴な香りが特徴です。そしてどうしてもこの花は、女性にまつわる句が多くなりそうです。(たろう)

(葉有露)
この芽ふく老いし木肌に紅を置き
・次の句もそうですが、いずれも“老いても若くありたい”との気持ちが前面に出ていて、微笑ましい句となっています。(ゆらぎ)
・下五<紅を置き>がとてもいいですね。老人の色気と解釈してもいいし、老木の桜が花を咲き始める具体的な景とも読めます。(九分九厘)
・何の種類の樹木でしょうか?老いたると云えども、春ともなれば木肌が紅くなり、命の芽吹きです。人間様も斯くの如く、春ともなれば命の芽吹きを繋ぎたいものです。(たろう)
・早春になれば木々に若芽がふいてくる。見れば老いたる木にも紅い芽が付いている。「紅を置き」が憎いですね。(龍峰)

この芽ふく老いも若きも装いて
初雷に地面の下を思いやり
山笑ふ友と遊びしあのあたり
・この句は、文句なしにいいですね! 若い頃、春の芽吹きが始まった頃に友達と一緒に遊んだ思い出が蘇ってくる。懐かしい思い出を詠って良き句となっています(ゆらぎ)
・遠い日の友と春の山で遊んだ記憶が、今目の前にした春の山を見ていると、作者の脳裏に鮮やかによみがえってくる。追憶の1句ですね。(龍峰)

立山にに登て下界の山笑ふ
・葉有露様は、嘗ては山登りがご趣味であったと聞いた事があります。立山に登り、早春と云えども下界の事を想い、山膚の春を実感して居られるようです。(たろう)

(龍峰)
バリトンの雄たけび響く恋の猫
まさしく、恋の猫の雄叫びは物凄いものがありますね?その争いの声をしっかり観察され、人間の声に喩えれば「バリトン」と断じられました事に、感嘆しました!!。(たろう)

勝ちに行く三日三晩や浮かれ猫
・「猫の恋」の句を二句まとめてコメントさせて頂きます。”あの子(猫)は、いいわね”、と恋の妄執に取りつかれた雄猫。絶対にものにするぞ、と挑みかかる。その様が、巧みに描かれていて面白い! いつもの龍峰さんに非ざる句だ!!(ゆらぎ)
・ゆらぎさんのコメントに全くの同感です。龍峰さんの過去にあったのかな?(九分九厘)

浅みどりの水一鉢かな
片口に色と香盛るや京菜のあて
・片口を花器として使い、彩りのある京菜を盛った。この句を目にした瞬間、その華やかな光景が浮かんできた。カラフルな句すね! 今日のイチオシかな。(ゆらぎ)
 
風の中剪定進む鋏音
・剪定後の仕上りが楽しみです。(葉有露)


(たろう)
 <鳥取県用瀬(もちがせ)町>
振り返りふりかえりつつ流し流し雛
・この雛にもそれなりの一生があたったのでしょう。(葉有露)

 <ふるさと日本海の追憶より>
海苔搔きや潮目沖へと流れをり
古里の春の風物詩、海苔掻きの合間に沖に目をやれば潮目は沖へ沖へと流れている。作者の抒情詩ですね。(龍峰)

春潮の彼方に見ゆや隠岐の島
・コロナの3年前に伊丹から飛行機で隠岐島に2泊で旅行をしました。歴史の古い島でしたが、本土から見た隠岐島を俳句にすると<彼方に見ゆ>となるのですね。旅の思い出を彷彿とさせてくれます。(九分九厘)
遥か昔、江戸時代には囚人たちが島根の隠岐の島から松江や大山の方を望んだことでしょう。そして現代では、逆に大山の山頂から隠岐の島を遥かに見ることでしょう! 歴史を感じさせる一句です。深みのある秀句と思います。(ゆらぎ)

ほたほたと夢のつづきを朝寝かな
「ほたほた」がいいですね。春眠のうつらうつらとした光景がよく伝わってきます。(龍峰)

若狭より送られけふのお水取り

(紘子)
春の雪朝のカラスと挨拶す
すずめさんと共に、人間世界に馴染みのあるカラスは朝昼晩、気候の寒暖などに関係なく何時も一緒に居るようですね?春の雪の朝、窓越しに挨拶を交わして居る作者でが見えます。(たろう)
・おだやかな春の雪、まるでカラスと挨拶しているようだ。作者の雪もカラスも深く愛でる気持ちが伝わってきます。(龍峰)

と見かう見富士視野に座す春の朝
健やかな夜明け並木に囁ける
・夜明けが、”おはよう”と、木々にささやきかける。静寂な朝のシーンを巧みに描写しています。佳き句と思います。(ゆらぎ)

静かなる風と会ふ春はあけぼの
・なにかしら新しいできごとに出会いそうです。(葉有露)
・期待と無常のふたつが、同時に存在するのが春なのでしょう(九分九厘)
・ようやく明けてきた朝、外に出てみれば優し気な春の風。まるで王朝時代の宮廷の光景を詠まれたように感じてきます。(龍峰)

土手桜やさしく触るる春の雪
・川の堤に咲いている桜。その上に春の雪が一片、降り積もった。その光景が目の辺りに見えるようです。佳句かな、と!(ゆらぎ)
・土手沿いにずっと植えられて居る桜並木に、春の雪が降りつつあります。牡丹雪の為、触れるか触れないかのように、やさしく降りそそでいるようです。(たろう)

(九分九厘)
春の雪濡れる男の脚遅く
この早春は近畿圏も暖かくなったり、かと思えば急激な寒の戻りがあり、寒暖定まらず雪が良く降りました。然し、春の雪模様でもお買い物に出かけられて居るようですね?雪道とは言え、脚が遅くなったことを実感している作者が想われます。(たろう)

山笑ふなどと言ふ前火事悲惨
・山火事を目の辺りにすると、”山笑ふ”、などと呑気なことを言っておられませんね。目の付け所がいいですね。(ゆらぎ)
・春の季語として、山の木々の芽吹きなどにより「山笑ふ」と云います。今年は火事が多いい中、先日の岩手県大船渡の連日にわたる山火事に想いを馳せる作者です。(たろう)

春隣り年下多し訃報欄
・確かに、自分よりも若い人がなくなる、という訃報もありますね。己が、生きていると言うだけでだけで、以て瞑すべし! (ゆらぎ)
・もうじき春、冬を終えつつある今日この頃、訃報のメールや新聞の訃報欄を見ていると、自分より若い人の訃報が増えてきたなあ。何とも言えない感慨に耽る、と同時に、健康に恵まれている今を大事に生きようとの、作者の思いも伝わってきます。(龍峰)

宅配の冷凍うなぎ春の宴
・冷凍物と暖かな春の対比。人生の味。(葉有露)
・年老いての生活で世の進歩に応じた生活を営み、しかし、心は豊かに春の宴を結ぶ。
作者の人生を最後まで謳歌する気概と達観した余裕が感じられます。(龍峰)

老人も更に年取る春おぼろ
                       以上
      
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鎌倉吟行(龍峰)

2025-02-18 | Weblog
鎌倉吟行
 昨年の12月はじめ、宿願の鎌倉吟行に出かけた。予め調べると、鎌倉の紅葉も12月に入ってからが見頃とのことで師走となった。これまで2度ばかり、ここには来ており、主な観光スポットは回っていた。そこで今回は、主に鎌倉五山を中心とした古寺めぐりとゆっくり1日かけて江ノ電に乗ることとした。

 1日目;神戸――>鎌倉 雪ノ下 鶴岡八幡宮
本日は晴天なり。富士市を過ぎたあたりで、車窓から素晴らしい富士の姿を見ることができた。
       
       車窓富士
   
    冬晴れや言葉失う今朝の富士

 雪ノ下;昼前に到着、宿は駅から7分ぐらいの近場。まず、念願の雪ノ下の界隈を散策しながら鶴岡八幡宮へ。噂の通り、雪ノ下の町並みは古い狭い路に板塀などが続き、昭和の面影を残す趣があった。その一角にある大仏次郎の邸宅をぐるりと回って鶴岡八幡宮の横へ出た。
       
       雪ノ下

        
          大佛次郎邸

    板塀に紅葉散りたる雪ノ下
    文豪の屋敷跡とやつわの花

 鶴岡八幡宮;境内は外人観光客がやはり多い。境内の中の文化会館内の喫茶で鎌倉の夕日を見送りながら、ゆっくりと時を過ごした。

    碧空や朱の柱越し銀杏黄葉
    銀杏陰に切つ先キラリ雪の朝
    万象の時とめて暮る冬日かな
  
 2日目;円覚寺 東慶寺 浄智寺 明月院 建長寺

 円覚寺;鎌倉五山第2位、この寺院の数多い伽藍は小高い山の斜面に、今が見頃の紅葉の中に広がり建てられている。境内は次第に斜面を登り、変化に富んだ地形を楽しませてくれる。簡素な禅寺の静謐さに浸りながら紅葉を味わうことできた。
       
          円覚寺

       
       紅葉の山門

    蒼空や鎌倉五山紅葉濃し
    朝まだき落葉曼荼羅古刹かな
    山門のあほぐばかりぞ冬紅葉
    冬に入るお経かすかに奥の院
    禅寺の擦り減りし段落葉積む

 東慶寺;江戸時代の「駆け込み寺」「女人の縁切り寺」で幕府の庇護を受けていたが、今は寂れてひっそりしていた。

    駆け込みの影探しをり冬の寺

 浄智寺;鎌倉五山第4位。円覚寺派の寺、山中の境内はかなり広く、そして随分古い。ここもひっそり。中国風の山門が印象的。
       
       浄智寺山門

   散り紅葉栄華しのばす古刹かな

 明月院;アジサイの寺。この時期は全山紅葉の中にあり。こじんまりしたきれいな寺であった。

    一山の冬紅葉背に明月院

 建長寺;鎌倉五山第1位。山に囲まれた平地に大伽藍が整然と建ち並ぶ。非の打ちどころのない静謐な感じ、付け入る隙間なし。境内を歩いていて、ふと円覚寺の方が味わい深いように感じた。
       
       建長寺山門

    人絶へし山門染め揚ぐ冬夕日

 3日目;江ノ電 途中下車 長谷寺 高徳院(大仏) 極楽寺 稲村ケ崎 腰越漁港 藤沢 帰り七里ガ浜(車中)

 長谷寺;天平8年(736年)の開山。鎌倉で最も古い寺の一つ。観光客が多い為か実にきれいに整備され、寸分のスキもない。高さ9m以上もある日本最大級の観音様も気恥ずかしいだろう。鎌倉五山とはエライ雰囲気が異なる。見晴台よりの鎌倉海岸の眺めは大変良しであった。

    観音の七光りなり小春かな 
    観音を背に由比が浜冬光り

 鎌倉大仏;鎌倉大仏は国宝。1252年に鋳造された以外は不詳。鎌倉幕府が滅びた後は、台風や津波で倒壊したと言われているがよく分からない。ご難続であったようだ。

   大仏や銀杏黄葉を従ひて
   冬の日や艱難へても笑みたまふ

 極楽寺;鎌倉では珍しく真言宗の寺。開山時は広い境内であったが、今では狭くなり古びている。貧しい人を助けた慈悲の寺であったと。

    うつせみの悟りを前に小春寺

 稲村ケ崎;サザンオールスターズの「君こそスターだ」の出だしを思い出し、途中下車。「今日は雨」ではなく晴れだった。南風が吹き渚には荒波が押し寄せていた。

    冬日燦稲村ケ崎波荒らし

 腰越漁港;ホテルのフロントでシラスが水揚げされる漁港でシラス丼が美味しいと紹介され、訪ねた。富士と思しき山並みが湊の向こうに見えた。

    富士遠望腰越の冬湊かな

 七里ガ浜(車窓);日没の時間を終点の藤沢で見計らい、折り返しの江ノ電に乗る。素晴らしい江の島にかかる夕日が見られた。
        
         江の島落暉

        江の島や冬の落暉独り占め

 4日目;光明寺 妙本寺 荏柄天神社 法華堂跡(源頼朝墓 北条義時墓) 鎌倉――>神戸

 光明寺;材木座海岸に近い広々とした境内に鎌倉随一の山門や大同(本堂)が建つ。観光客は我々のみ。海岸からの風強し。裏手の山に登ると、これまた材木座海岸に打ち寄せる荒波の向こうに、素晴らしい富士が見えた。
       
          光明寺大堂
  
    海鳴りに動ぜず冬の大伽藍

       
       材木座海岸

        遠富士や冬の鎌倉濤高し

 妙本寺;鎌倉の山に入りこんで建つ。日蓮宗の古刹。紅葉がきれいだった。なぜか分からないが、境内には幾組ものの新郎新婦の姿があり、プロのカメラマンが、本堂をバックに記念写真を撮っていた。日蓮も泉下で苦笑いだろう。

    日蓮も寄りし古刹や冬紅葉

 荏柄天神社;大宰府天満宮、北野天満宮と共に日本三古天神に数えられる古社。訪ねた理由は手元の絵画本の中に、著者がこの境内で描いた絵の、実に鮮やかな朱色の社殿が掲載されていたからである。
       
       荏柄天神

    寒空やかしこむ宮の朱の社殿

 法華堂跡(源頼朝の墓、北条義時の墓)二人の墓がある場所が法華堂跡と言われる。白幡神社の裏手の高台にあるが、背後の松が覆いかぶさり、草深い中に立っている。蕭然として実に寂しい限り。訪れる人もほとんどいないだろう。慰めはただ松籟のみ。思わず、平家物語のお馴染の一節「--盛者必衰の理をあらはす。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」、つわものどもの夢の跡姿である。

          士慰むは冬の松籟ばかりなり
                              【完】
                                                        
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草若葉 令和七年二月例会   二月の句会を終了します。

2025-02-03 | Weblog
・二月七日に恒例の句会を行いますので、ご用意をお願いします。写真は南あわじ市八木にある私邸の枝垂れ梅です。20年ほど昔に撮った写真です。(九分九厘)

・二月七日になりました。皆様の投稿をお願いいたします。(九分九厘)

・全員の投稿が終りました。選句とコメントをお願いいたします。(九分九厘)

・二月の例会を終了とします。皆様のご協力に感謝します。このあとに龍峰さんの文芸随筆を予定しております。(九分九厘)


        


(九分九厘)
今はとて梅咲くころの誕生日
 ・これから梅が咲くころ自分の誕生日だと。何とも雅な月に生まれたものだと、われながら感嘆されているのでしょうか。(龍峰)
  ・この句を詠んでいただき、嬉しくなりました! 僕も同じ二月に生まれました。何とも言えぬ、良きです!(ゆらぎ)

銑ちゃんと母の呼ぶ声春の夢
 ・その声がいまだに残っています。そしてこれからも続くでしょうね。(葉有露)
 ・これも良き句です! お母様にとって、九分九厘さんは,可愛くてたまらなかったのでしょう。(ゆらぎ)
 ・兎に角寒い今頃の時季は、どうしても自身の身の廻りの事や、内面のことに注意が行くようです。うとうとと春の夢見を楽しむ事もあり、その様な時には何十年も前の光景が現れ、母上が優しく呼んでくれたようですね!!。小生は体調が悪くなれば、父親の夢を良く見ます。幼い時に亡くなった母親に替わり、心配してくれているようです。(たろう)

梅二月自称伯楽初画描
 ・今年も二月に入り、もう間もなく梅の開花の時季を迎えますね?「自称」とご謙遜ながら、春の景色も増え絵描きに専念のようです。すべて漢字表現の中に充分言いたい事が表されて居りますね!!。(たろう)

土佐鶴の寒酒うまし気宇晴れる
 ・銘酒、土佐鶴は、実際に口にしたことがあります。「大吟醸」はとてつもなく美味な酒です!そりゃあ、気宇も晴れますよね。(ゆらぎ)

おゝ寒い Dig and dig baby この野郎!
 ・この1週間の寒さ、尋常ではない!しかし、俺は耐えるぜ!もっと寒くなってかかって来い、この野郎! 同感です。(龍峰)

(紘子)
春近しはるかに南十字星
 ・そうですか! 日本から南十字星が見えるのですか。豪州では真上に見えました。(九分九厘)
 ・これは詠み手の希望ですね!日本の本州からは南十字星はほぼ見えません。詠み手の願望なのでしょう。でも、、どれがもし見えたら、それだけ、春は近いということなのでしょうね。(ゆらぎ)
 ・南十字星は十文字の形をしており、別名サザンクロスとも云うようですね?ところが北半球に位置する日本では見る事が出来るのは、沖縄の宮古島ああたりに限られるようです。遠いとおい南半球の果てにみえる南十字星に想いを馳せ、「春を待つ」心情が垣間見えます。(たろう)

ひっそりと輝く星と冬さりぬ
 ・「ひっそりと」の表現がぴったりです。(葉有露) 

如月の夜明け優しき空の青
 ・このところの寒さからは、とても小生には詠めない句です。感服です(龍峰)
 ・立春を過ぎたとは言え、未だ夜明けは遅いようですね?小生も目覚める7時頃にはカーテンを開け、今日の空模様をよく確認致します。二月の朝の茜空は明るい春を思わせ嬉しいものですね!!。(たろう)

ゆったりと雲歩みくる春を連れ
 ・この句を読んでいてほっとする安堵感を感じます。声に出して読んでみると、ゆっくりと読んでいくようです。(九分九厘)
 ・九分九厘さんの見方に同感!。いい句です。なかなかこのようには詠めません。(ゆらぎ)

涅槃会を迎ふ大空ありにけり

(くわもとたろう)
ふるさとを想ひ歩めり枯野行
海鳴りのしきりに聞こゆ懸大根
 ・ふるさとから送られた大根に海鳴の音がする。句の発想が素晴らしいですね。好きな句です。(九分九厘)
 ・同じ日本海側に古里を持つ者として、いたく実感の湧く句です。「懸大根」がいかにも俳句的です。(龍峰)
 ・「縣大根」という季語を初めて知りました。九分九厘さんのコメントに同感です!とても、このような味わいのある句は詠めません!(ゆらぎ)

もくれんの冬芽かくかくしかじかと
らふばひの玉の明かりや葉の見えず
 ・葉のない蠟梅こその横顔がひきたつようです。(葉有露)
 ・春の先駆けに咲く蝋梅、貴重な花ですね。この蝋梅を「玉の明かり」と詠まれたセンスに脱帽です。(龍峰)

うすらひやバケツの中に柄杓立つ
 ・読んだ瞬間、句の意味が分からなかったのですが、じつに面白い景を読まれました。世相の批判の句とも・・・。(九分九厘)
 ・九分九厘さんのコメントに同感です。(ゆらぎ

(葉有露)
早春の言葉の匂いなつかしみ
 ・この句の解釈は深読みする私にとっては、あれこれと考えてしまいます。「早春」という言葉そのものの匂いか、或いは「早春の言葉」をひと括りにするのか。いずれにせよ、昔々のことのようです。(九分九厘)
 ・小学校に上がるころから多感な青年時代にかけて、この「早春」と言う言葉は種々の意味を持って脳裏に刻まれています。そのことを「匂い」と一言で表現されたことに深く感銘を受けています。いい句ですね。(龍峰)
 ・「早春」・・・暦の上で春は来ても、寒さがまだ去らない。その頃には、梅が咲き、蕗の薹が目を出し、いぬふぐりまで瑠璃色の小さな花をつける。「早春:と言う言葉には、そんな懐かしいい匂いがするようです。良き句です。(ゆらぎ)
 ・「早春」と云えば、♪「春~は名のみ~の~風の寒さや~」♪との、早春賦の歌もあり、 言葉の匂いも懐かしいものですね?小生は最近特に、言葉の持つ意味の「重さ」を感ずるようになりました。(たろう)

早春の目覚めうつろ老いもあり
 ・起きても、まだはっきりとは目覚めない。私たちの年代になるとそのようになることがありますね! 蛇足ですが、「目覚め」と「うつろ」の間に、”は”という言葉を挿入されると、いいかもしれませんね。(ゆらぎ)

早春の定まらぬ日々我が心
春菊を束ね炊事場母の待つ
牛鍋に春菊盛りて待機せり
 ・貴重な冬野菜。この寒い時期の牛鍋は感激そのもの。その鍋をさらに引き立てる青々とした春菊。遅れて席に着く人を急かしているようです。(龍峰)
 ・冬は「薬喰い」との季語もありますように、体力をつける為に、猪や鹿、うさぎなどの動物の肉も「薬喰い」と称して食べていたようです。牛鍋に春菊を盛ってさあ~これから宴会の始まりです。(たろう)

(龍峰)
春寒や鷺飛び降りて水輪立つ
 ・季語が主人公となっていて、これを具体的に絵画化するとこのような句になる。
夏井さんなら満点を出すような句ですね。(九分九厘)
 ・この水輪こそ春の始まりの予兆でしょうか。(葉有露)
 ・九分九厘さんのコメントに同感です。(ゆらぎ)

 林檎食む音尖りたる夜寒かな
 ・私は寒い夜に生のリンゴを丸かじりはしたことはありません。うすら怖い話です。それに「音と尖りたる」とは大切にしている歯が折れそうなことです。学生時代にはあったのかも。この句は作者の悪戯っぽいお遊びかも知れません。(九分九厘)

 寒禽の一声統ぶや裏の山
龍峰様の裏山と云えば、六甲山でしょうか?又寒禽とは冬の鵯でしょうか?キ~イ!、キ~イ!と金切り声を立てて山を統べるようです。(たろう)

 皿に水かけつ並べる獺祭魚
 立春大吉船腹朱き内航船
 ・瀬戸内海に浮かぶ赤く塗られた内航船、見ているだけで幸せを感じます。
  ユニークな言葉使いで、佳句とはなりました。(ゆらぎ)
 ・この御句を読めば、一瞬にしてその昔、六甲アイランドセンターでの月一回の草若葉句会を想い出します。六甲ライナーに乗り、湾内の艀(はしけ)や貨物船が眼下に眺められ、いつも楽しみでありました。「立春」に船腹朱きとの措辞が効果的であり、懐かしい光景が眼に見えるようです。(たろう)

(ゆらぎ)
 なんと言ってもこの時期、思い出すのは井伏鱒二の『厄除け詩集』。その中の文の一つ一つを味わいながら、句を詠むことにしました。→九分九厘さんのご指摘にもとずき、五句に絞りました。
 
梅二月サヨナラだけが人生だ
 ・元の井伏鱒二の漢詩の「超訳」には二通りの解釈があるようですが、それは「惜別」であろうが「一期一会」であろうが、この梅の時期のサヨナラは雅で、王朝の雰囲気が伝わってきます。(龍峰)
 ・梅の花が咲く二月と云えば、3月の卒業や就職などを控え、心身ともに慌ただしい時季ですね?新しい環境を迎え、思い切ってこれ迄の周囲に「サヨナラ」をする時でもあります。嘗て「サヨナラだけが人生だ」とのセリフが良く流行った事を想い出しました。(たろう)

春浅し初恋しのぶ独り酒
 ・初恋とは早春の匂いがするようです。(葉有露)
 ・「初恋を偲ぶ」との事から、哀しい結末の初恋であったようですね?殆どの初恋はそのようであり、「あの人が初恋の人でなかったら?」との思いも過ぎるようです。そのような事を想い出しながら、浅春に飲むほろ苦い「独り酒」ですね!!。(たろう)

春寒く夜の嵐に雨まじる
  ~中国の詩人、孟浩然の『春暁』にふと思いを馳せた。
 ・孟浩然はぬくぬくとした春の眠りをいつくしんだことでしょうが、このところの冬将軍の到来では、眠りを楽しむどころではない。早く心地よい春の眠りの時期到来が待ち遠しい。(龍峰)

夜遊び(よあそび)ということもある梅二月
 ・寒い最中のことですから、中七の言葉からすると「滅多にない」と言うことでしょう。あるとすれば相手は余程魅力があることなのでしょう。帰りは道を間違えるかも知れないのでタクシーで帰って下さい。(九分九厘)

戦後責任論読む老青年

  
~『戦後責任論』は、高橋哲也の労作。読むべき論文!
   なお『厄除け詩集』とは関係はない。
  



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『藤沢周平句集』について

2025-01-21 | Weblog
(初めに) 一月の句会が終わった後、西の親分から、”個人ブログの文芸随筆を掲載したい。ただ今回の新年句会のように結構立派な句会後に、また同じような句を並べるようものとは、ちょっと雰囲気を変えた俳論や随筆が望まれます。・・・”と、言うようなご意見というかご指示が飛んきました。そこで、ふと思いついたのが、手元にあった『藤沢周平句集』です。そんな訳で藤沢の本をご紹介することにしました。お楽しみいただければ幸いです。

 後ほど、冒頭に『藤沢周平句集』の写真をアップいたします。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 」藤沢周平には、いろんな作品がある。「蝉しぐれ」、「たそがれ清兵衛」、「三屋清左衛門残日録」など。しかし藤沢は、”私の作品は、みな暗い”と言って、明るい小説をとして、『用心棒日月抄シリーズ』を書いた。この中で、ある藩の隠密である「佐知」と「藩の剣士である又八郎」が濃密な恋をする。私は、これを読んで藤沢周平に対する暗いイメージは消えてしまった。

 その藤沢が俳句を詠むとは、これまで知らなかった。それらの句といくつかのエッセイを書いたのが、この本である。それらの中から、いくつかのものを拾ってみることにする。詠んだ俳句には、駄句もあるが、なかなか味がある句もある。また、文章も秀逸なものがあるのだ。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 藤沢周平が、俳句を詠み始めたのは、昭和28年頃のことである。「海坂」(うなさか)という俳誌に投稿していた。馬酔木同人が、百合山羽公、相生垣瓜人の両氏を擁して俳句にいそしんでいた。過去に一度だけ真剣に句作していた。そこの野火止句会に参加し、Sさんに指導を受けたが、句作の経験があるのは、このSさん一人。あとは、藤沢を含めて俳句を作るのは生まれて初めてという、恐るべき人間の集まりだった。私たちは、俳句には季語というものが必要だと聞き、慌てて「季寄せ」を買いに走った。およそこの句会の正体が知れるというものである。しかしSさんは、そういう私たちに俳句のイロハから
教えて、少しも倦まなかった。文字通り、手取り足取りの指導で、見たものを詠めと言って、私たちをよく雑木林や麦畑に連れ出した。それを吟行だというのを聞き、、私たちはわずかに芽吹く早春の雑木林を嬉々として歩き、いっぱしの俳人気取りで、俳号などをつけて句を作ったのである。句会に出る俳句が、どうにか見られるようになった頃、Sさんは一冊の俳句雑誌(海坂)を出してきてみんなに見せ、句会の選を経た句をここに投句するのだと言った。その紙も悪く。薄っぺらな俳誌が「海坂」であった。その句会が出来たのは昭和28年2月で、まだ物も不足がち、紙質も悪く粗末な物であった。だがその中に俳句初心者の私を瞠目させる句が載っていた。

  ”猟銃音部落明らかに点在す”(岡本昌三)、他二句。

これらの句を見たその時に、初めて現代俳句というものが、私の内部に入り込んできた。それまで、俳句というものは何となくじじむさい古い代物のように考えていた。一茶の句などは読むに値しないと思っていた。まことに愚かさ。それは無知から来ていた。無知は時として恐るべきものである。前記「海坂」の三氏の句はそういう私の眼を開き、現代俳句から芭蕉、一茶の再読にまで私を導く鍵となったのである。

 これらの句が俳句としてどうとか、そこを評価する資格は私にはなかったが、ともかく私は、一発の猟銃音が響いて消えた後に残る、点在する部落の静寂を感じ取ることができた。眼下のその村に差し掛ける、やや赤み帯びた日の光まで見たようであった。・・・・
 そこが入り口であった。私は、それから後、「海坂」に投句する一方で、しきりに現代俳句の作品を読むようになった。そこで好きになった作家が、秋櫻子/素十/誓子だと言い、私の好みの偏りがやや明らかになるだろう。


 つまり一口に言えば、自然を詠んだ句に固執するということである。だから、”月の出や印南野に苗余るらし”、という句で永田耕衣が記憶され、”枯野はも縁の下まで続きおり”で俳人久保田万太郎が忘れえぬ作家となるというふうである、人事より自然の方に心うたれるのである。


  注)今の私たちは、どちらかと言えば、人事に関する句が多く(それも甘ったるい)、上記の状況とは大違いである。
 
 注)まだまだこの文章は続くのであるが、いったんこの辺りにして、藤沢周平の詠んだ句をご紹介したい。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(藤沢周平句集より、印象に残ったものを採り上げることにした。かなり数の句を詠んでいる。

 〇風出でて雨後の若葉の照りに照る

 〇大氷柱崩るる音す星明り

 〇聖書借り来し畑道や春の虹


 〇桐の花葬りの楽の遠かりけり

 〇桐の花咲く邑(むら)に病みロマ書読む

 〇水争ふ兄を残して帰りけり

 
 〇真夜も熱に覚むれば梅雨の音すなり

 〇天の藍流して秋の川鳴れり

 〇冬雨を聴きをり静臥位を解かず

 〇微かなる脳の疲れや薔薇薫る

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 これらの句の後に「随筆九編」が来る。その中でも小林一茶のことを書いたものが印象に残った。藤沢が俳句を作ったのは正味1年半くらいの間であろうか、

以下は、藤沢周平が小林一茶のことについて綴った文である。昭30年頃のことか、俳句の劣等生のような藤沢が、小林一茶のことを小説に書いた。本人いわく、”だいそれた話という感じがなくもない”。

”一茶は二万の句を吐いた俳人である一方で、弟から財産を半分むしり取った人間ですからなあ、小説的な人間です。” こういうやや軽薄で、無責任なおしゃべりの後で、私は一茶を小説に書かざるを得ない羽目になった。”

 その中の「一茶とその妻たち」という一文が印象に残ったので、以下に紹介する。

      ~~~~~~~~~~~~~~

 一茶は、江戸で貧しい暮らしをしたからと言っても、下総・上総といった俳句の門人がいる土地を一回りしてくると、直後は暮らしに不自由しないほどの金が集まって、芝居見物などんもしていた。つまり一夜娼婦買いも出来ないほど貧しかった訳ではなかったから、吉田町はともかく、たまには岡場所遊びもしたことと思われる。それは52歳まで独身だった男としては余り前のことで、別に隠すようなことではないはずだが、一茶はなぜかそう言う女性関係をひた隠しにした形跡がある。

 そういう一茶にとって、52歳になって初めて手にした結婚生活は、珠玉のような人なの世界に思われたに違いない。新婦の菊はこのとき28歳で初婚だった。菊はよく働く女性だったことがうかがわれる一方、実家に帰ったり、時には夫婦喧嘩もし、多少わがままで気の強いところもあったようだ。だが一茶が、その若い妻をこよなくいつくしんだらしいことは一茶の日記に記されていることでも分かる。

菊が実家に帰るときはよく自分も同行し、一泊して先に帰ったりしているのも甘い夫ぶりだと言えるだろう。そしてあの有名にして奇妙な「菊女帰 夜五交合」とか「婦夫月見 三交」、「墓詣 夜三交」といった記載が日記に出てくるのである。一茶はその以前にも「夜雪 交合」などと記したことはあったが、性交の回数を示すと思われれる数字まで記したのは、今度が初めてである。それは新婚3年目の八月のことで、日記にそう記す一週間ほど前から一茶は妻と大喧嘩していた。

 と、言っても怒り狂っているのはもっぱら菊女の方で、夕方に突然姿を消して一茶を慌てさせたり、春に植えた木瓜を引き抜いたりした後、今度は実家に帰る。「菊女帰 夜五交合」は、こうしたことがあった直後の日記である。それが8月8日のことで、中旬に入ってからも、連日のように「三交」、「夜 三交」といった記載が続く。しかし、この八月の記事とか、翌14年末の日記に出てくる、連日の「旦一交」などを取り上げて、一茶を異常性欲の持ち主、あるいは精力絶倫男のように言うのはどんなものだろうか。

たしかに当時の五十歳は、現在の六十歳以上、あるいは七十歳近い年齢に相当するかもしれないが、一茶はあの長い満たされない年月を送ってきたので、十分に満たされ、そろそろ草臥れが来ている同年代の所帯持ちとは、いささか異なるところがあっただろう。つまり一茶の性生活とうもの、並みの五十歳に比べると体力的にも精神的にも遥かに若わわかしいものであったとしても、さほど不思議でないのである。


 精神的にも性的にも、長く孤独満たされない年月を経て来たたために、一茶の性生活は人生の幸福感に直結する。
「菊女帰 夜五交合」は、少々度が過ぎているとしても、夫婦仲直りのあとの気持ちの高揚をうつして、ごく自然である。そう解釈すると、日記に出てくる交合の記録も、書き留めずにはいられない一茶の幸福感を見るよう、さほどの違和感は感じられないのである。
 注)この幸せな結婚生活のあとのことは省略させていただく。いずれにしろ,
この文章の書き手である藤沢周平は、あたたかな目で一茶のことを記したのである。ちなみに他の随筆もいろいある。藤沢周平の人を見るあたたかな眼差し、するど観察眼もあり、一読されることをおすすめしたい。
                              以上
 ゆらぎ拝

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草若葉  明けましておめでとうございます。新年句会です。 これにて本句会を終了いたします

2025-01-01 | Weblog
             

令和七年の新春を迎えました。今年もよろしくお願いいたします。
一月七日に草若葉の一月例会を行います。一人五句です。要領はいつもの通りです。よろしくお願いいたします。(幹事:九分九厘)

七日になりました。新年句会を始めます。今回からはコメントは入れてもらいますが、コメントバックは実施いたしません。前回よりも短期間で終了し、その後は次の個人ブログへ移ります。皆様のご協力をお願いいたします。(九分九厘)

全員の投稿が終りました。コメントをお願いいたします。(九分九厘)

皆様のコメントが終了しましたので、本年の新年句会をこれで終りにいたします。皆様のご協力に感謝します。尚、紘子さんの投稿は九分九厘が仲介してパソコン入力をしています。投句は何とかなりますが、コメントにつきましては不備が生じます。今回も割愛させてもらいますが、皆様のご了解を得たいと考えます。 (’25、1、11 九分九厘)

(紘子)
大晦日はるかに富士の黙しをり
新年の黙ほどきたる富士の峰
・最初の句の大晦日の富士と新年の富士がセットになり、時空の流れに思いをよせる発想に共感しています。「黙」の解釈は読む人それぞれに解釈が異なると思いますが、ともあれ今年はいい年であることを祈っています。今年の富士は綺麗に雪をかぶっているようですね。(九分九厘)
・どんな日々であっても、富士を目にすると日常から開放されます。小生も、かって住んでいた藤沢の地の日々を思い出します。(葉有露)
・富士山は関東各地より望まれると云います。それほど円錐形の山容が美しく、今年は海外より沢山の観光客が押し寄せたと云います。
お住まいの近くに新年の富士山が望まれたようですね?年が変わり静寂を破り、饒舌になった富士の峰が想われます。(かつらたろう)
・新しく迎えた年は静かで荘厳な中に明け初めた。その張り詰めた雰囲気は、いつも見ている富士の峰を遠くに認めて、緊張した気持ちが和らぎ、我に返った。新玉の年を迎える作者は厳粛な中に初富士を見て我に返る。そして寿ぐ気持ちが満ちてきた。新年を迎えるにふさわしいいい句ですね。「黙ほどきたる」が巧みです。(龍峰)
・”新年の黙”。と言う言葉がいいですね。言葉を失うほどの富士山の圧倒的大きさ。それに詠み手は、感動を覚えたのでしょうね。スケールの大きな句です!(ゆらぎ)

空澄めり八十才のお正月
・何と清々しい句でしょう。八十才を迎えての正月、何もかも悟りきったような感じさえする、作者の静かな気持ちが伝わってきます。(龍峰)

新年の第九また良し朝ぼらけ
まさに同感! 通常は年末に歌う、または聞く第九ですげが、お正月に耳をかたむけるのもまたよし! (ゆらぎ)

年新た老いのひと日の改まる
・同級生の紘子さんでしたね?。年が変われば、否応なく老いの一日が改まり、又一日が始まります。今年も健康に留意の上、俳句を楽しみながら過ごしましょう!!。(かつらたろう) 

(かつらたろう)
先急ぐ老いの人なり息白し
東雲のほのと明るく初山河
・「ほの』とは、新年にふさわしく優雅な趣です。(葉有露)
・東の空の明け行く元日の瑞気の満ちた風景、新年を迎える厳粛な雰囲気の、作者の気持ちが静かに伝わってきます。「ほのと明るく」に新たな年への希望、作者の優しい人柄さえ感じます。(龍峰)

 <初詣の大原野神社>
神苑の高き木立や淑気満つ
・大原野神社の素朴で広い境内が目に浮かびます。そこに生えている背の高い古木に、新春の瑞祥の気の漂っている雰囲気を作者は感じられた。厳かな気持ちが伝わってきます。(龍峰)
・京都の西にあるこの神社は、奈良の春日大社を模したもの。紫式部も、中宮彰子の共をして祈りながら参詣したことでしょう。新年の神々しい気持ちが伝わってくるようです。(ゆらぎ)

あはあはと鴉笑ふ御慶かな
・面白い句ですね。「鴉笑ふ」の意味をあれこれと考えられることです。辞書によれば
「今まで泣いていた者が、すぐあときげんを直して笑っていること。」とありました。喜怒哀楽・紛争や戦争・政治の激変などなど、鴉からみる人の世の姿がみられます。あれこれと問題はありますが、ともあれ下五の「御慶かな」で締めてもらいました。(九分九厘)

金杯の乾杯なるや初競馬

(九分九厘)
初風呂や隣は古刹太山寺
・作者は初湯につかりながら、気持ちも新たな年を、またこれまでの過ぎし長い年月を、わが人生の歩みを思い浮かべられておられるのでしょう。作者の住まいの近くには1300年を超える古刹・名刹の太山寺があります。わが人生はこの古刹に見守られているような感じがし、その寺の歴史に比べれば、人の一生は短いものだとも感じておられる。しかし、わが身にとっては掛け替えのない年月ではある。そのような思いが伝わってくるような句です。中七でスパッと「古刹太山寺」と詠まれたことが句の深遠な奥行、広がりを感じさせます。(龍峰)
・結構なお正月気分ですね!湯につかっていると、近隣のある太山寺のことが偲ばれる。愉快にしてスケールの大きな句です! (ゆらぎ)


歯固やかくしゃくなれど根気負け
雑煮のみ倉敷風の残渣あり
・身に備わった味覚の遺伝子でしょうか。(葉有露)
・九分九厘様は岡山出身でしたね?正月雑煮も全国の土地柄があり、北海道は鰊などや、関東は角餅に鳴門入りのすまし、京都は白味噌使い雑煮、そして我が田舎鳥取は甘い小豆雑煮「所謂ぜんざい」です。然し、二人とも同郷の為同じ小豆雑煮です。(かつらたろう)

直ぐならぬ積木のごとし去年今年
・新年になって過ぎ去った年を振り返れば、人生は思い通りいかぬばかりか、まっすぐにはいかぬものだと、作者はつくづく感じておられる。誠に共感を呼ぶ句ですね。(龍峰)
・龍峰さんの所感に、右同じです。とても深みを感じさせる句です!(ゆらぎ)
・数年前より、ロシアのウクライナ侵攻があり、イスラエルによるガザ侵攻やレバノン攻撃など、対イスラムなどの戦争が各地であり、韓国の謎のような政変、アメリカの内向きばかりのトランプの再選、など世界中が混沌となるばかりです。世の中、平和も何事も即良くなることはありません。当に積み木を積むごとくの「去年今年」ですね!!。難しい季語をよく「ものに」されました。(かつらたろう)

運たがひ夫婦それぞれ寝正月
・昨年から作者の身辺で起きたことを詠まれたのでしょうが、決して深刻には捉えられていない。後五に「寝正月」を持ってこられたのは、さだめを逆手に正月は家に籠って寝て過ごすぞと、作者は開きなおった。句に気持ちの余裕とユーモアさえ感じます。(龍峰)
・これも龍峰さんの所感に同じです。病を抱えたダンナと体不具合も抱えた妻。それを、このように詠むと、それなりの幸せすら感じます。(ゆらぎ)

(龍峰)
鈍色の薄る生駒や初茜
 ・かつて絵の師匠と湖北にスケッチ旅行をしました。生駒の山の魅力をたっぷりと味わったことが懐かしいです。新幹線でチラリとみるだけの生駒と違いますね。絵を描けたら素晴らしいと思いますが、本句の情景を表わすには数枚の連作が必要のようです。色感・温度感・時間の経過など光景の描写に優れた句と思います。(九分九厘)
 ・初茜とはお目出度いことです。ご自宅からの展望でしょうね。(葉有路)
 ・この句はまさに小生の南のベランダからの風景です。それを、このように詠まれると一幅の絵となり、”ああ、いいところに住んでいるなあ!”と感じます。詠んでいただきありがとうございました!(ゆらぎ)

日本海の砕け散る濤淑気満つ
 ・龍峰様の田舎の実家は、富山の日本海に近い所でしたね?鳥取の舎の実家では、冬の日本海の荒波が海岸に砕け散れば「ど〜ん!!ガラガラガラ!!と海岸のごろた石を巻き込み、恐ろしい「海鳴り」です。そして波の花が漂います。しかし、その様子を眺めれば「淑気満つ」心情になりますね!!。(かつらたろう)

金粉の舞ひを飲み干す年酒かな
 ・私も一度この酒を飲んだことがあります。中七の思い切りの良さが、この句を引き立てています。こんな題材が俳句になるとは、と感心しました。
 ・龍峰様宅は正月の年酒は、金粉入りのお酒を頂かれるようですね?小生の最近はノンアルコールビールばかりです。ビールメーカーも沢山種類を出し、力を入れているようです。然し、ノンアルだけに沢山飲めません。(かつらたろう)

弾初や三分の出来のカンパネラ
えっ、ピアノでも始められたのですか! 三分の出来、といえど素晴らしい!’(ゆらぎ)

崇めらる三ッ日エヘンと嫁が君

(ゆらぎ)
今生の今が幸せ初日の出
・何とものどかな、文字通り幸せな作者をひしと感じます。句はすでに小林一茶を遥かに超えていますね。(龍峰)
 ・初日の出の耀く陽光に臨みながら、ゆらぎ様は大きく達観(悟られた)ようですね? 過去を振り返り、未来を見据えても今を生きている「今生・・現在」が一番の幸せとは、云い得て妙かと存じます!!。毎日、日の出を遙拝しながら幸せをかみしめ過ごしたいものです。(かつらたろう)

とくとくと酒注がれゆく今朝の春
 ・上五中七の時間経過は、酒飲みの私なら二時間くらいは続けることが出来ます。春を味わうことは、酒を飲む時間と相関があることだと、この句で実感しました。いつもはやめしのゆらぎさんですが、今年は奥様とごゆるりのお正月でしたね。(九分九厘)
 ・作者宅の元日の朝の光景が目に浮かぶようです。並べられたお節を前に、注がれた年酒を心から寿ぎ、味わっておられるようですね。いいですね。(龍峰)

初明かりちぬの海越えしじまより
 ・六甲アイランドならでの新年ですね。この光景は、小生も子供の頃から、摩耶山頂より眺めていました。(葉有露)
  ・嘗て、芒の会の皆様と吟行を楽しみましたゆらぎ様の近くの海辺が想われます。確か釣り人も沢山居り、大阪湾方面に日の出を見ることが出来る事から、「初明かりを遙拝する人々」で一杯と聞いて居りましたね?。正月が終われば、ちぬ釣りも又一興かともです!!。(かつらたろう)

四方の春昔は式部今南場
  ~優れた女性を挙げました。平安時代の紫式部と、現代の南場智子(ハーバード大学を卒業し、株DNAを創業、横浜DeNAベイスターズのオーナー。女性初の日本プロ野球オーナ会議議長。女性初の日本経済だ団体連合副会長。

初明かりおせち食べれば海光る

 (葉有露)
朝のミサ司祭の声は冴えわたり
 ・俳句は「言葉」の芸と言いますが、中七下五の「声は冴えわたり」が効いた句だと思います。「イエスは十字架の死を受け入れるために、徒歩でなく子ロバに乗ってエルサレムに赴いた。何気ない風景だが、この場面は様々な人に啓示を与えてきた。ここに神と人との不可逆な関係を見る人もいる。人間は神を乗せる小さなロバであるいうのである。同質のことは言葉との関係をめぐっても感じる。言葉というロバに乗ることで人は、世界を眺め認識し生きる。だが、人が言葉のロバにならねばならないこともある。言葉が人に仕えるのではなく、人が言葉に仕えるのである。」(『探していたのは、どこにでもある小さな一つの言葉だった』若松英輔著、亜紀書房、p85より)(九分九厘)
・厳かな雰囲気が諸に伝わってきます。冷え冷えとした教会の中に、新年を迎えられての朝のミサ、司祭の声は厳粛、冴えに冴えた空気が伝わってきます。句全体が厳粛です。(龍峰)
・龍峰さんのコメントに同感です。”朝”、という時間設定が絶妙です(ゆらぎ)
・元旦礼拝の朝のミサでしょうか?冷えた会堂に、司祭様の説教の声が冴えわたります。キリスト者の元旦礼拝は特に大切であり、荘厳な中にも司祭の声は冴え渡ります。(かつらたろう)
・                        
焼芋の声聞こえ来て頬緩む
・焼芋と聞くとホッとします。すべてのそれまでの緊張感が緩む感じがします。人それぞれに焼芋の思い出があります。寒い時の熱々の芋には、どんな洋菓子にも負けない人の心をほぐす、祖母の温みのようなものを感じます。焼芋の声を聞いて頬の緩むのも無理ないでしょう。(龍峰)
・素直で、いい句ですね。この句を見ていると、童心に帰ります。こんな素直な句をいよみたいなあ! (ゆらぎ)
                      
焼芋に子らの喧嘩はすぐに止み
・焼芋と馬鹿にするなかれ!!。品種改良がすすみ色々な甘い品種が出回り、東南アジアへも輸出されて大人気とか?甘いお菓子にも匹敵する焼芋に、子等の喧嘩もすぐ収まります。(かつらたろう)

底冷えに目覚めし夜半蒲団中
底冷えに持ちし弁当歯のふるえ
                      以上
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今日の俳句  石蕗の花 / 九分九厘

2024-12-03 | Weblog

         

 12月に入って漸く石蕗の花が咲いてきました。まわりの庭草は殆ど枯れ始めていますが、例年より半月ほど遅いと思います。気温の変化が激しいせいでしょう。
 草若葉ではいつも私の日常生活を題材にして詠んでいますが、今回は妻が体調不全で入院をしていますので、明るい俳句は詠んでいません。尚、末尾に今後の本ブログの運営に対しコメントしておりますのでご覧下さい。

    
    妻入院長寿世代の冬ごもり      九分九厘
    看護婦の喋る速さに師走知る     九分九厘
    患者らに妻もまじれり冬の蝶     九分九厘

    妻不在われを迎へる石蕗の花     九分九厘
    石蕗の花そこにいるのか元気だね   九分九厘
    わが狭庭つわの黄色といろは紅    九分九厘

                       以上

 <本ブログの今後の運営について>
 今年に入り毎月ごとに一人ずつ投句をしてきました。今回の九分九厘ブログで一巡するわけですが、各位にまわってくる順番は半年に一回ということになり、お互いの俳句を披露する機会が減ってくることに対し反省の声が挙がっています。この問題を回避するために、幹事(ゆらぎ・九分九厘)が相談の結果、次の要領で運営の変更をいたします。

1)毎月の七日に会員全員の定例句会を実施(従来のやり方に戻す)
2)各人固有のブログの投稿は現在の要領で行います。上記の定例句会と平行して実施します。
3)運営の取りまとめは九分九厘が全てを行います。<九分九厘>が都合が悪い場合は、<ゆらぎ>が代行とします。
4)ブログに直接投稿記入が出来ない<紘子><たろう>さんは、九分九厘に投稿原稿を送付して下さい。九分九厘がブログに転記いたします。これは1)2)のいずれに於いても適用します。
5)来年の新年句会は一月七日投稿です。一人五句までです。以降毎月の定例句会で投稿出来ない方は、事前に九分九厘までお知らせ下さい。
6)各人固有のブログですが、投稿順は来年1月より、<ゆらぎ><龍峰><葉有露><たろう><紘子><九分九厘>とします。同じ季節にならないように半年ごとに順番を変えていきます。俳句・俳論・和歌などのジャンルで各自の自由とします。もし順番が来て投稿パスの場合あるいは飛び込み希望の方は(例えば旅行や吟行をして時機を失しない時など)、九分九厘に連絡をして下さい。調整作業を行います。なお、投稿の日は各位の自由とします。投稿の順が守られていれば、同月に複数の投稿もOKです。

 以上の要領についてご意見を頂戴出来れば有難いです。  九分九厘


 
  

   
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今日の俳句  柿の実 / 紘子

2024-11-14 | Weblog

         

 二階の居室からは、一本の柿の木が手の届くところに、沢山、実をつけています。鶫が二羽飛んできて、食べていました。すぐに去りましたが、しっかり食べていました。何か、嬉しくなりました!

   風まだき祈りの言葉秋の声
   柿の実のたわわやさしく空に触れ
   老いの歯に冷めてやさしき大根煮
   思いきり伸びむ神無月の空


 2007年5月に芒の会の句会が始まりました。この時期の私のメモに書かれた俳句を、一人一句で書かせて頂きます。

   彩りを返して散りぬ紅葉かな    九分九厘
   冬ぬくし薬余して癒えにけり    自由人
   芒枯る白き中洲や桂川       たろう
   桜紅葉散り敷くひだまり鳩遊ぶ   フェニクス
   風呂吹きや厨の中は味噌の香に   ゆらぎ
   大根のみなぎる白をすりおろす   やまもも
   大根の箸でくずれり二人酒     龍峰
   大根が器量を競う朝の市      四捨五入
   女生徒の鞄の鈴や暮れやすし    百鬼
   芒刈り何か得しとも失せしとも   あや
   曽爾原は国のまほろば枯芒     あや

                         以上
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今日の俳句(天高し):葉有露: 今月の俳句終了します。10月14日を以て最終とします。

2024-10-02 | Weblog
 十月に入っても、夏の気温がつずき季節感がしっくりきません。俳句の世界でも、季語に実感を覚えるのが難しくなっています。
 久方振りの一人投句です。元来句数が少ない方で、皆様には物足りないとは
存じますが、なにとぞご了承ねがいます。

 本日10月13日(日)、ゆらぎ様より連絡があり、PC故障のためコメント投稿ができないとのことでした。→PCが復調しましたので、コメント書き込みました。

 これにより、本日の俳句は終了とします。
皆様には,厚くお礼申し上げます。

                        葉有露拝
(追伸)ゆらぎ、より
 PCの修理が完了しましたので、コメントを書き込みました。よろしくご覧ください。

 ・枝を切る鋏の先に秋の声
 ・夜半には人影もなく秋の声

 ・色鳥の舞いにつられて絵筆とめ

 ・機影追う首伸ばし切りて天高し
 ・天高し山のあなたに遊びし日

 ・虫時雨今宵は共にしゃべりたし
 ・虫時雨我を呼びしかと振り向きぬ
 
  
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今日の俳句/さるすべり(龍峰)

2024-09-01 | Weblog

    さるすべり

 この夏はことのほか暑かった。朝の散歩で街中に見る百日紅の鮮やかな色は貴重な慰めである。
手元のメモ代わりの日記で7,8月の気温を比べると去年、一昨年でも35度や38度の日もあった。しかし、適度に雨が降り、台風がきたりで気温が下がる日もあった。それに比べて今年は連日35度越えで、下がる日がほとんどなし。体は今年の方がはるかに参った。年が加算されたこともあろう。ともあれ今から来年が思いやられる。

  主住むや住まぬや今朝のさるすべり
  予報見るたび猫の目の野分かな
  初秋や薄暮の風の尖り消ゆ

  八十路越え残暑の背なのひしゃげをり
  句づくりの内なる目覚め芒かな
  妻天塩かけし西瓜よプロ裸足
  山門にしばし大の字涼新た 
 
 涼求め日帰りで若狭へ繰り出した。三方五湖、そのほとりの「若狭三方縄文博物館」、「年縞博物館」そして江戸時代栄えた鯖街道、その中心となる熊川宿を訪ねた。名を馳せた熊川宿も今は、秋雨の中に静かに眠るがごとくだった。
 中でも年縞博物館は特異な博物館である。この博物館は五湖の一つの水月湖の底に毎年積もった地層、地下垂直に45mの深さ、7万年間分を切り出した地層が展示されている。無論世界一。人類がこの世にあらわれてからの地球の歴史、日本列島の歴史の一端が一目でわかる。

   越路来て荒瀬をわたる秋茜
   湖越しに若狭の海や夾竹桃
   新涼の墨絵眼前三方五胡

   年縞や七万年の史知る秋
   縄文は土と炎よ秋暑し
   秋時雨掛け声いずこ鯖街道
   秋雨や時経てねむる熊川宿 

 年縞博物館の展示、途中の大山の噴火の辺り、0.7mmが1年


             熊川宿

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