草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

今日の俳句 / 火蛾 (九分九厘)

2008-07-31 | Weblog
ふと出会ひ招かるままの合歓の花   
蹲踞してゆるりと傾ぐ合歓の花    
酔ひ醒めや餡の透きゐる葛饅頭
灯を消すや闇に宿無し火取虫
火蛾の舞ふ峨眉の麓の宿一飯

一番目の句は、句会に出した時は <ふと出会ふおいでおいでの合歓の花> でした。合歓の花の少し妖しげな雰囲気に、誘惑されるようなところを、詠んだつもりでしたが、句会では不評で、二番目の句もそうでしたが、再考を求められました。やはり句としての品格に欠けるようだし、独りよがりの意味不明のところもあり、つまり俳句らしくないのです。さて、あれこれ推敲してもよくなりません。まだまだ俳句の道は遠いようです。句会の兼題は「火取虫」「氷菓」「合歓の花」でした。

最後の句は15年ほど前に、中国四川省成都に仕事に行った休みの日に、近くの峨眉山に登りに行ったときの記憶です。麓の宿で一泊したのですが、窓を開けっ放しにしておいて部屋を離れていたのですが、帰ってみると大きな蛾、それも大変な数の蛾が、壁一面にとまっていたのに驚愕したものです。今頃は大地震の復興で大変なことと案じております。

明日からは長駆、木曾福島経由日本海に抜ける旅をします。
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今日の俳句/氷菓(ゆらぎ)

2008-07-29 | Weblog
拾円玉握りしめたるかき氷
溶けゆくや二人の中のシャーベット
物売りの日の辻休みかき氷

紅深き鬼灯挿せる後ろ髪
河童忌やシャワーに残滓流しさる

句会の当日(24日)は、芥川龍之介の忌日。短編の名手を偲びました。
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今日の俳句/鷭(四捨五入)

2008-07-27 | Weblog
ばんの子の浮葉を踏んで走り去り
雲の峰夕日を抑へかねてゐし
遠景にかすむ高炉は梅雨の色

雷雨来る校舎の窓の顔々々
朝の火蛾己が重さをもてあまし
今宵この軒端で過ごせ火取虫

皆様、暑中お見舞い申し上げます。
扇風機をかけっ放しでブログの書き込みをしておりますが、額にはじっとりと汗が滲んできます。北側の窓からは恐ろしげな入道雲が見えますが、降っているのははるか内陸の方のようです。
後段の3句は句会でご披露したものですが、前段の3句は通勤途上で詠んだものです。
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草若葉夏のミニ句会~プレ・ノーティス

2008-07-26 | Weblog
 オンラインの句会を下記要領にて開催いたしますので、奮ってご参加ください。なお参加メンバーは、これまでにご登録いただき、ミニ句会にご参加された及びそれらメンバーの紹介による方に限ります。

(1)兼題
  ○法師蝉(ひぐらしも含む))
  ○香水
  ○さわやか
  
  ○当季自由題に代わり、「敗戦忌」(終戦忌)および 「墓洗う」(掃苔 
 
   あまりなじみのない季題に挑戦していただこうとの目論見で選定しました。
   「香水」は、夏の季語ですが、あえて採り上げました。
    
(2)投句:(3句)~5句

(3)日程:
  (投句)8月8日(金)~11日(月)
  (選句)8月12日(火)~15日(金)
  (発表)8月16日(土)~17日(日)

 詳細は追ってご連絡いたします。日程上の不都合やご質問・ご意見などコメント欄に書き込んでください。


                        (文責:ゆらぎ)
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今日の俳句/合歓の花(龍峰)

2008-07-25 | Weblog
 スルタンの館妖しや合歓の花
 帝国の陥落遠し合歓の花
 千歳過ぐナイルの風や合歓の花

 賑わいを抜けて小路の氷菓かな
 夕飯を中断せしむ火取虫

今月の句会が開かれた。兼題は「合歓の花」「氷菓」「火取虫」。自分は「火取虫」では苦労したが、皆さんからは優れた句が多く寄せられていた。
合歓の花は、ふわふわして頼りなげで赤い色がいろいろ想像を膨らませてくれる花である。旅行中に歴史の中の栄光盛衰と絡ませて詠んでみた。写真はナイル川である。
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今日の俳句 / 炎天 (九分九厘)

2008-07-22 | Weblog

信号の赤ののろきに足灼ゆる
炎天のカラス動じず我を見る
地より来る炎熱防ぐもののなし
炎熱に焼けて心頭滅却せり

今日は大暑。灼熱の夏が猛然として襲ってきた。外に買い物に出かけると大変だ。街中をうろうろしていると熱中症にかかること必定である。家で本を読んでいるに限る。
  昼前のアイスクリームに目ざとくてつれずれなるがよし今日もまた
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今日の俳句/李(ゆらぎ)

2008-07-20 | Weblog
 汗光る生きてしあればこそのこと
 真二つに割れたるもよし夏の月
 さ丹(さに)つらふ君が届けし李かな

 開け放ち眠りおる子や藍浴衣
 物書きて日暮らし硯青すだれ
 わびさびを忘れておりぬ添い寝籠

 (法善寺横町にて)
 打ち水や石畳の道静まりぬ

 もりあがる積乱雲よ眠りたまえ(新)


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トルコ・エジプト旅吟(3)/龍峰

2008-07-18 | Weblog
強烈な印象を受けたイスタンブールからエジプト・カイロに飛んだ。今回はカイロのみでこれまた宿願のピラミッドを見るためであった。夕方カイロ空港に着き、ホテルに向かうバスの中から夕日に染まるピラミッドが幻想的に見えてきた。それだけで一挙に心の中は興奮し、平成を失った。翌日を楽しみとした。そして母なるナイルの風を受けながらホテルに着いた。
カイロの街は一言で言えば貧しい。砂漠と隣合わせということもあって土埃をかむった中で、エジプト文明が起こり、人も建物も五千年息づいて来たのである。

 夏未明祈りで寝覚むカイロかな
 朱夏日差しギザの街角五千年
 少年の家路にロバ引く夏の夕
 
朝快晴のもとまず3大ピラミッドに向かった。カイロではこの日が特別快晴ではなく年中快晴の由。従って天気予報はいらぬと。半ば本当であろう。
すぐにピラミッドは見えてきた。これが小学生の時から本で見てきたピラミッドかと思うと何だか懐かしい気分になった。近づけばやはり大きい。この日は一日かけて大小10個ばかりのピラミッドを見た。その内2個には横穴から中心の部屋に入り、4500年の空間に残っているかも知れない空気を嗅ぎ回った。
そして、かのスフィンクスにもご対面。4500年の間何を見つめてきたのか、遠くを見つめる目が気高く感じられた。

 砂燃ゆる五千年立つピラミッド
 夏の陽や永き夢みしピラミッド
 風燃ゆる時も動ぜずスフィンクス
 灼け砂や何見つめ来しスフィンクス

翌日エジプト考古学博物館にて夥しい発掘品を見学。その中に今も燦然と輝くツタンカーメンの仮面も入っていた。昨日出来上がったところと言いたくなるくらい光っていた。

 黄金の仮面今なほ夏の朝

夕方カイロから大阪に向かって発った。窓からは夕日に染まったサハラ砂漠がどこまでも続いていた。
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トルコ・エジプト旅吟(2)/龍峰

2008-07-14 | Weblog
 中世の街に入るなり夏日影
 ヒッタイの神殿跡や灼くる石
 どの村もモスクありけり夏の昼
 地下都市に降りて古代や風涼し

イスタンブールを発って時計回りに遺跡巡りを開始。最初にアンカラ手前のサフランボル。ここは中世に交易で栄えた街。木造の古い建物や生活様式が残されている。次に紀元前1800年頃にアナトリアを支配したヒッタイト帝国のハットウシャシュ遺跡。尚、東大が発掘調査中。道中はアナトリア地方の緩やかな山岳を走る。ところどころにお花畑がありのどか。村には必ず小さなモスクがある。奇岩の光景で有名なカッパドキアでは中世キリスト教徒がアラブ人の迫害を逃れるために造った地下都市。地下8階で4~5000人住んだと言う。いろいろな生活の跡が残されている。

 夏天燃ゆ歴史刻みし大理石
 風薫るクレオパトラも立ちし街
 夏天眩し遺跡重なるトロイかな
 ひまわりや海峡背なに塔一つ

パムッカレの石灰棚、ヒエラポリスの遺跡、エフェス遺跡を訪れる。エフェスは紀元前300年頃に造られ、ローマの属領となる。クレオパトラがローマのアントニウスを助けるために上陸したと言われる。イズミールからトロイ遺跡へ。神話で有名な木馬。紀元前3000年頃より都市が発達し、同じ地に9層の都市が造られた。ドイツ人が私財をかけて発掘、黄金の冠を掘り当てたのは有名な話。どこまでも青いエーゲ海を向こうにひまわりの花が咲き続いているのが印象的でした。 
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トルコ・エジプト旅吟(1)/龍峰

2008-07-12 | Weblog
先日トルコ西部、中部(アナトリヤ)及び帰りがけにエジプト・カイロに寄って帰ってきた。トルコはイスタンブールを起点にアンカラ、ネヴィシェビル、コンヤ、イズミール、チャナッカレと約3500kmをバスで回った。
イスタンブールは皆様ご存じのように1世紀頃にローマ帝国がやってきて2世紀末にはローマ風の街を造る。330年コンスタンチヌス1世がローマ帝国をここに移し、コンスタンチノーブルと改名。395年ローマ帝国は東西に分裂、ここは東ローマ帝国の都として1000年以上の永きに亘り、時を刻む。1453年オスマン・トルコのメフメット2世がここを攻略、東ローマ帝国は滅亡し、イスタンブール(永遠の都)と改められた。尚、トルコは第1次世界大戦でドイツ側につき参戦、敗退。連合軍の国土分割を救ったのがアタチェルク。1923年トルコ共和国を樹立。

 海峡のイスタンブール夏陽落つ
 文明のるつぼに立つや朱夏の街
 帝国の城壁残る夏の暮れ
 風渡るダーダネルスや大西日 

イスタンブールの街の中には東ローマ帝国時代の建物や城塞、塔、壁が残っており、道路は狭くいるくんでいる。そこにいろいろな人種、2000年以上の文明が折り重なり、1000万人の混沌とした都市を形成している。街はダーダネルス、ボスポラス海峡にまたがり、欧亜に地図上は区分される。気候は明るく風光明媚で過去の歴史と現在のエネルギーが解け合った奥深い街である。

 宮殿の海より眺む冷やしチャイ
 両岸に館過ぎゆく青岬
 夏の夜や酒とリズムのベリダンス

尚、コンスタンチノーブルの最後は塩野七生の「コンスタンチノーブルの陥落」に詳しい。

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