草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

今日の俳句/春愁(龍峰)

2009-04-30 | Weblog
 春愁や辞世の歌の乱れなく
 菩提寺の何も無きごと春の風
 春はやて吉良に止めの剣かな

 石切場島に残こるや舟うらら
 漁り火の動きも止まる春の宵
 春暁や御崎の潮の露天風呂

先日赤穂へ行った。兵庫県も西の果てまで行くとのどかなものである。赤穂の駅を下りた途端義士一色。駅に主君の辞世の歌が大きく掲げられている。浅野家の菩提寺の花岳寺(写真)へ。こじんまりとしている寺で墓所の浅野家の主君以下四十七士の墓が質素に並ぶ。資料館に内蔵助が吉良に止めを差した小剣が展示されていたのが印象的。赤穂御崎は静かで瀬戸内の島々が春の宵ともなると漁り火に霞む。露天風呂に入ってしばし海を眺めやれば、浮き世の出来事なんぞ小さなものよと一瞬思った。しかしそれは一瞬である。
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今日の俳句/花水木(ゆらぎ)

2009-04-24 | Weblog
奈良近辺には小さいけれど、優れたコレクションを誇る美術館がいくつかあります。そのひとつ松伯美術館は日本画の上村松園・松篁などの作品を蔵しています。絵をみたあと、ここの大きく枝を広げた花水木を見ながらゆったりした時間をすごしました。お茶席までありました。


しばらくは風に吹かれて花水木
春愁やひとり歩めば風甘し

(句会にて) *推敲
努力てふことのは忘る春眠し
春の夢なお胸さわぐひそかごと*
新訳で哲学書読む目借り時
蝶々や陶(すえ)の狸の鼻の先
ビバルディ流れる小径リラ白し

(もうひとつの句会にて)
五線譜を手でなぞりゆく目借り時
蝶飛ぶや今日の心の行方かな
憂いなき君のまなこやチューリップ
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今日の俳句 / 春眠 (九分九厘)

2009-04-21 | Weblog

先週末は恒例の大学時代の合唱団同窓会で京都に行った。いつも前日から泊まり込みで前夜祭に参加するのだが、今年は新幹線で早朝から京都に出向いた。早朝の御所を歩いていると余花の御所桜が満開であった。

 早朝の日影延びゐる御所桜
 砂利道を歩いて遥か御所の余花
 鴨の原菜の花中州に溢れけり
 木屋町の残花ネオンの陰となる

今月の句会は下記四句

春眠の深きに潜りさかな追ふ
春眠の目覚めは闇のうつつかな(推敲)
穏やかに蝶の舞ひゐるひと日かな(推敲) 
蝶舞うて黄色の軌跡撒かれゆく 

提出五句のうち三句が持ち帰りの推敲となってしまった。第2句は原句が「春眠の夢は途絶えし闇瞼」であったが、造語の闇瞼が駄目だった。第3句の原句は「蝶のゐてすごくやさしい世にならむ」。口語と文語のまぜこぜで、これはやはり俳句の道から外れるているということが分かった次第だ。もう一句は「てふてふの羽根休むるや万事休す」。この句はどのように推敲してもうまくいかず、「万事休す」の選外となった。   
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琵琶湖から彦根城へ (さゆり)

2009-04-19 | Weblog

琵琶湖から彦根城へ

春高速ぬっと現る近江富士
彦根城堀に枝張る櫻花
屋形舟見上げる空の櫻花
堀端のたんぽぽ水面に黄を揺らす
春風に触れて巡るや玄宮園

コーラスの合宿で琵琶湖の湖畔で一泊翌日練習を終へ、彦根城の桜を見る。お天気は最高、花も八分咲きで活き活きとしている。櫻の時の彦根城は初めてだ。玄宮園は、彦根藩の下屋敷で四代藩主井伊直興により造営されたそうです。

先日の芒の会の投句(兼題は、春眠、蝶)

一瞬の初蝶宙(そら)に見失ふ
春眠や夢の続きは追ふまじく
さざ波がさざ波を追ふ春の湖、、、、琵琶湖
花の下に花の風あり湖遥か、、、、、彦根城の桜
揚げ雲雀ひと声鳴きて天を衝く

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今日の俳句/てふてふ(龍峰)

2009-04-17 | Weblog
  てふてふや根岸の路地の朽ちし木戸
  てふてふの崖より飛べり熊野灘
  夭折の友の墓前や昼の蝶
  
  春眠の黙(もだ)に浸らむ朝ぼらけ
  春眠の虚空に遊ぶ目覚めかな

今月の句会は昨日開かれ、兼題は「蝶々」と「春眠」であった。兼題を頂いたときは今月は楽だと思っていたが、いざ作り出そうとすると意外や意外、難しい事を思い知らされた。そう言う訳で今月は苦吟の披露です。しかし、同席の兄姉達の句は相変わらず、披講ではどれを採ろうか迷い、いずれも特選に上げられること可と主宰からコメントの出る、出来映えでした。冷や汗三斗をかきつつ大いに勉強させて頂いた一日でした。
写真は根岸の路地の奥にある子規庵の前です。
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春の海(光芒子)

2009-04-15 | Weblog
 魚集う魚島に似て洞あり
 風光る明鏡洞に松映える
 春深し穂先に微かな響きあり
 釣果良し生簀に踊る桜鯛
 竜宮もかくやとばかり海松(みる)揺らぐ
 

 陽気に浮かれ若狭小浜に帰省した。
友人と春の海に船出し、弟の菜園でじゃが芋の植え付けをし、友人が住職をするお寺を訪ねた。ふるさとの若狭の恵に浸ると、このまま居ついてみたい気になったりする。
若狭を今夏の光彩会展のテーマと決めた。

 蛇足ながらこの時の釣果でMAXsizeの桜鯛の写真を添付します。
全長30cm超、よく肥え、色もキラキラ鮮やかです。調理寸前まさにまな板の鯛です。 つい自慢したくなるのも素人釣り師です。 失礼しました。

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龍太の俳話(ゆらぎ)

2009-04-11 | Weblog
 ”わが山河まだ見尽くさず花辛夷”(相馬遷子)ー飯田龍太全集第七巻より

 飯田龍太全集(全十巻)をかたはしから読んでいる。龍太の句は端正すぎるところがあり、私にとって必ずしもぴたりとはまるものではない。しかしその随筆や俳論・俳話には心惹かれるところが多いのである。

 その全集第七巻に「俳句は石垣のようなもの」という文があり、そのなかで龍太はある句会での「俳句がうまくなるにはどうすればいいでしょうか」という質問への答えを書いている。

 ”そのひとつ。一年間、つまり三百六十五日、毎日一句、日記でもいい、家計簿のすみでもいいから書つけなさい。三百六十五句目には、かならずあなた自身の俳句がうまれているはずです。けれども、これには大事な条件がある。健康、不健康はもとより、忙閑晴雨にかかわらず、毎日一句はかならずつくること、そして書き記すのは一句だけでいい。いい気分で、十句二十句生まれた場合でも、書き残すのは一句だけだ。”

 -(黛まどかも言っているように毎日句を詠まずに、何日も放っておくと、再開するのに大変なエネルギーを要する。そのこともあわせて指摘しているように思う。


 ”その二。いついかなる季節でも、自分の好きな先人の秀句を一句だけ記憶していること。これにもまた条件がある。その秀句は、過ぎ去った季節の作品ではなく、これからやってくる目前の季をとらえた作品であること、たとえばいま、一月の終わりとすると、二月の作品を、二月なら三月のころの、それも自分の身辺に実感できる卑近な対象をとらえた句がいい。"


 -”二滴一滴そして一滴新茶かな”(鷹羽狩行)

 -「好きな先人」の句というのも、まだ絞りきれていない。蕪村や漱石などは、
すこし古いかな。時代が下がって後藤比奈夫など、いいのだが今はもうお年を召してしまった。。いっそのこと、自分で好きな句を季節別に集めたアンソロジーを つくろうかなとも思っている。


 ”最後にもうひとつ。多分これから、あなたたちも、句会とか吟行会とか、いろいろ旅をされる機会があるだろうと思うが、そんな折にはいたずらに美しい風景ばかりに目を向けず、そこに生涯住みつくことなったらどうだろうか、と考えてみることだ。つまり他郷を故郷のごとく、逆にまた故郷にあっては、時に他郷のおもいをこめて四時見慣れた風景を改めて見直してみることである”

 龍太が繰り返し言っているように、じつは一番厄介なのはなんといっても第一の条件である。

 ”一年間、雨の日も風の日も、かならず一句作りつづけるというのは、なかなかの根気がいる。さらに十句、二十句のなかから、だれにも相談せず、一句だけ選びだすというのは、余程の思い切りがないとできないことである。”

          ~~~~~~~~~~~~~

 以上おのれへの戒めとして書いてみました。みなさんの「俳句がうまくなる方法」はいかがでしょうか? もっとも、どういう方向や傾向の句をめざすのか、そこのところがはっきりしないといけませんね。まだ、そのへんでゆらいでいる私です。
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今日の俳句 / 春風 (九分九厘)

2009-04-09 | Weblog

春の海江の島ぽっかり浮かんでる
富士山の白き冠霞の海
若布干す洗濯鋏み真青なる
巻貝の小さきを寄せる春の海

切通し春風抜けて由比が浜
花冷えの辻説法や南無妙法蓮華経
風光り日蓮像の咲ふ如

息子の住まいの関係で、鎌倉を訪れる機会が増えてきた。日蓮宗本山比企谷妙本寺は、三方を山に囲まれ、天に向けて周りの空間が開放されていく、雰囲気のとてもいい寺でした。すぐ近所の道路の傍に日蓮上人の辻説法の跡地があり、しばらく声が聞こえぬものか立ち止ったみた。「咲」は漢字「笑」の本字だそうだ。従って字義からすると「咲」は「わらふ」の意味である。日本人はこれを「さく」と独特に読むそうである。

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今日の俳句 / 春の海 (さゆり)

2009-04-07 | Weblog

春の海はるかに江ノ島浮かびゐて
逗子の海春雪頂く富士見ゆる
春の磯岩間にのこる忘れ潮

由比が浜波の光りに初つばめ
江ノ電に触れんばかりの花蕾

春泥の坂登りきり化粧坂(けわいざか)
切り通し抜ければ紅き桃の花
虚子眠る寿福寺に鳴く鶯かな

3月28日から孫の中学入学を祝ってやりたくて葉山に行った。花冷えのする日が続いていた。海岸に下りて行くと、春霞の先に富士山の冠雪がうっすらと見えた。翌日孫の案内で、江ノ電にも乗り鎌倉で遊ぶ。虚子のお墓のある寿福寺にお参りした。同じ境内には北条政子の墓もあった。お寺の裏山を登ってみると、南には明るい相模湾が広がっていた。写真は鎌倉に沢山ある切り通しの一つです。
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今日の俳句/春北斗(龍峰)

2009-04-04 | Weblog
 子規庵のここが震源春北斗
 子規庵の終焉の間や白椿
 ひっそりと花の咲きをり寛永寺
 春の夕ニコライ堂の壁染めり

 柴又の快き風若柳
 春の日やだんだん坂の袖振れり
 朧夜や谷中の路地の江戸なごり

先日来1年振りに東京へ出掛けた。全く仕事離れての東京は学生時代以来か。毎日25000歩ぐらい歩き回った。まずゆらぎさんに教えて貰った根岸の子規庵を訪ね、一時瞑想・感慨に耽った。この八畳で子規、漱石、虚子らが句会を開き、鴎外、藤村、寺田寅彦らが訪ねて来た。そしてこの六畳で子規は辞世の句を残し、志し半ばで旅発った。この小さな、素朴な庵が近代俳句の発信地かと思うと思わず胸の熱くなるものを覚えた。写真は六畳間より庭を見る。
他に柴又の帝釈天、矢切の渡し、上野、浅草、谷中、根津、千駄木、青山等歩いた。そして、神保町で山本健吉の歳時記を求めて半日古書店巡りをした。今回は快い疲労感を味わった。

 遠き日の父の眼差しや鰊漁
 鰊漁しのぶ番屋のいろり跡
 鰊群来昔語りの父達よ

 鰊漁遙かに去れり祝津港
 茅葺きの平家の裔や紅椿

少し遅れてしまいましたが、先月の句会の兼題句です。
私事で恐縮ですが、父は戦前樺太で鰊漁をやっていた。戦後物心がついた小生は父や兄たちから鰊漁の華やかさと苦労話を聞き、現地を想像するだけだった。兼題で鰊が出されたため、思わず50年前を思い出し、又、先年北海道へ行った時を思い起こし詠んでみた。


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