海の手六甲から(ゆらぎの日記)

資産運用のことや、時々の時評などについて紹介します。また、これまで通り気に入った写真の紹介も。

(資産形成)iDecoを設定する時の注意点

2018年10月05日 | Weblog
(資産形成について)最近、iDeco(個人型確定拠出年金)などの制度を利用して毎月の積立をする方も増えています。その場合、これまであまり注目されてこなかった点の目を向けてみました。通常、株式を組み入れる投資信託で積立運用されます。対象として、ひふみ投信/コモンズ投信/セゾン投信/鎌倉投信などがあります。毎月の積立金や運用収益が非課税の対象になります。資産形成するのに、この制度を利用しない手はありません。

 問題は、60歳までは積み立てたお金を引き出すことができません。今、30歳の方が積立されるとすると、30年間を要します。

では、どんな商品があるか? iDecoは証券会社を経由しないと買えません。積立をすることができないのです。その場合手数料などの安さなどの点で、楽天証券かSBI証券がおすすめです。楽天では、コモンズ30ファンドや全米株式インデックスファンド(楽天バンガードファンド)があります。SBI証券では、ひふみ年金が取扱商品の一つです。

 今から、10年、20年、さらに30年後にこれらのファンドの運用状況はどうなっているでしょう。まず運用担当者や運用責任者が変わるでしょう。同じ人でも、頭が固くなってきて、それまでのような運用成果を出せなくなるいこともありえます。ごく最近ですが、鎌倉投信では運用を行ってこられた新井さんが退社されました。新井さんあっての鎌倉投信でしたから、これからどうなってゆくかわかりません(ちなみに、鎌倉投信は直販を常としており、証券会社を経由するiDecoは対象としていません)

ひふみ投信は、これまでは絶好調でしたが、ファンドのサイズが9000億円近くと巨大になり、今後の運用については目が放せません。また最高責任者の藤野さんに健康上の問題でもあれば、いくら優秀なアナリストや運用担当者がいてもどうなってゆくかわまりません。その点、楽天証券が扱っている全米株式インデックスファンドは、母体が米国のバンガードであり、ここは相互会社的な組織で、人によって運用が変わるようなことはありません。

 このような事を考えると、iDecoを始めるに当たってはどの商品を選ぶかが、重要なことになります。もう、すでに初めておられる場合は、状況をみながら、商品選択を変更するということが必要になるかもしれませんん。いずれにしろ、対象とする商品(投資信託)について目配りは欠かせません。また、どの商品を選びたいかによって、どこの金融機関(証券会社)を選ぶかということになります。







白木槿

2016年08月19日 | Weblog

柳居子徒然十週年記念

2016年03月31日 | Weblog
(柳居子徒然ブログ十週年記念に寄せて)

 十周年3625回目の連続寄稿達成おめでとうございます。2006年4月25日から始まって、雨の日も風の日も自転車を走らせ仕事場に向かいブログの記事を打ち込む。
体調すぐれぬ時も、また二日酔いのこともあったであろうに一日も欠かすことなく、毎朝7時頃になるとブログ記事がアップされる。これは常人ではできないことである。それを示すのに格好の話がある。鎌倉時代後期の武将足利尊氏のエピソードである。

 ”酣宴乱酔(かんえんらんすい)の余といえども、一座の工夫なければ眠らず”

足利尊氏についての評価には見方が分かれるかもしれないが、また一個の英雄であり、すぐれた武将にして政治家としても一流であった。彼の「原理原則を教えてもらう師」は夢窓国師(天龍寺 開山)であった。その師が、「われ、尊氏にかなわざるもの三つあり」というほどであった。第一、戦場にのぞんで恐怖の色がない。第二、物惜しみすることがない。つまり自分は贅沢をしているのに人には倹約を強いる。第三は「依怙(えこ)」の心がない、これは人間好き嫌いが激しいがその感情をコントロールして人を動かすことができるということである。夢窓国師はさらに、「この三つすらもかなわぬのに、どう逆立ちして尊氏に及ばぬものが、もう一つある」と言っている。それが冒頭の言葉である。読んで字にごとく、盛大な宴を催し、さしつさされつ酔眼もうろうとなるまで呑むこと。しかし、どんなに泥酔しても家へ帰ったら、かならず座禅を組んで無念無想のひと時を持たねば絶対寝つかない。柳居子兄の場合、夜のつきあいで遅くなっても、体がくたびれていても、家に戻ったら翌朝の記事の構想を練る。おそらくざっとしたアウトラインを組み立てるのであろう。さらに正確を期すためには辞典・辞書をチェックし、参考文献にも当たっているであろう。それが済むのは夜深更に及ぶであろう。一日、二日はできても、来る日来る日も欠かさずこのことができるかといえば、とてもではないだろう。

 次に驚嘆するのは取り上げる話題が、広く古今東西にわたることである。まだ仕事場に張り付き、ほとんど京都姉小路柳馬場入るを離れることがないのにもかかわらず、次から次へと話題が出てくる。その背景には汗牛充棟とも思える蔵書に裏打ちされたぼう大な読書量と、多岐多様にわたる人のネットワークにつながっていることである。こういう人もあまり知らない。話題の一例を上げてみよう。映画「第三の男」で共演した女優のこと。この映画にはジョセフコットンやオーソンウエルズがでているが、女優アリタ・バリのことまでは及びもつかない。またシャンソン「愛の賛歌」の日本語版のできたエピソードのこと。京都の文化では、”謡三番を知っていないと、役が務まらぬと横町のうどん屋の親父のこと、源氏物語の英訳のこと、古くは鬼十則で有名な電通の吉田社長に可愛がられた親父さんのこと、京舞篠塚流のこと、不器用者の修行のことを書いた徒然草のことなどなど、そして時には話題は海外に関することにまで飛ぶ。姉小路の近くに店を日本画材の店を構える彩雲堂にある日、トルコの作家オルハン・パムクがやってくる。NHKの取材である。現代トルコを代表する作家であり、2006年にはノーベル文学賞を受賞している。それを察知した柳居子さん、彩雲堂の親父に言って書店まで走らせ、数冊の本を手に入れさせた。それにサインをしてもらったのはいう前でもない。私もそれを読ませていただいたが、署名入りのノーベル文学賞の著書を読めるという光栄に浴したのである。『私の名は紅』

 友人がスウェーデンにいる。そのせいで彼の地の生々しい情報がはいる。あるとき首都であるストックホルムの町に中国人を少なからず見かけたとか。ちょうどノーベル文学賞発表の時期である。それを知った柳居子さん、地元新聞社に電話をして、”今年の文学賞は、巷でいわれている人間ではなく、中国の作家という可能性が高い”と教えてやった。それを信じなかった新聞社の担当者は後で口惜しがっていたとか。


(柳居子さんがかかわった出来事)
 地元である姉小路の町への思いれは強い。早くから「姉小路界隈を考える会」という記事が本ブログ1年目の5月に出てきた。よき町づくりへの想いが強い。その活動の一環として例年夏になると道の両側に行灯を並べて夜の路を飾るという発想が実現するに至った。2008年の夏の行灯会では京舞篠塚流の瑞穂さんが社中を引きつれて舞を披露されている。ちなみに夜の路を行灯で飾るというのは柳居子さんの発想になるもので、後に嵐山や祇園で花灯路として見られるようになったが。商標登録でも取られていたら、今頃は・・・!実はこの2008年の夏の時は私自身始めて伺い、それまでブログ友だちであったのが、以来親しくおつきあいさせていただくようになった。その夏は、行灯会をみた印象を句に吟じたところご本人の目にとまり、書家の上田晋さんが短冊に書いて町のギャラリーで披露していただくということがあった。

 映画「はんなり」について記事がよく出てくる。ご本人の血筋を辿ると、明治のころ米国のモルガン財閥の御曹司と結婚して海を渡ったモルガンお雪という芸妓につながるらしい。それかあってか、いわゆる芸者に対するいわれもなき誤解を解こうとの目論見もあって映画「はんなり」の制作にかかわっている。いわば総合プロデューサーである。そうして出来上がった映画の普及につとめ、次第に評判が高まった。映画の監督を務めた曽原三友紀さんとは、つながりも深く、来日すれば必ず姉小路を訪ねてくるという。美しきガールフレンドの存在は羨ましいくらいである。

 もう少し、人とのつながりについて記しておきたい。京都は柳池中学の図画の担任であった三尾公三師とのつながり。雑誌フォーカスの表紙を書き続けた三尾師には、彼を長年支えた最愛の妻がいた。その彼女の忌日に桔梗忌と名づけた一冊の追悼文集。その表紙絵を描いたのが日本画家の森田りえさん。その先生も世を去る。柳居子さんは、教え子を代表して追悼の言葉を述べている。最後の最後まで三尾先生に可愛がられたようだ。お人柄だなあ、と深く感じ入る。

 長くなったので、このあたりで筆をおかねばならないが、最後に親愛の情を込めてあだ名、いやニックネームのことを申し上げておきたい。そ前に柳居子兄のプロフィールに触れることをお許しいただきたい。失礼をも顧みず一言で申し上げれば、”硬骨漢にして正義の味方”であり、誠実ならざるもの正義ならざるものには、きびしき目を向ける。それでいて弱者に向ける目は優しいのである。またユーモアも解す。古くからのご友人たちがどのように呼んでおられるかは存じ上げないが、江戸時代の享保年間からつづく京料理屋に毎月一回集まる私たち新参者は、昨今「姉小路の親分」と呼ばせていただいている。親分というのは、なんとも親しみがあっていいのではないでしょうか? さらに加えてごく最近のことである。京舞の会を終えて帰途に就く柳居子さんを写真仲間が撮影した。それが、”決まっている”と男性からも女性からも評判が高い。このことに因んで私めが奉るのは、”下町のドン”。どうです?ぴたりでしょう!

      

 こうしてみなさんから愛されている柳居子さん、今後も健康に留意されご健筆を振るってください。毎朝、楽しみにしています。改めて、十年連続・連載おめでとうございます。

今日の俳句/またまたミモザ

2016年03月05日 | Weblog
ミモザが咲き出しています。まだまだ一部に留まってはいますが・・・。

 ミモザ咲くそこを曲がれば洋書店

 花ミモザなにやらうきうき銀の匙

天上の宴(うたげ)

2016年01月26日 | Weblog
あちこちで大雪のニュースを聞いている昨今、読売新聞のコラム「編集手帳」に次にような文が載っていた。

 ”長い暗闇を抜けて冬菊の咲いた日、九州の故郷に雪が舞った。

     <天上に宴ありとや雪やまず> (上村占魚)

雲の上では、賑やかに神々が宴をはって賑やかに楽しんでいるのだろう、そのうれしさに雪でも降らしているのか・・。楽しい句である。この占魚という人は虚子に師事しているが、のちにホトトギスが世襲となったことに抵抗感を示して、独立した。なかなか趣のある句が少なからずある。

  大初日海はなれんとしてゆらぐ
  水よりも風澄む日なり花さびた
 
  洗ひ大根白き青さに積みあぐる
  日記には書かず心にあたたかし
  すぐやみしことも初秋の雨らしき


そして雪のことを考えていたら中谷宇吉郎の言葉が思い出された。


 ”雪は天からの手紙である

愛知県陶磁美術館にて

2015年06月09日 | Weblog
五月某日、愛知県瀬戸市にある陶磁美術館をたずねた。ちょうど<ボヘミアングラス展>をやっていた。最後に見た黄金色のグラスは圧倒的な質感で迫ってきた。


          



たまには短歌 新樹

2015年05月15日 | Weblog
このところ新緑がまぶしいくらい。あちらこちらで緑がどんどん勢力をましている。先ごろ、京都の法金剛院を訪ねた時、本堂の縁側に座って高みを見上げると新緑が勢いをましていた。そのときに一首を得た。
(写真は、わが町のカリンの木の緑)


 たまきはる命のごとく噴きいでし萌黄色した新樹の光

 

再びのご挨拶

2014年07月15日 | Weblog
近く、再開いたします。俳句や俳句に関するエッセイなどを書き、またご紹介いたします。また、たまには短歌にもチャレンジいたします。

今日の俳句/花ミモザ

2014年03月05日 | Weblog
花ミモザポルシェに乗って出かけましょう 

花ミモザ雨の降る日も曇る日も 

憂きことのはやく去れかしミモザ咲く


(少し早く逝ってしまった関東の句友(百鬼さん)から、以前送られた句。惜しい男を亡くした)

 花文字の洋書売る店花ミモザ
 女スパイ暗号名はミモザ咲く
 ミモザ咲くポスト曲がれば探偵社

今日の俳句/夾竹桃

2010年06月21日 | Weblog
ガラス器に二もと浮かべし夾竹桃