我が家の玄関先に大きな水鉢があるが、ここに20数年来の睡蓮が居座っている。今年も可憐な花を咲かせた。睡蓮の根を小さい植木鉢に植え込み、これをまるごと睡蓮鉢に入れる。数年ごとに、ひとまわり大きな植木鉢に植え替えて、長い年月を共に過ごしている。朝に咲いて夕方には花弁を閉じるが、その花の命は短くて一週間も保たない。
睡蓮の花弁開きて朝はじまる
みほとけの一燭なりしひつじ草
独断のまどろみ覚ます睡蓮かな
睡蓮やモネの惚れたる色と色
睡蓮や水あらばこそ命あり
睡蓮の花弁閉ざさば夢を見る
以上
夏の巴里・「セーヌ河畔」
今年の梅雨も今がピークと思うが、それでも強烈。コロナ感染で緊張の列島に襲い掛かる自然の猛威、人の世が試されているような気がしきりにする。
閉じこもる毎日に新しい時間も出て来た。久々に絵筆も取ってみた。
セーヌ描きて夏の巴里思ひやる
釣り人の池塘の影求む薄暑
忘れ去るこの地にありし泉殿
身整ふも出鼻くじかる男梅雨
飛火野の白雨に追はるる親子鹿
震はせる生家の柱はたた神
生駒に薄暮降りるや夏灯し
海の子の頭上まで伸びる雲の峰
埋葬の香水のびん遺跡展
打水の最後は空にうさを撒く