草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

今日の俳句 / 冬の星  (九分九厘)

2008-12-29 | Weblog

パイプオルガン響きおののき年流る
数へ日の足踏み鍵盤パッサカリア
大名古屋数を数へし冬の星
ひつまぶし茶漬けで流す椀の滓

先週のことになりますが、忘年会を兼ねた仲間同志のホームコンサートの集いに名古屋に出かけました。大きさでは、日本の一二を争うという愛知芸術劇場のパイプオルガン独奏会を聞いて、そのあと久し振りの「ひつまぶし」を食べて帰ってきました。そして改めて週末は、神戸での最後の忘年会で今年を締めくくりました。その晩は神戸の初雪でした。

年つまる小骨を取るのひと時ぞ
老酒の甕の冷えにも冬の闇
トンネルを抜けて有馬の細雪
冬の星遠くにありて眼鏡拭く

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今日の俳句/終い弘法(龍峰)

2008-12-25 | Weblog
  市ならぶ東寺の塔や冬の空
  弘法市善男善女列つづく
  売れずとも終い弘法どの店も

  古着やの臭いも買えり冬の市
  骨董の終い弘法はしごせり

  あてどなく骨董手にする冬の市
  外人と骨董談義冬の市
  骨董の時に浸るや冬の市

21日は今年の最終の弘法大師の縁日であったが、有名な京都・東寺の終い弘法に行ってきた。朝6時から夕方5時頃まで開かれる由。写真の通り、大変な人出で、久しぶりに押し合いへし合いの波に呑まれた。中でも骨董屋を次から次へと覗いていると、いつの間にかタイムトリップで過去に遡り、時間はあっという間に過ぎた。
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今日の俳句/クリスマス(フェニックス)

2008-12-23 | Weblog
(このブログの常連で、いつもコメントを書いていただいているフェニックス様よりクリスマスにちなんだ句を送っていただきました) (文責:ゆらぎ) 只今、真夏のシドニーより、クリスマスの写真が送られてきましたので、あわせて飾らせていただきます。

       ~~~~~~~~~~~~~~~

星一つひときわ明るくクリスマス
穏やかに暮れゆく夕べクリスマス
夕空に澄みゆくキャロルクリスマス
キャンドルに輝く瞳クリスマス

少女らのハレルヤ高らかクリスマス
プレゼント開く楽しみクリスマス
和やかに友と語らふクリスマス

毎年、この時期になると私の学校では2日にわたって夕べに、クリスマス礼拝が行われます。 今年は19日と20日に行われました。 暖房も全然ない昔ながらの広い講堂で、創立以来守られた生徒中心に行われる礼拝です。中でも来春卒業する生徒たちが一人一人キャンドルを手にしながらステージで歌うハレルヤコーラスは感動的で、保護者の中には涙を浮かべる人もいます。 様々な思いがこみあげてくるのでしょう。今年は特に穏やかな好天に恵まれ、平和な喜びに満ちた礼拝が守れました。

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今日の俳句 / 冬帝 ・句会投稿 (九分九厘)

2008-12-19 | Weblog
晩節の恋慕重ねしポインセチア
魂胆の侮りがたきポインセチア

冬帝や漢立ちゐて莞爾たる

我が友の杖曳くすがた浅き冬
ふろふきの冷めた飴色箸休め

今年の最後となる句会を楽しみました。兼題は「冬帝」「ポインセチア」「師走一切」でした。「冬帝」に関しては、この季語の表す情景を正確に解釈した句がなかったとの、宗匠の厳しい話がありました。
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今日の俳句/冬紅葉(龍峰)

2008-12-16 | Weblog




先日あまりの陽気と殊の外きれいな今年の紅葉に惹かれて、11月2日の吟行で行った洛西の光明寺を再び尋ね、更に善峰寺にも行った。いずれも冬紅葉が実に鮮やかでしかも穏やかであった。

   時はかり古刹たずねし冬紅葉
   山門を出でて石段冬紅葉
   見返りの石段緩し冬紅葉

   玉砂利の五色の幕や冬の寺
   塔一つ山の古刹や冬紅葉

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今日の俳句 / 寒月 (九分九厘)

2008-12-12 | Weblog

寒月やあっけらかんなり故郷は
枯蔓門扉鎖すや絵の館
枯木星グレコの光いずくにぞ
冬木影ロダンのとどめしメランコリ

春を待つ墓に供花や貰ひ水
冬小春銘菓となりし「むらすずめ」
ママカリを食らひてものいふ兄弟かな
倉屋敷裏に廻りてクリスマス

所用ありて四人兄弟全員が故郷の倉敷に集合した。かつての倉敷の風情の残っているのは風致観光地区のみだが、ホテルの数がやたらと多くなっている。今も田舎に相違ないが、かつての思い出の故郷とはかけ離れていた。
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スペイン・ポルトガル旅吟(7)/龍峰

2008-12-10 | Weblog
まず13日のセゴビアの手前での白雪姫の城のモデルになったアルカサルの写真を掲げます(写真)。

白雪の城の歴史や冬紅葉(再掲)




14日 晴れ マドリッド市内、トレド

マドリッドの市街地は立派な重厚な街である。すぐロンドンを思い浮かべた。しかし、日は燦々と輝き明るい。街作りではパリやニュヨークを手本にしたとか。本日も晴れており、最後の見学がうまくいきそうである(写真)。





マドリッドは半島の中央に位置し、標高655m故に乾燥して、晴れの日も多いそうである。9世紀にイスラムに対する砦として築かれたが、占拠された。11世紀の終わりに奪還し、16世紀に入って時の王が宮廷をこの地に移した。以降ハプスブルク朝スペイン帝国の中心として発展してきた。スペインが無敵艦隊を有していたのもこの頃である。

      岩壁の厚き街並み冬ぬくし
      マドリドの人慌ただし赤セータ 
      いにしへの無敵の街や冬の暮


まずプラド美術館に行く。市街地の真ん中ではあるが、周りには広大な公園があり、静かな趣がある(写真)。





ガイドの案内で有名な絵を効率よく見て回る。説明は要にして簡を得ているが、不完全燃焼。個人でじっくりみたいものである。それでもフラ・アランジェコの「受胎告知」、エル・グレコの「聖三位一体」「羊飼いの礼拝」「胸に手を置く騎士の肖像」、ベラスケス「ラス・メニーナス」、ボッシュの「快楽の園」、ルーベッベンス「三美神」「東方三博士の礼拝」、ゴヤ「着衣のマハ」「カルロス4世の家族」等等、多くの絵を見る事が出来た。尚、ゴヤの「裸のマハ」は残念ながら貸し出し中で見る事は出来なかった。

      木漏れ日のプラドの庭の落ち葉ふむ
      冬日さすプラドの庭のゴヤの像
      冬晴れにコルトのごとの名画かな
      次なるはゆくりと来たし花ひらぎ


この後スペイン広場でドンキホーテとサンチョ・パンサの像の写真を撮り、王宮広場へ行く(写真)。現在の王宮は1764年にイタリヤの建築家によりフランス・イタリヤ風のデザインとなっている由。アルマス広場に面した王宮は実に立派である(写真)。尚、丁度この時王は日本を訪問されていると聞いた。






昼食は旅行中初めての和食に有り付き、一息を入れた。そしていよいよ最後の見学となるトレドへ出発。

トレドはマドリドからは60km、1時間程で到着。トレドは今回最も尋ねたい街であった。むしろ今回のコースを選定する決め手になった街である。トレドはタホ川に囲まれた天然の要塞都市であり、エル・グレコが住んだ街として知られている。ここを訪れた多くの画家によってこのトレドの丘、アルカサル、大聖堂がシンボルの丘陵都市が描かれている。560年西ゴート王国の首都になったトレドは711年から400年間イスラムの支配下に入った。11世紀再奪還後もイスラム教徒もユダヤ人もキリスト教徒と共に住み、三位一体の文化が築かれた。そして、1561年に首都がマドリッドに移るまで政治、経済の中心として栄え続けた。このような意味で、この街は16世紀で時計が止まってしまった街とも言われる。
まず、バスはトレドの街全体が見渡せるタホ川を挟んだ対岸の丘に止まる。長い間絵や写真で見てきた、アルカサルとカテドラルがシンボルの丘を望む。息を飲む間もなく、催促されてシャッタを押す(写真)。




いよいよ街中に入り、カテドラルを見学。13世紀に建設が始められ、15世紀に完成した。その後も増改築を繰り返してきたこの聖堂は正に荘厳である(写真)。
内部も芸術性が高く、宝物室の金銀宝石で細工された宝冠、法衣等等に目を見張る。またエル・グレコやゴヤ等の宗教画の数々。全体は博物館そのものである。




次に歩きながらサント・トメ教会へ行き、有名なエル・グレコの「オルガス伯爵の埋葬」を見る。描かれている内容とエル・グレコの思いが分かりやすい絵であった。惜しむらくはここでもしばしの時間が欲しい。アルカサルは工事中で尋ねられなかったが、11世紀に要塞として築かれ、その後幾多の増改築、破壊が繰り替えされてきた。現在は軍事博物館となっている。
古い入りくんだ狭い路地に16世紀の臭いを探し求めて、しばし散策(写真)。



やがてタホ川に架かるサン・サルテイン橋を渡って帰りの途に着いた(写真)。

     千年のトレドの丘や冬の暮れ
     冬空にトレドの丘の古城かな
     冬日さすグレコの聖者のまなこかな
     色沈む聖堂の塔冬の丘
     冬の陽や錆色深しアルカサル





マドリドの最後の夜は名物の生ハム、小皿に幾つもの郷土料理が出てくるメニュー、そして赤ワインで今回の3300kmの旅をしみじみ思い返してみた。


後日談;14日朝6時発のイタリヤ航空の飛行機で発つ予定が連日までのストライキで飛ばず、イベリヤ航空機で9時頃に発って、ひとまずローマへ。関空行きの午後2時発のイタリヤ機が何と23時30分発になり、遅れると。そこでローマの街へ、気心知れたご夫妻と4人で繰り出し、スペイン広場、階段、トレビの泉、フォノローマ、コロシアムと見て回り、半日のローマの休日を楽しむおまけが付いた。そして15日夕方無事関空に到着した。

長い間、拙句、拙文にお付き合い頂き有り難うございました。(完)

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スペイン・ポルトガル旅吟(6)/龍峰

2008-12-08 | Weblog
13日 晴れ レオンよりサラマンカ、アビラ、セゴビアそしてマドリッドへ

本日は最終マドリッドまで450kmの旅。7;30、日の出と共に、冬霧の立ちこめる中を一路サラマンカを目指して出発(写真)。



レオンを出て見渡す限り、平原が続く。夏は向日葵でも咲いているのだろうか。

      カステリアの地の果てまで冬の霧



11時頃にサラマンカに到着。この街は古代ローマ時代に築かれ、銀取引の中継点として栄えた。1218年スペインで最も古い大学が創設された。到着後世界遺産ともなっている旧市街を散策。中世の色濃い街並みを楽しむ(写真)。



ここでも大聖堂は立派である。街はずれから振り返ると鐘楼が立派である(写真)。新旧のカテドラルがあり、旧は12世紀ロマネスク様式、新は16~18世紀に建てられたゴシック様式。大学は1534年に建てられた建物が残る。街中では日本人の留学生にも何名か出会った。最近は短期留学とか色々あるらしい。

      古壁の漫ろに立つや冬の鐘
      中世の街に若者冬うらら



カステリア風の昼食を取って更に南へ移動。アビラに到着。アビラは世界遺産の城塞都市である。11世紀にイスラムから街を取り戻した王が9年の歳月をかけて築いた由。旧市街全体が城塞に囲まれた中世のさながらの街である(写真)。石のまちと言われる街中を少しばかり散策し、城塞の上にも昇ってみた。古い街並みが曲がりくねって続いていた。
更に進んでセゴビアへ向かう。セゴビアに近づくと雪のかぶった山々が見えてきた。

      冬日さす砦に立つや石のまち

セゴビアの手前にデズニーの白雪姫のモデルになった古城のアルカサルがある。この城は13世紀に築かれ、以降歴代の王が増改築を繰り替えし、幾多の歴史の舞台にもなった由。今は周りの紅葉ともマッチして穏やかな気品を静かに醸し出している。

      白雪の城の歴史や冬紅葉






セゴビアの街の見所は何と言ってもローマ時代の水道橋である(写真)。街から15km離れた川の水を街まで引くために、紀元1世紀頃に築かれた。橋の長さ728m、高さ28mで1884年まで実際に水が流れており、現在は水道管が通っている。いずれにしろ今でも水道橋として活躍しているのである。2000年に亘るその活躍に思わず拍手したくなり、改めてローマ時代の技術の高さに敬服する次第である。市街地は古く、街の中央広場にはゴシック様式の立派な大聖堂が建っている。散策している内に夕暮れになり(写真)、この地でのきれいな冬茜をみることが出来た(写真)。

      ローマ見る大水道や冬の空
      ゆるぎなきローマの水道冬夕日
      セゴビアの大聖堂や冬茜

日も暮れたセゴビアを後にしてマドリッドへ向かった。約90km走れば今回の最後の街のマドリッドである。やがて夜のマドリッドに到着した。
いよいよ次回でこの連載も終わりとなります。



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スペイン・ポルトガル旅吟(5)/龍峰

2008-12-07 | Weblog
お詫び;思わぬパソコンのトラブルで旅吟が中断しました事をお詫び申し上げます。修理を終えて手元にパソコンが戻って参りましたので、再び連載の続きをお送りします。



11日;小雨 午前ポルトの観光 午後スペイン・サンチャゴ・デ・コンポステーラへ

車窓から見るドウロ川の対岸の丘に築かれた街は、しっぽりと濡れて、少し褪せた朱色や薄紫の屋根の色が落ち着いた感じを与える(写真)。



そしてこの街の長い歴史を物語っているようでもある。ポルトは人口30万人。ポルトガルの商工業の中心。ドウロ川の北側の丘陵地に美しく広がる。古くローマの時代から街は開かれてきたが、他の都市と同じく8~10世紀はイスラムの支配下にあった。そして、11世紀には取り返し、14~15世紀の大航海時代にはこの港から海外へ進出して行き、街は発展していった。
まず世界遺産のサンフランシスコ教会を訪れる。14世紀に建てられ、最初はゴシック様式であったが、17世紀にバロック式に改装された。教会内部は外面の古さとはうってかわって、黄金にきらめいている。当時の植民地からの金その他の富が豊富に使われたものであろう。入って左側の「Jesseの樹」と呼ばれるキリストを取り巻く人物の系図が有名。
街を少し散策の後、川沿いにあるワイン醸造所へ。ポルトと言えばポルトワインがやはり有名。中では主に貯蔵所を中心に見学。出口で赤、白のポルトワインを試飲。香りと深い甘さが口の中に広がる。白は食前、赤は特に、夜静かにバッハでも二人で聞きながら飲む食後酒に最適の感じを受けた。ポルトワインは葡萄酒の一次発酵の段階でブランデイを混ぜ、発酵菌を高濃度のアルコールで殺菌して作り上げた酒精強化ワインの一種。従ってワインの中には葡萄の糖分が濃く残っており、甘く芳醇な味わいになるのである。ドウロ川の上流で葡萄が作られ、下流の川沿いで醸造、樽詰めされる。昔はラベーロと呼ばれる帆船で運ばれた(写真)。



      しぐれ降るポルトの街の朱(あか)かわら
      冬の朝坂のポルトの石畳
      朝しぐれポルトワインの甘美かな
 
昼食の後、坂の街(写真)を少々散策。そして、いよいよサンチャゴ・デ・コンポステーラへ向かう。




途中葡萄畑は紅葉していたが、初めて見る光景であった(写真)。



なだらかに葡萄紅葉のポルトかな 


5時頃サンチャゴへ到着。


12日;時雨、午前サンチャゴ・デ・コンポステーラ見学、午後アストルガを経て、レオンへ。

時雨模様の朝、いよいよ大聖堂へ出発。このガリシア地方は雨が多く、天候が悪い地域である。朝早く、まだ見学者も少ない。大聖堂は聖ヤコブの聖地に立つだけあって古く大きく荘厳である。(写真)




このサンチャゴ・デ・コンポステーラはご存じのようにエルサレム、ローマに次ぐキリスト教3大聖地に数えられる。9世紀に聖ヤコブ即ちサンチャゴの墓がこの地で発見されて以来、ヨーロッパ一帯から巡礼者が訪れる聖地となった。フランスからピレネー山脈を越え、スペインを横断する道のりは800km。道しるべは貝である。見学中にも巡礼者が到着してきた(写真)。



聖堂は最初9世紀に建てられたが、11~12世紀にロマネスク様式に立て替えられ、増改築を繰り返した。聖堂の周りを回る時、よく見ると時代の違いを示す特徴に気づく。中央祭壇ではミサが始まっていた。周りを見学の後、地下礼拝堂に下り、聖ヤコブの棺を拝み、中央祭壇の横から上に上がり、聖ヤコブの像の裏側に回る。そして順番にその像に抱きつくようにし、下りていくのである。正にこの見学のクライマックスである。ふと異教徒の吾にまで御利益あるらんと思う次第。そして、日本ではご本尊は遠くから眺めて拝んで、お終いだろうと。ましてやミサが行われている最中にである。神は寛大か。宗教観、民族の慣習、哲学の違いを感じざるを得なかった。
深い感銘(?)を受けた後、聖地を後にした。

      サンチャゴに導く貝や冬の虹
      巡礼の果てなむ地にぞ冬もみじ
      遙かなる聖地に立つや朝しぐれ
      冬ざれや幾千里来し巡礼者
      冬の雨巡礼終へし破顔かな
      冬朝日清くなるらむ聖ヤコブ

雨が本格的に降り出した。途中で昼食。この地方の料理。たこのガリシア風と豚の塩ゆで。この豚がくせ者で頭や鼻、足、しっぽが原型のまま出てくるのである。これを地酒の強いやつで食べる。慣れるには少し時間が要りそうである。
巡礼道を雨の中、我々はバスで走る。

まもなく途中の街アストルガに到着。いつの間にか晴れていた。ここで大聖堂やガウデイの設計の司教館を外より見る(写真)。なぜかこの司教館は不興であったらしい。



イベリヤの落葉舞し院の庭


夕暮れのカステリヤの北を走る。なかなか印象的な窓外の光景である(写真)。



5時前にレオンの街に到着。レオンは10~12世紀旧レオン王国の首都であった。カテドラル(写真)は13~14世紀のゴシック建築で立派、中のステンドグラスが有名(写真)。かろうじて夕日が沈む前に到着し、グラスの鮮やかな色を見る。更にサン・イシドロ教会を見学。教会の近くにガウデイの作品で現在銀行として使われている建物を見て、本日の見学は終わった。



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今日の俳句 / 顔見世 (九分九厘)

2008-12-02 | Weblog

顔見世や鴨川へりの徒ありき
百円の一日ありし冬ごもり
五十五円三本立ての師走かな
歌声のカチューシャ可愛や冬の雲
五条橋ふところ寒く空威張り
ストームと言う狼藉の忘年会
闇鍋にやけくそ入れて朝ぼらけ
寒禽の声閉ざされし吉田山
冬ざれに悲しからずや身はピエロ
冬枯れや時は流れて時と知る

京都南座の顔見世興行が始まっている。この界隈の師走の風景はいつも変らぬものだが、これを見ると、半世紀前の学生時代を思い出すきっかけとなる。お世話になった吉田山の傍の寄宿舎は、大正二年に建った現存の最古の大学寄宿舎となっている。師走になるとアルバイトに精を出して、故郷に帰る旅費を稼いでいたのが懐かしい。
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