草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

今日の俳句/鏡 (九分九厘)

2007-08-21 | Weblog
ガラス拭く鏡中の汗ふきやまず
自画像を鏡になぞる夏休み
鏡四面一人が無数に夏の陣
餌いらず鏡の中の熱帯魚
割れ鏡おのれが歯なく秋暑し
非対称な顔のつくりや秋鏡
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「狂女」と蕪村 (九分九厘)

2007-08-19 | Weblog
  岩倉の狂女恋せよほとときす        <芭蕉句集>


「五車反古」(天明三年、1783年)に同じ句があって、それには「数ならぬ身はきき侍らず」なる前書がある。即ちこの句は次の「徒然草」107段からきたものである。 

「亀山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の参らるる毎に、時鳥や聞き給へると問ひて心見られけるに、某の大納言とかやは、数ならぬ身はえ聞き候はず、と答へられけり。堀川内大臣殿は、岩倉にて聞きて候ひしやらん、と仰せられたりけるを、これは難なし、数ならぬ身むつかし、など定め合はれけり。」 

句集にはこの前書が省かれていて、狂女の恋という素材が純化されて趣向としてのあわれが増幅されている。尚、京都岩倉にある大雲寺境内にある滝が狂人の療養に向いていることで当時有名であった。(ゆらぎさんの調べによれば)平安の御三条天皇の皇女佳子が精神障害で苦しんでいたが、この滝にあたり、あかの水を飲んで平癒したことから、この岩倉の狂女伝説のはじまりがあるとの事である。

蕪村は、詩作と書、それに絵画を三者合体して、統合された俳画というジャンルを作り上げた業績がある。絵は形態によって表現される詩であり、詩は言語によって表現される絵であるが、両者が合体することによって、一方のみでは表現しえない深い世界を作り出していくこととなる。この横長の絵の画面右上に啼きながら飛ぶほととぎす、左下に藍の施された紫陽花が描かれ、その間に絶妙な空白が残されている。初夏を彩る紫陽花の静と時鳥の鋭い鳴き声の動とを対比させ、句の持つ情感を象徴的に表現している俳画である。

蕪村の句を調べていくと「狂女」なる語を使った句がこの他に二句ある。一つは

  藪入りの宿は狂女の隣かな

この句の由来であるが、蕪村は「春風馬堤曲」の最後の句を、炭太祇の句で結んでいる。
  君不見、古人太祇が句
  藪入りの寝るやひとりの親の側

「春風馬堤曲」は藪入りの休暇をとって故郷に帰る娘に替って蕪村が詠ずるという代作形態で書かれているが、内容は逆に息子に代わって藪入り娘が故郷の毛馬村に帰るという詩情を奏で、そこには母親が一人で待っているという構図である。この「春風亭馬堤曲」発表の二年後の「不夜庵歳旦帖」に「藪入りの宿は狂女の隣かな」を納めている。明らかに蕪村は馬堤曲結びの「母親」を「狂女」のイメージに変奏しているのだ。つまりこの句の「狂女」は藪入り娘の母親であり、すなわち蕪村の母親にあたる。それは最後に見た母親の姿であったのかもしれない。もう一つの句は「新花摘」に収録されている、麦秋二句および続詠二句の最後の句である。幼き時の不幸な蕪村の想いに重なる句である。

  麦秋や鼬啼くなる長がもと
  麦秋や遊行の棺通りけり
  麦秋や狐の退かぬ小百姓
  麦の秋さびしき貌の狂女かな
  
蕪村は摂津国東成郡毛馬村の村長の息子として生まれたが、母親は丹後与謝郡出身の奉公人であった。蕪村は主人のお手つきで生まれた子であったらしく、幼い時から母親と丹後に帰り住み、母親は教育熱心な人であったようである。蕪村13歳の時母親が入水自殺をしたと推定されているが、これを機会に嗣子であった蕪村は毛馬村に帰ることになる。この毛馬村帰った後の数年間で生家は経済的な破綻をきたし没落する。蕪村は出家をして、その後江戸に出ることになる。

離縁された母親の面影を思わせる句として

  離別(さら)れたる身を踏み込んで田植哉
  とかくして一把に折りぬ女郎花

そして、母親の投身自殺を思わせる句として、

  枕する春の流れやみだれ髪

この句は中国の「漱石枕流」の故事によったものであるが、春の流れに投身した女のイメージにほかならないものである。春水の流れを枕にして、寝ているかのように黒髪を玉藻のようになびかせて、安らかに流れていく美しい女の入水のイメージである。ここには明らかに狂女の面影がある。
                                  以上

参考文献:蕪村伝記考説 高橋庄次 (春秋社)
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今日の一句/鵲の橋(ゆらぎ)

2007-08-19 | Weblog
鵲(かささぎ)の橋に結ばや国と国

今日8月19日は、旧暦の七夕の日です。中国の伝説(「淮南子」に出てくる)によればこの夜鵲が天の川に羽根をひろげ、織り姫が渡ってゆけるようにしたとのことです。奈良時代の『懐風藻・七夕』には、

   ”仙車鵲(せんしゃかささぎ)の橋を渡り”

という表現があり、昔からよく知られた話です。今では、”鵲”に加え”鵲の橋”も季語になっているようです。中国と日本の友好を願って詠みました。

(ゆらぎは、明日から夏休みに入ります。また9月初めにお目にかかります)

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今日の一句/甚平 (九分九厘)

2007-08-18 | Weblog
ゆらぎさんにお返しの一句 

  明け立ちて甚平のありか分らずて

東京は少し涼しくなってきたようです。関西は今日も猛烈な暑さである。クーラの嫌いな夫婦ゆえに、暑さしのぎに様々な工夫がいる。只今現在のところ阪神が広島をリードしていて、団扇でことが足りています。
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今日の一句/甚平(ゆらぎ)

2007-08-18 | Weblog
夕されば甚平姿でいそいそと


連日、暑い日がつづいています。こんな時は、花茣蓙にでもころがり
涼しくなる頃を見計らって、焼肉でも食べに行きましょう。
最近、「関西焼肉ドットコム」なるサイトを発見。大阪の可愛らしいお姉さんのサイトですが、
これが、なかなかいけてます。
この情報も参考に出かけようと相談しきりです。

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八月十五日/終戦記念日 (九分九厘)

2007-08-15 | Weblog
今日は終戦記念日である。すでに62年も前のことになった。50年を超えると記憶が正確な時系列線上に並ばなくなってきている。大戦の自省を、価値観の違う戦争体験のない若い世代に伝えることは、難しい事業になってくる。敗戦忌を詠うには、俳句ではやはり字数が足りない。初めての短歌を作ってみる。

  この日だけ時が止まりて敗戦忌
  その時の史実あるのみ終戦記念日

  爾来変わらぬ黙祷にひとひらの氷を口に含む八月十五日
  青春の無かりし世代の鎮魂に遠くして地球の菊花の白

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今日の俳句/終戦日(ゆらぎ)

2007-08-15 | Weblog
責任をとらずに済ます敗戦忌
終戦日もんぺ脱ぎさりワンピース

 戦争が終わって、まだ半年もたたない昭和21年の初め頃、
デザイナーの杉野芳子が「ドレメ」(ドレスメーカー女学院)を再開しようと
決意し、願書を30枚用意した。ところが入学受付の初日、寒い校外には
千数百人の女性たちが列をなした。
   
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メランコリ (九分九厘)

2007-08-12 | Weblog
草田男がデューラー(1471~1528年)の「騎士と死と悪魔」を題材に句作をした由、ゆらぎさんのブログで拝見。手元のデューラー「メランコリア Ⅰ」(1514年制作)で同様の挑戦をしてみた。医学の始祖ヒポクラテスは、人間には四つの体液(粘液、血液、黄胆汁、黒胆汁)が流れていて、それによって体質が分かれると説いた。メランコリア(憂鬱質)は黒胆汁のせいだとし、憂鬱や怠惰という悪い病気の原因とした。人間はこれら四つの要素がバランスよく備わっていなければならない。粘液は水の性質を持っているので冷たく冬と親近性があるとされ、血液は春、夏は黄胆汁、黒胆汁は秋と親しい。勿論、日本の季語集には載っていないことである。この銅版画は寓意のある種々なものが配置されていて難解である。意味を考えていること自体で憂鬱になってくるようだ。手元の本の解説では、メランコリーには三種類あるとして、「Melancoia rationalis」自然科学、医学、政治学など合理主義にかかわるもの、「Melancolia mentalis」神学、宗教にかかわるもの「Melancolia imaginative」芸術、創作活動にかかわるもの、でこの絵は明らかに最後の芸術創作にかかわるものとしている。

  躁ならんと天使の眸虹を見る
  蝙蝠の知らぬ世界やメランコリ
  犬の嗅ぐ胆汁黒き天使かな
  砂時計重力なくして鬱の極
  石重く指触れもせずメランコリア
  鬱王の月のあはれを忘れけり
  コンパスでサターンを測るメランコリア
  真実を極めんとして鬱大王

「鬱王」なる語は赤尾兜子の句から引用したものである。彼は49歳ころから欝病にかかり、以降死ぬまでこの病気に苦しむ。49歳から51歳にかけて、彼は自分の鬱に関する句を作っている。

  空鬱々さくらは白く走るかな
  漱石の気鬱に通ふ冬の暮
  小鬱の冬の一牛沼漬り
  軽鬱放ち先ず蹴りゆけり三葉芹
  大雷雨鬱王と会うあさの夢

昭和56年、兜子(56歳)は自宅付近の阪急電車御影駅の近くの踏切で急逝する。欝病による投身自殺と推定される。
                              以上
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今日の俳句/木槿 (九分九厘)

2007-08-10 | Weblog
むっつり木槿の薮中の赤い芯
明日の身の知れぬ装束白木槿
木槿花夜陰に萎える道玄坂
何もかも忘れた気持白木槿

この暑い炎天の下に、木槿の花が咲いている。この花の季語感をどう表現するのか興味あるところだが、歳時記の例句もさまざまである。この花が韓国の国花だそうだが、さてどんな文化的な背景を持っているのか調べたくなってきた。
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今日の俳句/濁り酒(ゆらぎ)

2007-08-10 | Weblog
あたらしき水着悲しやXO醤(じゃん))
ボウタイやバカラ楽しむ夏の宵
濁り酒あれやこれやと月旦評

デューラーの決意の槍もて草田男忌

草田男は、文学や美術はては音楽までもとりこんで句を詠んでいますが、その彼がデューラーの銅版画「騎士と死と悪魔」を目のあたりにして、強烈な印象を受け、連作13句で俳句化に挑戦しています。「決意の槍」も、その中の一句ですが、草田男の燃えるような思いが伝わってくて、すきな句の一つです。それにちなんで、詠んでみました。
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