先ずは、一寸した息抜きに「炭太祇」の濃艶な句を下記に、ご紹介する。
春雨や昼間経よむおもひもの
隠宅の窓ぎわの机に凭れて、ものうく春雨を眺めいっていると,隣家の妾宅から、旦那が来ていない昼間なので、嬌声のかわりに、殊勝な読経の声が珍しくも漏れてくるが、それが却って、変わったなまめかしさをおぼえさせる、という奇妙に倒錯的な官能的な句。
鞦韆や隣みこさぬ御身躰
美女とブランコとの組み合わせは、フランスのロココ画家たちも、盛んに取り上げたテーマであったが、江戸時代の和服の女性は、長いスカートを思い切り空に向かって蹴り上げて、下から紐で漕いでいる男性を、眼福にあずかせるというふうには参らなかった
ふらここの会釈こぼるるや高みより
しかし見下してにっこりと頬に血の昇った笑顔を恵んでくれることは、出来たのである。
夜歩く春の余波(なごり)や芝居者
芝居がはねて、さんざめく歓楽街のなかを、晩春の生暖かい空気を横切って歩いて行く、その身のこなしの色めかしさが、ひとめで俳優だと知れる。
うつす手に光る蛍や指のまた
闇のなかで蛍の光に仄かに浮かび上がる、美しい女の指と指との間のまたの、胸をふるわせるようなエロチシズム。それはその女の脇のしたや、ヴィーナスの丘の谷あいへ、男の連想をそそるのである。かと思えば、一転してダフニスとクロエの都会版のような風情の句。
初恋や燈籠によする顔と顔
春信の絵のように、前髪を剃る前の少年の顔は、どちらが男か女か,神燈の仄明りでは、通りすがりの者には見分けがつかない。それは一瞬、レスビアンの光景かとも、見まがうのである。
手へしたむ髪のあぶらや初氷
いとしい女の手をとると、その冷たさのなかに髪油の手触りが感じられる。冬なのだ。
女は自分に逢うために、入念に髪の手入れをしてきたのだ。
はつ雪や酒の意趣ある人の妹
白い雪景色のなかに、ハッとするほどの美しい娘が、傘を傾けて歩いて来る。近ずいてみると、顔見知りの女なのだが、昨夜、あいにくのことには、彼女の兄貴とは、飲んだ上で喧嘩別れしたばかりなのだ。清らかな雪、艶なる娘、そして二日酔い、このユーモラスで意表をついた取り合わせ。
恥ずかしやあたりゆがめし置炬燵
これはまた露骨なポルノのような句。「炬燵は恋の玉手箱」という俚言もあるように、差し向かいで炬燵にあたっていると、つい乱れてしまうのが当時の恋人たちの冬の愉しみであったのは、浮世絵師たちの得意の題材であった。その直後、二人の立ち去ったあとに、部屋に入った女中が、思わず頬を赧らめる。
以上の俳句の選と注釈は小説家「中村真一郎」のもので、著書「俳句のたのしみ」(新潮社‘90)よりの抜粋である。たいして感心するほどの文章でもないが、明解で気晴らしにはもってこいである。彼は俳句で最も好きなのは「俳句ロココ風」と称して、炭太祇、大島蓼太、建部涼袋、加舎白雄 等など、江戸時代十八世紀後半の「俳諧小詩人」を高く評価している。特に御贔屓なのは太祇である。
小説の方法論にこだわった中村真一郎の俳句論議で、私の興味をひいた一節があった。
「和歌の使っている文語は、多分平安時代の当時の話し言葉からつくられた文章語なのであろう。そして俳句の文語なるものは、時代が移るにつれて、この平安文章語が江戸の話し言葉と大きく乖離してきたので、当時の話言葉の要素を文章語に輸血して生きいきとした、俳諧というものに作り変えていったのである。明治以降の散文は言文一致の運動が示すように、明治半ば以降に話言葉をもとに、作り出されたものであり、これが現在われわれが使っている散文の形態である。現在の散文はもっぱら話言葉に依存しているので、社会の変化に伴い絶えず変形をしていくのである。その一方で、現代語では作ることが出来ない即ち文語中心の一種の擬古体である短歌や俳句が、現にこの世で多くの人々に使われ、現代の感動をその詩文の中に盛り込むことができるという事実がある。ひょっとすると、現在散文にもっぱら使われている口語体なるものは、充分な表現能力を持ち合わせていないのでなかろうかと不安に思うことすらある。短歌や俳句が今の散文の欠如しているところを補完しているやに思われる。今の散文はというものは、伝統的な文章語に比べて、冗漫で粗雑で、文学の素材としては、このままではどうにもならない体のものである。」
「元禄の俳人たちの句の、その言葉とイメージとの連結のなかに現代語による定型詩の詩句の骨法があるように思われる。これは短歌に比べて、俳句が元来我が国の古典伝統に対する、庶民生活のなかからのパロディーとして発生したものであるから、その用語において純粋な文章語ではなく、当時の生活用語が混入し、それが現代の口語の源泉になっているという事実に関係がある。つまり俳諧のその言葉の並べ方は、現代の口語による詩句に効果のうえで大変に参考になるものである。つまり俳句は、半ば俗語でありながら、そこに伝統的なリズムを保持していて、それが口語を新しい詩の用語とする際に、その底に潜在的な律を発見する手がかりとなるのである。」
中村真一郎が特に元禄の俳諧小詩人が好きなのは、上記の論を根拠にして言っているものなのであろう。其角がその祖であるとしているが、芭蕉については別格本山として、世界の古今東西の十指のなかに入る大詩人としている。
話は全然変わるが、現在「ケータイ小説」なるものが中高女学生を中心に大流行しているそうだ。今まで全く知らなかったのであるが、馬鹿にしてはいけない。人気小説の携帯電話ネットの1日の最大アクセスが一千万をはるかに越え、単行本にすると百万部がすぐ売れるそうである。NHK<クローズアップ現代>に紹介されていたが、サイトに出る文章が全くの口語であって、典型的な私的用語である。二三行の文章を、現在の散文の文章語(私的用語に対し公的用語と称していた)で対比解釈していたが、当然解釈の文の方が長いものであって、冒頭の太祇の俳句と、真一郎の解釈の対比と似たところがあるのは全く皮肉なことである。一瞬、携帯液晶画面に口語の短行詩を見たような錯覚を覚えるのである。季語ではないが、若者共通の暗号である便利な記号☆♪・・等もあるのである。TV解説者は明治の言文一致運動以来の、あたらしい平成言文一致運動として大きな影響力を持っているので、冷静に見守る必要があると言っていた。出版業界やメディアのアプローチがもの凄いそうである。あと50年もすると文芸の世界は、想像もつかない世の中になっているのかもしれない。
以上
春雨や昼間経よむおもひもの
隠宅の窓ぎわの机に凭れて、ものうく春雨を眺めいっていると,隣家の妾宅から、旦那が来ていない昼間なので、嬌声のかわりに、殊勝な読経の声が珍しくも漏れてくるが、それが却って、変わったなまめかしさをおぼえさせる、という奇妙に倒錯的な官能的な句。
鞦韆や隣みこさぬ御身躰
美女とブランコとの組み合わせは、フランスのロココ画家たちも、盛んに取り上げたテーマであったが、江戸時代の和服の女性は、長いスカートを思い切り空に向かって蹴り上げて、下から紐で漕いでいる男性を、眼福にあずかせるというふうには参らなかった
ふらここの会釈こぼるるや高みより
しかし見下してにっこりと頬に血の昇った笑顔を恵んでくれることは、出来たのである。
夜歩く春の余波(なごり)や芝居者
芝居がはねて、さんざめく歓楽街のなかを、晩春の生暖かい空気を横切って歩いて行く、その身のこなしの色めかしさが、ひとめで俳優だと知れる。
うつす手に光る蛍や指のまた
闇のなかで蛍の光に仄かに浮かび上がる、美しい女の指と指との間のまたの、胸をふるわせるようなエロチシズム。それはその女の脇のしたや、ヴィーナスの丘の谷あいへ、男の連想をそそるのである。かと思えば、一転してダフニスとクロエの都会版のような風情の句。
初恋や燈籠によする顔と顔
春信の絵のように、前髪を剃る前の少年の顔は、どちらが男か女か,神燈の仄明りでは、通りすがりの者には見分けがつかない。それは一瞬、レスビアンの光景かとも、見まがうのである。
手へしたむ髪のあぶらや初氷
いとしい女の手をとると、その冷たさのなかに髪油の手触りが感じられる。冬なのだ。
女は自分に逢うために、入念に髪の手入れをしてきたのだ。
はつ雪や酒の意趣ある人の妹
白い雪景色のなかに、ハッとするほどの美しい娘が、傘を傾けて歩いて来る。近ずいてみると、顔見知りの女なのだが、昨夜、あいにくのことには、彼女の兄貴とは、飲んだ上で喧嘩別れしたばかりなのだ。清らかな雪、艶なる娘、そして二日酔い、このユーモラスで意表をついた取り合わせ。
恥ずかしやあたりゆがめし置炬燵
これはまた露骨なポルノのような句。「炬燵は恋の玉手箱」という俚言もあるように、差し向かいで炬燵にあたっていると、つい乱れてしまうのが当時の恋人たちの冬の愉しみであったのは、浮世絵師たちの得意の題材であった。その直後、二人の立ち去ったあとに、部屋に入った女中が、思わず頬を赧らめる。
以上の俳句の選と注釈は小説家「中村真一郎」のもので、著書「俳句のたのしみ」(新潮社‘90)よりの抜粋である。たいして感心するほどの文章でもないが、明解で気晴らしにはもってこいである。彼は俳句で最も好きなのは「俳句ロココ風」と称して、炭太祇、大島蓼太、建部涼袋、加舎白雄 等など、江戸時代十八世紀後半の「俳諧小詩人」を高く評価している。特に御贔屓なのは太祇である。
小説の方法論にこだわった中村真一郎の俳句論議で、私の興味をひいた一節があった。
「和歌の使っている文語は、多分平安時代の当時の話し言葉からつくられた文章語なのであろう。そして俳句の文語なるものは、時代が移るにつれて、この平安文章語が江戸の話し言葉と大きく乖離してきたので、当時の話言葉の要素を文章語に輸血して生きいきとした、俳諧というものに作り変えていったのである。明治以降の散文は言文一致の運動が示すように、明治半ば以降に話言葉をもとに、作り出されたものであり、これが現在われわれが使っている散文の形態である。現在の散文はもっぱら話言葉に依存しているので、社会の変化に伴い絶えず変形をしていくのである。その一方で、現代語では作ることが出来ない即ち文語中心の一種の擬古体である短歌や俳句が、現にこの世で多くの人々に使われ、現代の感動をその詩文の中に盛り込むことができるという事実がある。ひょっとすると、現在散文にもっぱら使われている口語体なるものは、充分な表現能力を持ち合わせていないのでなかろうかと不安に思うことすらある。短歌や俳句が今の散文の欠如しているところを補完しているやに思われる。今の散文はというものは、伝統的な文章語に比べて、冗漫で粗雑で、文学の素材としては、このままではどうにもならない体のものである。」
「元禄の俳人たちの句の、その言葉とイメージとの連結のなかに現代語による定型詩の詩句の骨法があるように思われる。これは短歌に比べて、俳句が元来我が国の古典伝統に対する、庶民生活のなかからのパロディーとして発生したものであるから、その用語において純粋な文章語ではなく、当時の生活用語が混入し、それが現代の口語の源泉になっているという事実に関係がある。つまり俳諧のその言葉の並べ方は、現代の口語による詩句に効果のうえで大変に参考になるものである。つまり俳句は、半ば俗語でありながら、そこに伝統的なリズムを保持していて、それが口語を新しい詩の用語とする際に、その底に潜在的な律を発見する手がかりとなるのである。」
中村真一郎が特に元禄の俳諧小詩人が好きなのは、上記の論を根拠にして言っているものなのであろう。其角がその祖であるとしているが、芭蕉については別格本山として、世界の古今東西の十指のなかに入る大詩人としている。
話は全然変わるが、現在「ケータイ小説」なるものが中高女学生を中心に大流行しているそうだ。今まで全く知らなかったのであるが、馬鹿にしてはいけない。人気小説の携帯電話ネットの1日の最大アクセスが一千万をはるかに越え、単行本にすると百万部がすぐ売れるそうである。NHK<クローズアップ現代>に紹介されていたが、サイトに出る文章が全くの口語であって、典型的な私的用語である。二三行の文章を、現在の散文の文章語(私的用語に対し公的用語と称していた)で対比解釈していたが、当然解釈の文の方が長いものであって、冒頭の太祇の俳句と、真一郎の解釈の対比と似たところがあるのは全く皮肉なことである。一瞬、携帯液晶画面に口語の短行詩を見たような錯覚を覚えるのである。季語ではないが、若者共通の暗号である便利な記号☆♪・・等もあるのである。TV解説者は明治の言文一致運動以来の、あたらしい平成言文一致運動として大きな影響力を持っているので、冷静に見守る必要があると言っていた。出版業界やメディアのアプローチがもの凄いそうである。あと50年もすると文芸の世界は、想像もつかない世の中になっているのかもしれない。
以上