草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

今日の俳句/桜(龍峰)

2014-04-29 | Weblog
今年の桜は天候の寒暖の激しさで揺れ動いた。開花は遅いと思えば、あっと言う間に咲き、散るかと思えば長く持ちこたえた。すべからく予測に反して流れるは桜もか。それでも桜を追うて、京都御所、夙川、そして吉野へ出かけた。御所の桜はゆったりと大らかに咲き、中でも近衞邸跡の枝垂れ桜は素晴らしかった。また、夙川の両岸の桜は花吹雪の跡の花いかだも楽しめた。吉野はここのところ毎年出かけているが、風情は異なる。去年と同じ頃に出かけたが下千本、中千本は散り急いでいた。写真は吉野、蔵王堂も花に包まれていた。

  日を受けて花びら舞ふや御所の昼
  風に舞ふ枝垂桜や雅楽の音

  夙川の堰音に舞ふ花吹雪
  夙川の乱流に乗る花いかだ

  谷わたる吉野の風や山桜
  分け入りて吉野の峡の桜かな

  一陣の風のさそふや花吹雪
  大庇隠すばかりに花吹雪

  賑わひの過ぎて吉野の花惜しむ
  西行の面影追ふや奥の花
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今日の俳句 @紐育 (九分九厘)

2014-04-24 | Weblog
          


     モンドリアン春をよびこむ@紐育

 今日の俳句はこの一句のみである。今回は俳句よりむしろ絵画論が中心となる。3月の紐育を訪れた時、NY近代美術館でモンドリアンの「ブロードウエイ ブギ=ウギ」(上掲写真)を観ることができた。死ぬ直前の1942~43年の作品である。春の到来を喜ぶニューヨークの街の俯瞰図といわれている。かつて、モンドリアンが具象から抽象に転じたころの彼独特の幾何学模様を踏襲しているが、この絵の意味するところは大きく変質している。P.Mondrian(1872~1944)はオランダに生まれ、新構造主義なるものを唱えて、多様な矩形の集合による美を追求した。1926年にその主張を記述した、いわゆるモンドリアンノートなるものがある。分かったようで分からない難解の代物である。曰く、①造形の手段は原色(赤、青、黄)と無彩色(白、黒、灰)による平面、即ち矩形のプリズムによるものとする。建築においては、空虚なスペースは無彩色とし材料は色彩として扱う。②造形手段はサイズや色彩に差異があっても相互に等価であり、同等の価値を持たねばならない。一般的には、均衡は無彩色の面または空虚なスペースと、やや小さい彩色された面または物質によって満たされた空間とを含むものである。③構成においては、造形手段のなかの対立的要素の二元性もまた要求される。④永続的な均衡は対立によって達成され、直角位に交差する直線(最もシンプルな造形手段)によって表現される。⑤造形手段を中性化し消去する均衡は、造形手段の占めている釣り合いによって達成され、それは生きたリズムを想像する。⑥すべてのシンメトリーは排除される。
 ここからの叙述は九分九厘の説となる。モンドリアンはカルヴァン派の厳格な家庭に育つが、成人になるとその頃流行していた「神智学」に傾倒していく。「神智学」は一種のオカルト的宗教とも思えるが、これによると、世界を秩序づけている英知の源は神であって、世界の本質を理解するためには人は神の英知を感じるような実践を積まねばならないとする。そして、神はキリスト教、イスラム教、道教、老荘思想など、あらゆる思想・宗教の神を超える統合された存在とする。モンドリアンの絵画における抽象画への要素還元の方法は、観念的な宗教的な意味合いに結びついたものと考えられる。モンドリアンは絵画を描くことと同時に建築家になることを夢想する。実際、彼の建築構造物スケッチが残されている。モンドリアンの絵を理解する私の方法は、鉛直に建つ複数の建築構造物を構成する空間を、水平に切りとった断面図として見ることである。グランドラインの水平断面から上を見上げた二次元図であると言ってもよい。黒の直交線で囲まれる矩形は一つのビルディングと仮想し、その矩形に囲まれている色彩が無彩色であるならば、そのビルディングの高さ(最上階)は無限に高いのか、あるいはそもそも空虚な空間を意味しているのかもしれない。彩度を持つ色は「材料」を意味するから、ビルディングの高さ(最上階)は有限であって恐らく彩度の濃淡によって高さが変わるのかもしれない。一方、単なる二次元のみの絵画として鑑賞してみると、不思議な緊張感が漂ってくる。モンドリアンは1939年に戦争を逃れて紐育に移住することになるが、それまでの絵は黒い直交線とそれに囲まれた青、赤、黄色の三色、あるいはそのうちの一色か二色のみを使い不要なものを一切削ぎ落としたもので、要素還元の手法は彼の主張する精神と物質の最もシンプルな根源的な関係を表現するものである。

         

この絵は「コンポジション/ロンドン」と称するアメリカ移住前の作品とされる。この絵を画像処理してモノクロにすると次の絵になるが、これを九分九厘が撮影した和歌山根来寺の建物の壁面と比較してもらいたい。真言宗や禅寺でよく見られる壁面模様である。両者ともに、とても良く似通っている絵画的文様を有している。モンドリアンが東洋思想に興味を持っていたことは間違いないと思われる。老荘思想の形而上学的思想をわかりやすくするための代表的な手引書が「易経」であるが、これに説かれていることは、「爻」なる直線があって、実線(陽爻)と破線(陰爻)との組み合わせが、空間と時間を表す仕組みになっている。モンドリアンの絵を調べていくと、陽爻と陰爻の組み合わせによる「卦」と同じような文様が現れてくる。モンドリアンの直線表現が老荘思想から影響を受けたものかどうか全くわからない。偶然の遭遇かもしれない。絵を見ていると、とても不思議な事例に出会うものである。アメリカ移住後のモンドリアンの絵はアメリカ的かつ享楽的なものに変質しかつての神秘性あるいは宗教性が見えてこないのである。


         

         

                                                             以上
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今日の俳句/西行忌(ゆらぎ)

2014-04-14 | Weblog

 今週の句会直前にしての投稿。いささかの手抜き工事をお許しください。 まだ俳句に手を染めた頃のことですが、ゆらぎ自身の俳句ブログに今回の記事を載せました。ちょうど今、別ブログ(新)緑陰漫筆に桜の記事を書いております。その中で桜を愛した西行のことにも触れました。西行忌は、陰暦2月15日、今の三月中旬ではありますが、西行が入滅した大阪郊外の弘川寺では、今まさに枝垂れ桜が咲き、また落花芬々と散っています。そんなわけで、時季遅れも承知のうえで、再掲させて頂きました。

 

西行も見し弘川の桜舞う
恋を秘め無常説きたる西行忌

弘川に薄紅(うすくれない)の花匂う

山桜結晶(こを)りしごとく鳴りひびく
散るを見ず帰りし心西行忌

散る花も根に帰りゆく桜かな
花吹雪まるで西行包むごと

ひたぶるに花散りつづき西行忌


 辻邦生の『西行花伝』は、彼の文学の集大成ともいうべきもので、10年ほどまえに手にして以来、私の愛読書の一つとなった。まだ桜が、本格的に咲くには日にちがあるが、もう三月も終わりにちかい。この本を読んだときの印象をも込めて、数句詠んでみた。写真は、西行終焉の地である南河内の弘川寺(ひろかわでら)での撮影。数年前の春に訪れた。金剛の山麓にあり、小さなそして静寂なお寺である。桜の色が、ことのほか清冽であるのが印象に残った。西行の思いのごとく、文字通り桜で埋め尽くされている。ここには、西行の墓や西行記念館があって往事を偲ぶことができる。それにしても西行と待賢門院璋子との恋は、儚い夢のようなものであった

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今日の俳句 / 朧 (四捨五入)

2014-04-04 | Weblog

 

  海峡の気笛朧や雨上がり

  朧夜の昏き波寄す白良浜

  四月馬鹿天下泰平なればこそ

  四月馬鹿使ひこなせぬわが身かな

  沈丁の香の呼び戻す七十年

  朝日差す庭に妻あり沈丁花

  奄美の子花と散りけり甲子園

写真は明石公園の枝垂れ桜です。この日は好天でかなりの花見客でしたが、ここではこの瞬間一人もいませんでした。俳句は甲子園の句を除き、句会に出したものです。

春の甲子園では、奄美から初出場の大島高校と優勝校の龍谷大平安高校が籤運悪く対戦することとなり、2-16と大敗してしまいましたが、序盤に2点を取ったのには感心しました。因みに大島高校は岳父の出身校です。

 

 

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