写真は、萩の花。草若葉を始めた2007年9月の投句の冒頭を飾ったもの。
草若葉草創期の思い出。
「今朝の春」にあたり、草若葉の草創期の頃を振り返ってみました。また、句友であった故人のことを偲んで、その頃のことも取り上げました。
2007年の夏に草若葉を立ち上げたのですが、当初は九分九厘兄とゆらぎの二人だけで始まりました。二人とも、まだ俳句を始めたばかりであった。その頃、投句された句は、まだまだ幼稚なものであり、俳句というより、川柳に近いものもありました。(笑)
”蛸茹でて縮む亭主の赤烏帽子” (九分九厘)
”冷や麦は半田の麺と決めており”(ゆらぎ)
”満月やこれでどうだと大花火” (九分九厘)
8月に入ると、九分九厘さんの「俳句論考」と題する投稿がありました。「「狂女」と「蕪村」」と題するものでした。
俳句としては、下記二句など、レベルが少し上ってきました。
”かささぎの橋に結ばや国と国” (ゆらぎ)日中友好を願って
”砂時計動かなくした「うつ」の極” (九分九厘)・・やや難解ですが。
9月になると、この頃から百鬼さんがコメント欄に登場しました。これは九分九厘さんの「江戸俳諧とケータイ小説までの一考察」と題するもので、この中の「中村真一郎の俳句談義」に関してコメントしたものです。いつも切れ味鋭いコメントをされ感じ入っていました。
斉藤百鬼さんとは、別なネット句会で知り合った仲で、関東の方でした。その句は、極めて斬新かつ従来の陋習にとらわれないもので、九分九厘さんともども強烈な印象を持ちました。お互いに、それぞれのブログに投稿して、コメントを交換していました。そうこうするうちに、とうとう東京でお会いすることになり、九分九厘さんともども上京し、お会いしてすぐ旧知の仲のようにお付き合いすることなった次第です。残念ながら、それからしばらくして病に倒れられ,決別の止むなきにいたりました。(2010年) もし、ご存命であれば、今も相変わらず楽しく俳句論議を交わしていたものと思います。 百鬼さんは、草若葉のメンバーではありませんでしたが、九分九厘さんとゆらぎにとっては、それをも超える濃いお付き合いをして、それ以上の存在でした。
”女スパイ暗号名はミモザ咲く” ・・・2008年3月に投稿された句で、こんなウイットに溢れる句が草若葉にもでないかなと思いました。
秋口になると、コメント欄に
四捨五入/やまもも/たろうさんなどの名前が登場しました。龍峰さんの名もありました。 2008年3月に初めての投句がありました。これには、”お主やるなあ”。と驚嘆しました。
”陽炎や丘果つるまで羊群” (龍峰)
四捨五入さんは、九分九厘/ゆらぎと入社同期で東大では自動車部キャプテンをしておられました。余り人前で目立つこともなく、とても温厚な方だでしたが、時にはっとするような句を詠まれ、みんなの耳目を驚かせていませした。12月には、次のような佳句を詠まれていました。
”うすらひや池の波紋を拒みけり”・・・この句について句会の主宰は。”ゆるんでいるのはこの日だけでよかったですね”、となんともウイットに溢れるコメントしていました。
ちなみに四捨五入さんの句会(芒の会)での初めての投句は、次のような味わいに溢れたものでした。
”
をなもみや幼き日々の庭遊び”
かと思えば、上記句会の句集には、次のような正統派の句がありました。
”風雪に耐えし築地や落椿”
”野の光句座へ運びし花大根”
”動くとも見えぬ風鐸冬日和”
残念ながら2018年3月に、あの世へと旅立たれました。彼の草若葉への最後の投句には、次の銘句がありました。
”大寒の日差し力を秘めてをり”
お別れするのは、とても辛いことでした。
忘れてならないのは、
光芒子さんです。絵の仲間でしたが、九分九厘/龍峰/ゆらぎで、俳句の道に引っ張り込み、歳時記と俳句の本まで買い揃えさせて、とうとう草若葉の仲間に入れてしまいました。
”曼珠沙華畦を燃やして地獄花”
”春の海浮木をみつめてひもすがら”
”春浅し坊主同士の明石浦”
”若布採り腰を伸ばして釣り談義”
~写真は句に添えられた光芒子さんのスケッチです。
~上記は、初めての投句です。絵を描き、魚釣りを楽しみ、また皆を喜ばせることに心を砕く、良き友でした。彼のおかげで、桃の木を育てるという貴重な体験をさせて頂きました。私の選んだ桃の木では、収穫の時に100個以上の収穫がありました。また、彼の故郷である小浜から鯖を送ってもらったことがありました。特別に手をかけた養殖鯖でしたが、美味絶品極まりないものでした。
お付き合いしていて、気のおけぬ心楽しい句友でした。彼も残念ながら、病を得て,2019年9月に早逝されてしまいました。みんな、いいやつは消えて逝く。
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今回は、故人の句を中心にご紹介しましたが、残った者たち(九分九厘/ゆらぎ/龍峰/葉有露の4名)で、今もなお脈々と句を詠み続けております。草創期の文には出てこなかった葉有露さんの句をご紹介して、この文の締めくくりとします。葉有露さんは、2021年から参加されました。
”うそ寒や日差し見つけてにじり寄り” (葉有露) まだ俳句を詠み始めて日の浅い葉有露さんですが、着実に進歩をされています。