kotoba日記                     小久保圭介

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布爺の魅力

2008年02月08日 | 生活
宮嶋美衣さんのブログで、
「余寒」という言葉を知りました。
春分からは、「余寒」と言う、
で、秋分からは、「残暑」。
で、「残寒」でもなく、「余暑」でもない、
日本語の韻の美しさについても、
宮嶋さんは書かれていて、
頭の良い人だなあ、
とつくづく思います。
頭が良いという意味は、
問題意識のことで、
あることへの洞察力の深さに、
いつも驚いてばかりです。
凄い人達がまわりに一杯で、
たぶんに、僕は教えてもらえるので幸福です。

布爺がふらふらしているので、
「布爺、あんな、月曜日は春分だったでしょ?」
「ああ、そうだな」
と72歳の布爺は言います。
毅然としていて、かっこいい老人です。頭も良いし元気だし。
「春分の日からの、今の寒さを、余分の余と、寒さと書いて、
余寒っていうんだって」
「そうかあ」
と爺。
僕は夏が大好きで、逆にこの寒さは苦手で。
「かくかくしかじかで、わいは冬は苦手で」
と僕。
「そうかあ? 俺は夏がだめだ。冬だったら着ればいいだろう」
と布爺。
「まあねえ」
と僕。
それから夏の話になりました。
そいで、
「今年(夏)、(自分は)生きてるかなあ」
と布爺。
「生きてるかなあ」というのは、
健常な人が冗談で言うそれではなく、
本当に、僕も大丈夫かな、
と思わせる言い方でした。
それでも、僕が大笑いしてしまったのは、
「今年(の夏)、(俺は)生きてるかなあ」
という言い方が、
まるで、
「今夜、飯食えるかなあ。。。」
程度の言い方だったからです。
生きることは、食うことと確かに密接ですけど、
まるで生きることと食べることが、同語であるような感じだし、
生き死にも、布爺にとっては、
まるで人事のように言うから、
もー、大笑い。
実際、布爺は、
朝起きて、
「ああ、今日も生きてる、もうけ!!」
と思うそうです。

「生きてるよ」
と僕。
もうすぐ僕はこの労働場を離れるけれど、
もしかしたら布爺と今度はどこで会うのかは
判らないけれど、
この不良老人のおかしみとユーモアと、
強さとしたたかさ、目の深き奥、
快活な笑い声、しわ、
そういうことを、まず忘れないだろう、
と思います。
離れていても、思う人、布爺。


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