朝、6時半に起きて、
高田渡とはいったい、
何だろう、
と思いました。
多くの人たちの尊敬を集める、
その理由は何だろう、と。
僕は高田渡さんを聴いてきたけれど、
その歌の詩を読んできたけれど、
どうしてそこまで、
みんなが「高田渡」というのだろう、
と不思議です。
今日は行きたいけれど、
無理だ、
と思っていた、
高田渡メモリアルコンサートのことが、
脳で活動して言語になりました。
岐阜の北方町へゆけば、
手がかりが判るかもしれない、
と思い立ち、
誘ってくれていた友人に、
メールを送り、
急きょ、行ってみることにしました。
その前に、食材を買ったり、図書館へ行ったりして、
急ぎました。
昼に、
友人と待ち合わせをして、
岐阜駅でご飯を食べました。
バスを待っている間、
凄く寒かったです。
岐阜の駅前は、
閑散としていて、
14時41分のバスに乗りました。
高田渡の生誕地、北方町。
まず、資料館へ行き、図書館へ行きました。
それから、会場に入りました。
ロビーには、高田渡さんの写真が、
たくさん飾られていました。
一部は、福岡風太さんが司会をして、
中川五郎、シバ、いとうたかおさんたちの、
トーク会です。
シバが、
「武蔵野タンャ団っていうのは、楽しいからやるんじゃなくて、やるから楽しいんだよね」
と言ったのが印象的でした。
二部は、平成武蔵野たんぽぽ団(中川五郎、佐久間順平、シバ、いとうたかお、松田幸一、村上律、宮武希、大庭珍太、ANN SAN)の演奏です。
佐久間さんがバンドマスターのような感じで、まとめていました。
最後に、
北方中学校ママさん合唱団「北方マーガレット」が出てきて、
「私は私よ」を合唱しました。
高田渡は数年前になくなりましたけれど、
この北方町の人たちが、
高田渡の「私は私よ」を歌っている。
地元に、こんなに愛されている。
そこに、感動の源がありました。
来てよかった、
と思いました。
ここに来なかったら、
こんな美しい情景は、
見られないことですから。
そして、続いて出てきたのは、
先生に指導されながら、
左右からステージに上がる中学生たち、
北方中学校3年生合唱団「北方なのはな25」です。
彼らは「自転車に乗って」、
「私の青空」、
を歌った。
僕と友人は、
二階の席で、
会場いっぱいに響く、
合唱と手拍子を聴きました。
今、これを書いていても、
涙がこぼれそうです。
宮武さんが発する美しいオーラは、
会場を明るくしていました。
そして、中学生の後ろにいる、
平成武蔵野たんぽぽ団は、
みんな教師のようでした。
帰りのバスの中で、
偶然、中島さんと、
30年ぶりぐらいの、
もうさんに会いました。
もうさんは、以前、
僕が歌を歌っていた時、
スティールギター奏者として、
サメ[トしてくれた人です。
それから、
名古屋駅前で、
4人で歓談。
もうさんとは、
音楽の構造について、
話しました。
白熱したものだったので、
録音しておけばよかったな、
と思いました。
もうさんは、
音楽が好きです。
だから、
音楽の話が、
つまらないはずがない。
30年ぶりに会ったというのに、
昔話なんてどこ吹く風、
為になった話だったけれど、
実はもう覚えていません。
音と言葉の問題だったし、
核心に触る対談だったのは、
間違いありません。
箇条書きで残っている断片は、
こうです。
1「心、神様」と言うと、そこで進まなくなる。
2 高田渡のアメリカのトラディショナルのギターワークの技術、加えて、時事的な「値上げ」のような歌詞の重ねの技術。それを全部、ベールに隠す技術。
3 「言葉の音感」にアメリカは反応する。移民ならではの呼吸。
反して、日本は風景。
4 民生などのメロディはロジックである。
快楽α波を出す音、言葉の配列。
それは、数学である、ということ。
もうさんとの話は、
要はロジックであれ、
ということでした。
その例題をもうさんは、
音楽の具体で表現してくれました。
音楽は言葉に置き換え可能だから、
僕も発しました。
たくさんもらいました。
この二日間、
犬塚さんのライブ、
そこで出会ったひとたちの話、
高田渡祭、
そこで出会ったひとたちの話、
連日の豊饒でした。
シバの言葉、
「楽しいからやるんじゃなくて、やるから楽しいんだよ」
は、労働で疲れてはいたけれど、
こうして、
足を運ぶことによってしか、
得られない、幸のことです。
そんな、
大事な二日間でした。