聖徳太子研究の最前線

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光明皇后捏造説の前提となる「聖徳尊霊」の解釈の誤り(2)

2010年08月24日 | 大山誠一「聖徳太子虚構説」への批判
 大山氏の長屋王道教傾倒説の根拠、また光明皇后による聖徳太子関連文物捏造説の背景の一つは、『神亀経』と称される長屋王の願文に対する新川登亀男さんの解釈でしたが、その解釈を誤りとする最近の研究については、先に紹介した通りです。

  このたび、その願文の注釈が「上代文献を読む会」によってなされましたので、紹介しておきます。



上代文献を読む会「上代写経識語注釈(その二) 大般若経巻二百六十七」
(『続日本紀研究』第386号、2010年6月)



です。

 有意義な試みであり、情報豊かで勉強になりましたが、仏教用語の説明には、仏教辞典の説明をそのまま紹介したもの、それもズレた用法を示したものなども見られます。また、願文の定型句である「無願不~(願として~ざる無し=願えば実現しない誓願はない)」の句を「願をおこすことなく~」などと正反対の意味にとっているなど、訓読も間違いがいくつか目につきました。

 新川さんが道教との関連で理解しようとしていた「百霊」の語の解釈についても、上の注釈では大山氏の説明が紹介され、そちらに引きずられた面もあるのか明確でない書き方になってます。ただ、この「上代文献を読む会」のメンバーである「稲城正己氏による批判」が紹介されており、その論文はいろいろな面で有益なものです。

稲城正己「8~9世紀の経典書写と転輪聖王観」
((財)元興寺文化財研究所・元興寺文化財研究所民俗文化保存会編『元興寺文化財研究所創立40周年記念論文集』、クバプロ、2007年)



です。

  稲城氏は、「百霊」に関する国内の関連表現の用例をいろいろ紹介した後、「百霊」の語は仏教の護法神などの意に解釈すべきであるとし、


長屋王願経には道教的な言葉が散りばめられているにしても、長屋王が構築しようとした世界は、けっして道教的な世界ではない。長屋王願経から見えてくるのは、大宝律令制定直後、儒教に基づく礼的秩序の構築に邁進していた長屋王は、その一方で、当時の中華帝国でさかんであった仏教をも組み込んだ秩序の構築を目指していたということである。(121頁)

と述べています。これによれば、不比等は儒教、長屋王は道教、道慈は仏教、といった役割分担を説く大山説は、割り切りすぎであり、特に長屋王道教傾倒説は根拠が弱い、ということになります。その点は、私も賛成です。

 当時は、儒教は基本教養、仏教は誰もが頼る国教のような存在、神仙思想や老荘思想は早くから流行っていたうえ、道教的な表現も時代の流行として主に仏教文献に取り込まれた形で中国から伝わってきて歓迎されていたのであって、人によってそれぞれ程度は違っているものの、いずれにも関わっていたと見るのが自然でしょう。

  ただ、この稲城論文では、「上代文献を読む会」の注釈と同様、「無願不~」を「願を立てていない」という方向で解釈したり、「百霊」の用例の一つとして観音の変幻自在な変身を意味すると説くなど、仏教関連用語の解釈の誤りが目立つのが惜しまれます。

「上代文献を読む会」の注釈は、この稲城論文に基づいた点が多いようですね。

 なお、「無願不~」の語法に関連するものとして、『日本書紀』の守屋合戦の場面に見える「非願難成(願に非ずは成し難けむ)」という厩戸御子の言葉があるので、触れておきます。これについて、森博達さんの「聖徳太子聖徳太子伝説と用明・崇峻紀の成立過程--日本書紀劄記・その一--」(『東アジアの古代文化』122号、2005年2月)では、「非願不成(願に非ずば成らず)」という対応が正格であり、「「非~難~」は倭習と疑われる」(68頁下)と書いておられます。

 しかし、『無畏三蔵禅要』「梵漢殊隔、非訳難通(梵語と漢語は全く異なっているため、訳を用いなければ通じさせることは難しい)」(大正18・946a)とか、『新訳華厳経七処九会頌釈章』「非通難知(神通によらなければ知るのは困難だ)」(大正36・711b)のような中国仏教文献の用例もありますので、倭習というよりは、仏教漢文の語法と見るべきなのでしょう。
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