郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

お盆

2024年08月13日 | 日記

 良かったのか、悪かったのか、分かりませんが私たちはお墓を守る務めは無いのでお盆であってもお盆らしいことをしたことはありません。せいぜい、お仏壇の前に座って亡き両親を思ってお経を唱えることでしょうか。家人は亡き両親に対し何の感慨も持ち合わせていないので亡き兄と姉を偲んでお経を唱えると言います。私からみれば家人の両親は可哀想に思えるのですが家人の心を推し量り私は知ることも、変えることも出来ません。その分、家人の兄の子(姪)やお姉さん方が家人の亡き両親のことを思っておられることでしょう。もう、それで四半世紀が経ちましたからそれが自然となりましたし、私たちもどういうお墓に入るのかを思案する歳になり、いろいろと考えたときもありましたが、結論を出せないでいます。もともと仏教は生きている時の心の平安を求めるものであったと思うのですが、仏教僧のための死後の喪〔まつり〕に重点が移ってきたように考えます。それを強〔あなが〕ち否定しようとも思いませんが私の死後の世界は死んでみないと分かりませんから今から考えても詮〔せん〕ないことです。お盆という今ここ “being present” において両親を偲ぶことは私の心に必要なことです。それだけを考えることにしました。
 百日紅〔さるすべり〕を短く剪定しましたが、空に向かって小枝を延ばし、花を咲かせてくれました。

 今日の夕食は、


 ◆鯛の西京焼き、ほうれん草添え ◆れんこんキンピラ ◆ブロッコリーサラダ ◆冷やし茶碗蒸し ◆ご飯 
   ~  ~


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新聞 | トップ | お疲れさまでした »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事