どうして人は身構えるのかを考えました。それは私が最善の結果を得ようとするからではないかと言うところに落ち着いた。身構えるのは対象が自分の知らないことであったり、初めて会う人であったり、威圧的なアウェイ(away:敵地)に乗り込んで行くときであったりで失敗が許されないと防衛本能が働くからです。対象に知識がなく、1度切りで責任が発生し、リセット(reset:すべてを元に戻すこと)やリカバリ (recovery:回復・復旧すること) が効かないとき心に重荷を背負うことになり、身体が緊張します。けれど、徐々に知識を得てくると対策を立てることが出来ます。完全無欠の対策は対応不能ですからほどほどの欠如した状態で臨まねばなりません。プレッシャー (pressure:心理的、精神的な圧迫)は少しはマシになりますが心の痛みは癒えることはありません。この痛みを人に話してサポートを得たとしても同じです。プレッシャーからの解放は良い経験をさせて貰い失敗しても次に活かせば良いと自分を許すこと、要するに開き直ることでしかできないと思うようになりました。身構えることはチャレンジ(challenge: 困難な問題や未経験のことなどに取り組むこと)する第一歩であるから悪いことではありません。そして自分を信じることで心の痛みをゆるめ、身体の緊張をほぐしていく過程を経験していくのだからと、よいように捉えました。しかし、そういった試練に実際あうと、心が痛み、身体が緊張して何も手が付きませんでした。
「けっして誤ることがないのは何事もなさない者だけである。また、他人のうしろから行くものは、決して前進しているのではない。私は、自らの最後の日まで、私自身の人生をさらに広く、さらに高くすることに、挑み行くのだ。(ロマンローラン)」
◆鰆のポアレ、バルサミコソースで ◆サーモンのカルパッチョ ◆クレソンと筍のサラダ ◆茄子の揚げ出し ◆コーンスープ ◆ご飯
~ 美味しかったのに写真の撮り方が良くなかったね。と言われてしまった ~