郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

できることを

2022年04月11日 | 日記

 娘の現在の歳(年齢)と同じ歳に私が娘を縁あって送り出した。そう言えば私の母もその同じ歳に私を送り出してくれた。娘もそう言う歳になっていたと感慨にしたる。私たちは娘に何もしてあげられなかったけれど、何があっても自立できるようにして送り出したつもりです(そこには娘の頑張りもあったと思いますが…)。それは私も同じこと。母は私に手に職を持たせてくれたから今でもボランティアで働くことが出来ている。人間以外の動物は母から獲物を捕る方法を教えて貰うと直ぐに群れから追い出される。鳥類などは飛べるようになると巣立ちをしていく。人間だけが特殊で教育期間が長い。一部はまだ世襲による職業に就く人もいるが大半は職業選択の自由で自分で決めていき、暮らしを成り立たせている。ある意味下克上の社会です。自分の才覚で道を切り開いていくしかないのです。巣立って家庭を築いたのですから親を当てには出来ません。冷たいようですが自分で決断し、その結果を自分で責任を取るしかありません。そのために日頃から努力を怠ってはいけないし、その姿を子に見せねばなりません。高望みせず、着実に一歩一歩自分の出来ることをやっていって欲しいと願う。「優れた人とは、自分のできることをした人である。ところが、凡人はそのできることをしないで できもしないことを望んでばかりいる(ロマンローラン)」。

 今日の夕食は、


 ◆シュウマイ三種(コーン・道明寺・湯葉) ◆海老マヨサラダ ◆白菜煮浸し ◆つくし佃煮 ◆ご飯
   ~ つくし佃煮の つくし は丹波に行き、峠越えをしたときに摘んできたものです ~

 追記: 親を当てに
   家人はその歳(年齢)の2,3年前に父を亡くしている。元々親を当てに頼ってはいなかったけれど、それでも父の姿は大きく、これからは自分の足で立つんだと気概を持ったと言う。そして何も言わなかったけれど、いろんなことに逃げずに耐え、考え、強くなったと思う。そんな家人を私も側で支えたつもりです。そう、誰でも生きている間はいつまで経っても勉強です。そうして自分では私も強くなったと思う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする