時間に余裕があればこれも、あれもしたいと思うが、いざ余裕が出来ると何もしていない。多分、お金に余裕が出来ても同じだと思うから欲を出さずに生きればよいと思う。要は余裕がなくてもやろうと思う気持ちがあるかないかであろうが、人は余裕と言う時間や、お金や、場所に逃げ場を求めているに過ぎない。そもそも余裕と言うのはどの程度から余裕と言うのかは人によって違うし、その時々でも変わるから、有ると言えば有るし、無いと言えば無いものである。言い換えれば「吾唯足るを知る」で受け容れる仕組みなり、度量を持つ方がよいのかも知れない。今、自分は焦っているなと思い、それを受け容れる。自分のことも変えられないのに他人のことをすぐに変えようとしても無理なことだから、言っても仕方ないと諦める。その思いも受け容れる。食べ物を口の中で噛んで胃腸で消化するように受け容れたものを心の中で噛んで身体全体で消化する。その時々で心で感じた嫌なこと、悲しいことは呑み込み、楽しいことは味わうが、いつまでも心に留め置く必要はない。感情を消化していって流していく。気持ちを軽くして次のことに当たれるようにすることが一番だ。言うのは簡単だが遣るのは難しい。でもそう言う考えもあるのだと思うだけでもよいのでは…。
今日の夕食は、
◆豚肉の生姜焼き ◆えびのチジミ ◆ひじきの白和え ◆せりのお浸し ◆空豆の翡翠煮 ◆ご飯
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追記: 後で、自分の思いや感情を自分自身で肯定する。平常心をそうやって作っていくのも一つのやり方としてあるのかなと思ったし、自分だけではなく、心に負担を感じている人に心を軽くする仕組みとして話してあげることも必要かと思った。