郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

世の中難しい

2012年09月20日 | 日記

 大は国と国、国内、競争企業間、小は会社組織内、学校内、家庭内での人と人の諍[いさか]いが絶えない。領土問題(→竹島/日・韓)、反政府運動(→シリア内戦)、宗教問題(→イスラム侮辱)、特許訴訟(→スマホ/米Apple・韓サムソン)、雇用訴訟(→懲戒免職処分取消し/大阪市ネコババ告発者)、パワーハラスメント(→JR日勤教育/尼崎脱線事故)、いじめ(→大津中2)、離婚訴訟(→高嶋政伸・美元)、…。どちらの側も自分の主張が正しいと思っているか、強者が弱者に暴力を振るっているかである。さらに言えば損得勘定か、メンツとメンツの争いかである。お金で解決できることはまだ解決の糸口が見えてくる。しかし、メンツとメンツは見出せない。泥沼にはまって互いに傷つくことになる。傷つくことが嫌で、弱腰になって逃げたら一生悔いが残るかもしれない。逆に正攻法で傷ついてもそれをバネに成長できるかも知れない。自分を信じてるかどうかが分れ目のように思う。

     国と国
 最近竹島、尖閣諸島の領土問題で韓国、中国と諍いが発生している。日本人の目から見れば怨念を持つ相手国の横暴に見える。日本人は戦後、脛[すね]に傷を持っていると自覚させられてから外交で弱腰対応を続けてきた。その傷とは極東裁判で責任者は絞死刑にさせられたが、最高責任者は免れて社会システムの一部(精神的部分)に残り、大変革にならなかった点にある。社会システムに大変革が起きていれば戦前と戦後は違うと侵略された周辺国も理解し、怨念を晴らしたであろう。今から言っても詮無いことである。67年経った今はそれらは時効であり、弱腰外交から脱皮しなければ、次から次へとイチャモンを突き付けられ服従せねばならぬ破目に陥る。喧嘩をせよと言うのではない。正しいことを主張し続けることである。相手国が納得するまで言い続けることである。へんな妥協はマイナスである。有名大学の偉い先生方でも自分可愛さで損得勘定を旨とする経済界の方を見て外交とは妥協の産物であると言う。スタンスが、これからの国の在り方、国民の取るべき行動指針において正しい方向を向いていないから紛らわされてはいけない。各々が清廉潔白を旨として自分の頭で考え、勇気と自信を持って主張せねばならない。すべての諍いへの対応はこれに通じているように思う。
  

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする