鉄ちんちんの気まぐれ紀行

今日も行く!走れ、汗と涙の撮り鉄ドキュメント!

特急ひのとり乗車

2021年10月13日 | 乗車記録

近鉄上本町駅


先頭者展望


プレミアム車両


カフェスポット


レギュラー車両

「特急ひのとり」上本町ー名古屋間往復乗車。プレミアム車両は、リラックスできる設備も充実し、ゆとりのある空間でした。




特急しなの乗車!東海地区の貨物撮影!

2016年03月01日 | 乗車記録
3月26日のダイヤ改正により「特急しなの」が東海道本線(大阪~名古屋)から姿を消します。京都~名古屋間で、381系「特急くろしお」以来の記念乗車をしてみます。乗車列車は、9時25分発「特急しなの9号」長野行です。



京都駅0番線ホームは、北陸方面特急が中心です。



定刻通りに「特急しなの」が進入してきました。



長野方面へは、名古屋まで新幹線を使い、「特急しなの」に乗り換えるのが一般的ですが、この日は約50%近い乗車率のようだったと思います。

車窓は、あいにくの曇り空から雨模様。ハイライトの伊吹山も微かに見ることができました。そして、約1時間半で名古屋の到着です。



名古屋で新たな客を乗せて、「特急しなの9号」は静かに中央本線へと乗り入れていきました。

時刻はまだ午前11時。昼食に名古屋めしでも食らってのんびり帰阪することにしていましたが、せっかくですので、貨物ファンの聖地といわれる清洲で撮影をすることに。急遽、名古屋駅で買っておいた「鶏めし」をホームのベンチで食べながら列車を待ちます。雨模様の中ですが、貨物列車は水しぶきを上げながら頻繁にやってきます。









そのうち突然のアナウンスが流れます。内容は、人身事故のため上下線ともストップ。寒いホームでの待ちぼうけです。どれだけ待ったでしょうか、ようやく上り線のみが先に運転開始。やってきた上り列車に飛び乗り、ひとまず名古屋に戻り、ホームのきしめんで寒さをしのぎます。上下線共に運転開始された頃には、ダイヤは乱れ状態で、気がつけば「特急しなの16号」大阪行の時間が近づいています。予定外でしたが、復路も「しなの」乗車で疲れた体を癒しながら帰りました。車窓は時間的に真っ暗となりましたが、最後の思い出に残る「特急しなの」乗車となりました。



再び京都駅に降り立ち、大阪に向けて走り出す列車を見送りました。次回は、「特急しなの」を沿線で撮っておこうと思います。






381系「くろしお」最後の活躍!Part3

2015年11月05日 | 乗車記録
追い続けてきた381系。引退前の最後の休日となりましたが、最後は「くろしお」に記念乗車することにします。「こうのとり・きのさき」に続いての乗り鉄です。記念乗車するには始発から終点までの乗車がベスト。ただ明日は「こうのとり・きのさき」の最後の撮影を計画しているため、日帰り乗車でなければなりません。新宮まで行ってしまうと、折り返しの列車で帰らざるをえなくなります。往復9時間乗りっぱなしとなるので、白浜行で往復することにします。始発は京都駅です。



先頭(白浜方)はパノラマ車の6連です。  京都駅

あいにく指定席は満席で、グリーン車なら空きがあるとのこと。自由席でもよかったのですが、思い切って確実にグリーン券を購入。人生2度目のグリーン体験となりました。パノラマの展望は素晴らしい。381系特有の揺れ心地は別として、車内のイメージは明るく、シートの座り心地も素晴らしい。通常の指定席料金の3倍はするだけはあります。







2人用と1人用シートが並びます。私の席は1人用シートでした。乗車率は、普通指定席車は満席に対して、グリーンは数名のみでした。



発車と同時に、他の旅行客につられて買った弁当を開けます。苦手な食材が多くて今一つでしたが、旅気分は味わえます。

列車は、新大阪から環状線、天王寺から阪和線へと南下していきます。暫く車窓を眺め、気分が落ち着くと再び列車探索に。





洗面所は昔ながらの感じですが、とりあえず改装されています。

京都から約3時間の乗車でしたが、あっという間に白浜の折り返し線の到着です。短いグリーン車体験の終わりです。
帰りの列車まで僅か3時間。どう時間を潰すかを考えながら撮影を続けます。



パノラマ車の運転台です。



紀勢線の主要駅には、381系の引退を惜しむ寄せ書きが設置されています。   白浜駅にて



これは以前、撮影で立ち寄った串本駅で、381系へのメッセージ代わりに、駅員さんから貰ったヘッドマークデザインの紙袋です。ありがとうございました。一生の記念です。

駅前からバスに飛び乗り、崎の湯(白浜温泉)へでもと考えたのですが、時間的に少し無理があると思い、とれとれ市場の温泉で疲れを癒します。
しかし、時間の経つのも早いもので、列車の時間を気にしながら再び白浜駅に戻ってきます。駅前で、炭そばで腹ごしらえをし、発車20分前、改札をくぐります。帰りの乗車列車は、予想通り乗車してきた折り返し列車です。しかし、今度は普通車の指定席ですが。





普通車車内は、懐かしさを感じます。イメージは昔のままのようです。



記念撮影用のパンダシート。これも見納めです。



車窓からの風景は、普段見慣れた国道沿いの風景とは一味違うものです。帰りは陽が傾く直前です。
和歌山手前には夕陽となり、天王寺に着く頃には、辺りは真っ暗となっていました。ほどなく終点の京都に着いて、私の最後の「くろしお」乗車も終わりです。


京都到着後、回送列車を引き上げるまで見送りました。
明日は、最後の国鉄色の撮影に向かいます。







廃止までに乗っておこう381系(乗り鉄編)

2015年07月25日 | 乗車記録
台風直後は快晴となりましたが、崖崩れの影響で「特急くろしお」は運休。それなら丹波方面の381系の撮影をと考えましたが、道路事情や川の氾濫もあり得るとのことで、決してコンディションもよくないと判断し、これを機に廃止までには乗っておきたかった乗り鉄を実行することにしました。丹波方面の特急はダイヤ通りの運行。早速、新大阪の駐車場に車を入れ緑の窓口へ。余裕を持って1本遅らせ、9時4分発の城崎温泉行「こうのとり3号」に乗車します。



人気のないホームに進入してきました。次の大阪駅からの乗客が多いようです。



車内を記録しておきます。



デッキ



普通車





グリーン



洗面所



トイレ

車内はとりあえず改装されています。



窓ガラスは2重構造となっています。

乗客を乗せ、山間部に向けて走りだすあたりから、列車の揺れが大きくなります。デビューから42年の歴史を感じさせます。新型車両への置き換えも仕方がないのでしょう。車内アナウンスでは、各駅を出発するたびに頻繁に、台風の影響で本来の6両編成から4両で運行していること。5号車・6号車の指定券と乗客の扱いを放送していました。城崎温泉には約3時間で到着しました。新大阪からの「こうのとり3号」は「きのさき16号」京都行で折り返します。







城崎温泉駅にて

折り返しの「きのさき16号」で戻ることも考えましたが、せっかくですので温泉につかり、手前の豊岡で一泊し、2日目の同じ「きのさき16号」で京都に戻ります。





昨日乗車の「こうのとり3号」が入線してきました。「きのさき16号」として折り返し乗車します。





途中、和田山で国鉄色同士(きのさき5号)待ち合わせします。ちなみに国鉄色同士の交換は、和知、福知山、豊岡でも見られます。



定刻通り京都に15時5分到着です。ここから「きのさき16号」は「はしだて7号」天橋立行として折り返します。

廃止間近ですので、最後の国鉄色に乗ってみてはいかがですか。思い出深い「くろしお」にも乗っておきたいですね。


終焉間近の「特急日本海」に乗るの巻

2012年05月12日 | 乗車記録
近年、大がかりなダイヤ改正が行われるたびに、寂しくなるばかりですね。2012年3月のダイヤ改正で「特急日本海」「急行きたぐに」も定期運用から臨時列車に格下げとなりました。これで関西のブルートレインは全滅となりましたが、両列車の消滅も時間の問題だそうです。とりわけ「日本海」は、数少ないブルートレインの乗車経験の中で、何度かお世話になった思い出の列車だけに、最後の乗車記念に何としてでも乗っておこうと計画しました。
終焉前の1月下旬の乗車となりましたが、こんな機会でもない限り、真冬の青森には行くこともなかったでしょう。しかし、最も仕事が忙しくなる時期で、ましてやチケットが取れたことは本当にラッキーだったと思います。せっかくの青森ですから、念願だった五能線の撮影を兼ねての小旅行です。



金曜日の大阪駅、「日本海」は仕事帰りで賑わう10番線を、違和感を感じさせながら入線。発車までの停車時間、ホームの人々の注目を浴びているようでした。勿論、多数の同業者のカメラマンの姿も!

定刻に発車した列車は、新大阪駅でも一定の乗客を乗せ、帰り客の多い駅をゆっくりと通過していきます。非日常的時間の始まりです。車内販売がないため、弁当と飲み物を調達して乗り込み、乗車車両は2段B寝台の下、ほぼ満席だったようです。

京都を過ぎ、途中の近江塩津駅、加賀温泉駅で後続のしらさぎ、サンダーバードに道を譲ります。金沢駅を過ぎたあたりで、時刻は21時45分。早くも「おやすみ放送」が入りました。東能代到着時まで、車内放送は休みとなります。一般の乗客は、すでに眠りに入る頃合いなのでしょう。しかし、鉄ちゃんは違うのです。寝てしまうのがもったいないのです。できるだけジョイント音を聞いていたり、地元では見れない列車のすれ違い、深夜の運転停止等を見届けながら非日常時間を感じていたいものなのです。車内は減灯され、夜行列車にふさわしいシチュエーションとなります。深夜の停車駅ごとに多数の撮り鉄たちの活動は続きました。

                   

いつの間にやら意識も無くなり、暗闇の雪景色の中を、時折ピューという汽笛を響かせ、粛々と越後路を下っていきます。途中、長岡駅通過に気づきましたが、再び気絶してしまったようです。あまりの静けさで目覚めた時は、新津駅での停車中でした。時刻表では2分ほどの停車表示ですが、想定外の停車時間があり、上り「特急あけぼの」とのすれ違い、国鉄色の583系列車との出会いがありました。関西では見れない光景です。気づいてよかった。深夜の新津駅を静かに走り出してからは、ジョイント音を子守唄に就寝タイムとしました。



鶴岡、酒田、羽後本庄などの主要駅に停車しながら秋田駅到着は5時半を過ぎた頃です。秋田駅で一定の乗客を降ろしたあと、列車は静かに走り出します。6時20分頃、「おはよう放送」が入り、10分遅れで運転していることを知らせます。1日の始まりです。辺りは一面雪景色です。秋田県から青森県に入る山間部では行き違いのための運転停車を繰り返し、長かった列車の旅もラストスパートに入りました。初めて見る雪の岩木山がとても綺麗で、通路の窓からは乗客の多くが、じっと外を眺めていたのが印象的でした。青森駅到着後は、働き続けた機関車の切り離し作業のあと、終焉を迎える事実をしっかりと受け止めたいのか、信じたくないのか、なかなか離れず、しばらく見届けてホームを後にしました。2日目は五能線の有名撮影地を巡り、あの不老不死温泉で一泊、帰路に着きました。



機関車交換後、「日本海」は休息場所へ移動します



青森駅構内の有名なアングルから1枚

                   五能線の有名撮影地より





写真からもおわかりのように、気持ちのいい2日間に恵まれました。天候も厳しい五能線の撮影を覚悟していたのですが、この2日間は珍しく暖かい穏やかな海で、夕食もその日の漁で捕れた新鮮な魚を頂くことができたようです。(旅館の方曰く)
残念ながら夕日は見れませんでしたが、夕日100選で有名な露天風呂だそうです。ご存じの方も多いでしょう。雑誌でよく見たことありますねえ。
列車の長旅でしたが、帰りは秋田空港から飛び立って、1時間半後には大阪にいる自分が信じられなかったです。

「日本海」引退から2ヶ月経ちますが、振り返りながらアップしますと懐かしく感じますねえ。
今後は、色んな場所での撮り鉄の奮闘ぶりを紹介していきたいと思います。ありがとうございました。