近年、大がかりなダイヤ改正が行われるたびに、寂しくなるばかりですね。2012年3月のダイヤ改正で「特急日本海」「急行きたぐに」も定期運用から臨時列車に格下げとなりました。これで関西のブルートレインは全滅となりましたが、両列車の消滅も時間の問題だそうです。とりわけ「日本海」は、数少ないブルートレインの乗車経験の中で、何度かお世話になった思い出の列車だけに、最後の乗車記念に何としてでも乗っておこうと計画しました。
終焉前の1月下旬の乗車となりましたが、こんな機会でもない限り、真冬の青森には行くこともなかったでしょう。しかし、最も仕事が忙しくなる時期で、ましてやチケットが取れたことは本当にラッキーだったと思います。せっかくの青森ですから、念願だった五能線の撮影を兼ねての小旅行です。
金曜日の大阪駅、「日本海」は仕事帰りで賑わう10番線を、違和感を感じさせながら入線。発車までの停車時間、ホームの人々の注目を浴びているようでした。勿論、多数の同業者のカメラマンの姿も!
定刻に発車した列車は、新大阪駅でも一定の乗客を乗せ、帰り客の多い駅をゆっくりと通過していきます。非日常的時間の始まりです。車内販売がないため、弁当と飲み物を調達して乗り込み、乗車車両は2段B寝台の下、ほぼ満席だったようです。
京都を過ぎ、途中の近江塩津駅、加賀温泉駅で後続のしらさぎ、サンダーバードに道を譲ります。金沢駅を過ぎたあたりで、時刻は21時45分。早くも「おやすみ放送」が入りました。東能代到着時まで、車内放送は休みとなります。一般の乗客は、すでに眠りに入る頃合いなのでしょう。しかし、鉄ちゃんは違うのです。寝てしまうのがもったいないのです。できるだけジョイント音を聞いていたり、地元では見れない列車のすれ違い、深夜の運転停止等を見届けながら非日常時間を感じていたいものなのです。車内は減灯され、夜行列車にふさわしいシチュエーションとなります。深夜の停車駅ごとに多数の撮り鉄たちの活動は続きました。
いつの間にやら意識も無くなり、暗闇の雪景色の中を、時折ピューという汽笛を響かせ、粛々と越後路を下っていきます。途中、長岡駅通過に気づきましたが、再び気絶してしまったようです。あまりの静けさで目覚めた時は、新津駅での停車中でした。時刻表では2分ほどの停車表示ですが、想定外の停車時間があり、上り「特急あけぼの」とのすれ違い、国鉄色の583系列車との出会いがありました。関西では見れない光景です。気づいてよかった。深夜の新津駅を静かに走り出してからは、ジョイント音を子守唄に就寝タイムとしました。
鶴岡、酒田、羽後本庄などの主要駅に停車しながら秋田駅到着は5時半を過ぎた頃です。秋田駅で一定の乗客を降ろしたあと、列車は静かに走り出します。6時20分頃、「おはよう放送」が入り、10分遅れで運転していることを知らせます。1日の始まりです。辺りは一面雪景色です。秋田県から青森県に入る山間部では行き違いのための運転停車を繰り返し、長かった列車の旅もラストスパートに入りました。初めて見る雪の岩木山がとても綺麗で、通路の窓からは乗客の多くが、じっと外を眺めていたのが印象的でした。青森駅到着後は、働き続けた機関車の切り離し作業のあと、終焉を迎える事実をしっかりと受け止めたいのか、信じたくないのか、なかなか離れず、しばらく見届けてホームを後にしました。2日目は五能線の有名撮影地を巡り、あの不老不死温泉で一泊、帰路に着きました。
機関車交換後、「日本海」は休息場所へ移動します
青森駅構内の有名なアングルから1枚
五能線の有名撮影地より
写真からもおわかりのように、気持ちのいい2日間に恵まれました。天候も厳しい五能線の撮影を覚悟していたのですが、この2日間は珍しく暖かい穏やかな海で、夕食もその日の漁で捕れた新鮮な魚を頂くことができたようです。(旅館の方曰く)
残念ながら夕日は見れませんでしたが、夕日100選で有名な露天風呂だそうです。ご存じの方も多いでしょう。雑誌でよく見たことありますねえ。
列車の長旅でしたが、帰りは秋田空港から飛び立って、1時間半後には大阪にいる自分が信じられなかったです。
「日本海」引退から2ヶ月経ちますが、振り返りながらアップしますと懐かしく感じますねえ。
今後は、色んな場所での撮り鉄の奮闘ぶりを紹介していきたいと思います。ありがとうございました。