竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

さそり座とオリオンと中国

2010-01-21 09:26:32 | 田舎暮らし
薪ストーブでの竹の油抜き。今日の仕事のひとつ。
 
ここ数日の早朝ジョギングについて、友人へのメールに、
朝はさそり座をいただいて走り、夜はオリオン座を眺めて温泉に行く、
まるで世界を一周したような気分と書いた。
 
夜中に目覚めて図書館で借りた本「新唐詩選続編」を読んでいたら、
杜甫が古い友人を訪ねたときの詩「贈衛八處士」に、
 
人生相見ず ややもすれば參(しん)と商との如し
 
という句があった。參はオリオン座、商はさそり座、
冬と夏の星座なので、同じ空には並ばないことから、
会わないことの比喩として用いられると言う。
 
この詩は、杜甫が二十年ぶりに会った友人の家を訪ねたときの五言古詩です。
友人はかっては未婚だったが、今は男女の子供達がぞろぞろ出てきて、
酒やつまみの仕度をしてくれた、というほほえましい詩です。
 
 家の隣の森
 
昔の漢文の授業で漢詩と言えば悲憤慷慨、大げさな表現と言うイメージがあるが、
杜甫にも日常の詩があり、特に白楽天は、まわりの世界を分かりやすい言葉で詠う事を、
自分の使命としていたようだ。
一般に中国の文人達は官吏となって世のために尽くすという意識があるが、
白楽天はその意識が強く、社会の弱者をうたう詩も多い。
 
8世紀や9世紀にすでにそういう社会意識が強いことを思うとき、
中国文明の偉大さを思わざるを得ない。
 
すでに論語のなかに、子は怪力乱心を語らず、という言葉があるように、
神秘や予言の言葉があふれている世界で、
語る言葉としては合理主義にとどまろうという強い意志があった。
 
今はあまり言われなくなったが、軸の時代という言葉がある。
 
紀元前6~4世紀頃、東西の大文明の世界に、
中国の孔子や老子、インドの釈迦、ペルシャのゾロアスター、
ギリシャの初期哲学者達やソクラテス、プラトンが現れ、
伝統的な共同体を失って世界の中に孤立してしまった個人に、
直接問いかける宗教や哲学が生まれた。
 
その時代がその後の世界史の軸になり、
現代人もその軸の周りをまわっているというのだ。
 
中国はその時に生み出した文明を、今まで存続させてきた地域である。
唐の時代の長安は世界最大の都市であり、
そのアンチテーゼとして田園、山野への憧れを持ち続けてきた文明である。
田舎と都会を往復している私なども、そんな影響下にある一人に過ぎない。
 
久しぶりに湧かしたドラム缶風呂の炎
 
そんな中国文明を日本人は愛し続けてきた。
西洋かぶれになってわれを忘れ、最も愚かになった時、
中国を侵略したのだ。
 
日本の自慢の経済力を中国が追い越しつつある今、
中国の文明も見直されつつある。
 
雨の朝、寝ぼけた頭で書いたこんな文章を読んでくれた人がいたら、
感謝します。
 


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