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近代革命の社会力学(連載第400回)

2022-03-24 | 〆近代革命の社会力学

五十六 中・東欧/モンゴル連続脱社会主義革命

(10)革命の帰結
 1989年に始まった連続革命は最も遅発の国でも1992年までにはひとまず収束したが、この革命の帰結は毀誉入り混じるものとなった。
 まず、経済的下部構造面での最も顕著な帰結は、革命後の各国が雪崩を打つように資本主義市場経済へ合一化していったことである。
 その点、旧東ドイツで最初に民主化運動を担った知識人主体の「出発89―新フォーラム」などは、大量消費と効率至上の西欧式市場経済には否定的で、それとは異なる道を模索していたが、こうした新たな知的模索は革命の波に押し流され、速やかに西ドイツに吸収合併された統一ドイツでは無論、他の諸国でも無条件の資本主義化が革命後の既定路線となった。
 こうして中央計画の社会主義体制から自由市場の資本主義体制への転換が急激に行われたことで、各国の1990年代は程度差はあれ混乱の時代となった。統一ドイツでも、編入された旧東ドイツ地域は統一ドイツの新たな財政経済面での重荷となった。
 中でも、鎖国体制を脱したアルバニアでは、新たな政権党となった民主党のベリシャ政権が独裁化し、かつその下で国家ぐるみの腐敗したねずみ講事件が発生して被害者が続出し(拙稿)、大規模な反政府騒乱を誘発するなど、社会経済の狂乱が激しかった。
 しかし、諸国は社会主義計画経済時代に推進された工業化の遺産を活用しつつ、2000年代までにおおむね安定化を達成し、新興ないし中堅の資本主義国として収斂しているが、資本主義に付きものの格差社会や社会保障の弱化などの負の現象も顕著化し、東欧は西欧への出稼ぎ・移民労働力の給源となる形で欧州の東西不均衡も明瞭となった。
 
 また、政治的な上部構造の面から言えば、社会主義時代の共産党または他名称共産党による「指導」を大義名分とした一党独裁体制は全面的に放棄され、基本的に西欧式の複数政党制による議会政治に転換された。
 それに伴い、完全に解体されたルーマニア共産党を除けば、従前の独裁政党はほぼ一斉にマルクス‐レーニン主義教義を放棄して社会民主主義または民主的社会主義等の西欧左派政党と同等の理念に衣替えし、議会政党としての再生を図った。
 しかし、今日まで政権獲得可能な全国政党として生き延びることができたのは、社会党に改称したアルバニア労働党と人民党に改称したモンゴル人民革命党くらいである。―こうした相違が生じた理由として、アルバニア労働党はイタリア及びドイツに対するレジスタンス・独立回復運動(拙稿)、モンゴル人民革命党も中国からの独立運動にそれぞれ独自のルーツを持つのに対し(拙稿)、それ以外の旧独裁党はいずれも沿革からしてソ連共産党の言わば傀儡的衛星政党であったことが命運を分けたと言える。
 
 いずれにせよ、こうした上下の社会構造の変革を全体として見れば、この連続革命は、言わば「遅れて来たブルジョワ民主化革命」であったと総括することができる。
 振り返れば、連続革命のあった諸国では、第一次大戦後にブルジョワ民主化革命(ドイツ革命)を経験している(東)ドイツ及び遊牧国家としての性格を脱し切れていなかったモンゴルを別とすれば、ブルジョワ民主化革命を経験しないまま、未発達ながらも資本主義工業化の過程にあった。
 それら諸国は第二次大戦後、中・東欧への勢力圏拡大を狙ったソ連の浸透と政治操作によって、社会主義革命を経ないまま、ソ連式社会主義にあてはめられたのであった。―第二次大戦前に社会主義国家となったモンゴルはここでも例外であるが、やはりソ連の影響下でのことである。
 連続革命はそうしたお仕着せの社会主義体制からの脱却として、西欧より周回遅れで発生したブルジョワ民主化革命であったと言える。これは「ブルジョワ革命→プロレタリア革命」というマルクス主義の図式的な革命理論にあてはまらない逆転的なプロセスである。
 この逆転的ブルジョワ革命の前衛的主役は、皮肉にも社会主義体制が比較的注力していた高等教育制度の整備の成果として増加していた学生や知識人などの知識中産階級であり、かつ一党独裁下で党エリート階級が形成されることにより空洞化した「プロレタリア階級国家」で疎外されていた労働者階級も後衛的に参加したのであった。
 一方で、一党独裁時代の党指導部・最高指導者層の大半が貧困な労働者階級出自であったのに対し、革命後の各国では急速に富裕層が形成され、かれらが選挙を通じて政治的な指導者階級を形成するという形で、典型的なブルジョワ民主政治の特徴が発現してきている。
 
 ところで、円卓会議による平和的な体制転換の範例を見せて連続革命にも端緒を与えたハンガリーとポーランドでは、青年民主同盟(ハンガリー)や自主管理労組・連帯(ポーランド)といった民主化運動団体に沿革を持つ政党が近年、国家主義的な転回をきたし、それぞれでファッショ化を警戒させる権威主義的な政権を誕生させている(拙稿)。
 両国で旧民主化勢力が旧社会主義体制下の抑圧を再現するかのような反動現象を見せているのは、その体制転換が民衆革命によらず、旧体制との言わば談合を通じて上から実行されたことで自身の民主的な基盤が脆弱になり、反転現象を招来したためと考えられる。
 こうした両国の新潮流が周辺諸国に対して再びモデルを提供することがあれば、東欧諸国で同種の反動化と権威主義政権の形成が促進されることが懸念される。


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