ザ・コミュニスト

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近代革命の社会力学(連載第436回)

2022-06-02 | 〆近代革命の社会力学

六十二 ユーラシア横断民衆諸革命

(3)グルジア革命

〈3‐1〉構造汚職と政情不安
 2000年セルビア革命は、2003年以降、旧ソヴィエト連邦からの独立国へと波及していくが、その端緒はコーカサス地方のグルジア(現ジョージア:以下では、革命当時の旧呼称グルジアで表記)であった。
 グルジアは、旧ソヴィエト連邦から1991年に独立宣言した後、文学者で旧ソ連時代の人権活動家として投獄も経験したズヴィアド・ガムサフルディアが初代大統領となった。彼はソ連解体革命の渦中、グルジアの独立運動を率い、国民的な敬意を持たれていたため、初代大統領への就任はさしあたり順当と言えた。
 ところが、いざ権力の座に就くや、ガムサフルディアは独裁化し、自身の人権活動家としての過去を忘却したかのように深刻な人権侵害を犯すようになった。またグルジア民族主義を強調し、少数民族を圧迫したことで、難民を発生させ、南オセチアやアブハジアなどの少数民族の独立運動を刺激することにもなった。
 野党勢力の批判が強まる中、ガムサフルディア自身が独立運動中にグルジア独自の軍組織として創設に関わった国家警備隊がクーデター決起し、1992年1月にはガムサフルディアは亡命に追い込まれた。
 こうして、独立最初期のグルジアは独裁体制とその短期間での崩壊という混乱に始まることとなった。クーデター後に政権を掌握した軍事評議会は、国家評議会と改称したうえ、議長にグルジア出身の元ソ連外相エドゥアルド・シェワルナゼを招聘した。
 シェワルナゼはソ連のゴルバチョフ政権の「新思考外交」を担う外相として、冷戦終結の実務を担当し、西側で高い評価を得た人物であったが、遡ること1970年代にはグルジア共和国共産党第一書記として、グルジアにおける事実上のトップ職を務めたことがあり、ソ連解体を挟んで二度目のトップ職という異例の履歴となった。
 シェワルナゼは民族主義的な独裁者だったガムサフルディアとは異なり、民族主義を抑制し、政治手法も独裁的ではなかったが、暫定政権の1992年から最高会議議長、95年の大統領就任を経て政権が長期化するにつれ、汚職体質となった。これはシェワルナゼがかつて共産党第一書記として、汚職撲滅で名を上げた経歴からすれば、皮肉な変節であった。
 他方で、旧ガムサフルディア支持勢力の抵抗や南オセチアやアブハジアの分離独立運動、マフィアの台頭にもさらされ、シェワルナゼを狙った暗殺未遂事件がたびたび発生するなど、政情不安も恒常化するとともに、治安の悪化も顕著化した。
 他方、ソ連解体に伴う市場経済化は同時期のロシアのようなショック療法ではなく、かつての盟友ゴルバチョフのそれに似て漸進的な手法によっていたため、比較的安定はしていたものの、構造汚職が経済を蝕んでいた。

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