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近代革命の社会力学(連載第441回)

2022-06-13 | 〆近代革命の社会力学

六十二 ユーラシア横断民衆諸革命

(6)諸革命の「その後」
 ユーラシア横断民衆諸革命はいずれも民主化を求める民衆の意志の発露ではあったが、明確な理念に基づく革命ではなく、いずれも不正選挙疑惑を契機として内爆的に生じた革命であったため、時の政権を打倒する限りでは成功したものの、「その後」には混乱が後続した。
 混乱の経緯はそれぞれに異なっているが、革命後の新政権内における確執や新政権の強権独裁化が混乱の要因となっており、各国における革命後の円滑な民主化移行プロセスを妨げたことでは共通している。
 諸革命の端緒となったセルビアでは、野党系のコシュトニツァ政権が成立した後、革命指導者の一人で、連邦構成国セルビアの首相に就任した急進改革派ゾラン・ジンジッチ首相とコシュトニツァ連邦大統領の間での確執が強まるとともに、連邦構成相手国のモンテネグロの独立志向が強まった。
 一方、国際法廷から反人道犯罪容疑で手配されていたミロシェヴィチ前大統領の身柄引き渡しが実現したが、これにはセルビア国内で民族主義的な感情からの反発も強く、引き渡しに尽力したジンジッチ首相はミロシェヴィチ時代の元警察特殊部隊員らによって2003年に暗殺された。
 グルジアでは、革命の立役者でもあったミヘイル・サアカシュヴィリが2004年の大統領選挙で当選し新政権を発足させ、市場経済改革や汚職撲滅では成果を上げたものの、次第に強権的となり、2007年には二次革命を誘発しかねない大規模な抗議デモに直面したが、前倒し選挙で再選し、2013年まで任期を務めた。
 しかし、サアカシュヴィリ政権時代、領内の南オセチアの分離独立運動をめぐり、2008年には独立派に支援介入するロシアとの間で戦争となり、国交断絶に至った。さらに、大統領退任後、サアカシュヴィリは政権期間中の人権侵害や汚職の罪状で国際手配され、ウクライナへ亡命して身柄引き渡しを免れるためウクライナ国籍を取得、異例にも同国で州知事職に就くなどし、革命指導者としての名声は失墜した。
 ウクライナでは、未遂革命後の平和的な政権交代により親欧州派ユシュチェンコ政権が発足し、満帆に見えたが、ユシュチェンコ政権の首相を二度務めた女性実業家ユーリヤ・ティモシェンコの確執が強まり、政権の求心力が弱化した。これは2010年の再選失敗と親露派の勝利・復権、さらに2014年には再革命を招くことになる(別項にて後述)。
 キルギスでは、革命後に成立したバキエフ政権が次第にアカエフ前政権と同様の縁故政治・独裁政治に傾く中、2010年には野党勢力が蜂起し、バキエフを海外亡命に追い込んだ。これは2005年の革命に続く二次革命と言うべき事象であった(別項にて後述)。
 この2010年革命は2005年革命と同様に、それ自体も暴力的な衝突を惹起したが、革命後、バキエフの支持基盤である南部で少数民族ウズベク人とキルギス人の民族衝突が勃発、多数の死傷者・難民を出す付随的な人道危機を惹起した点、中央アジアの複雑な民族構成を反映していた。

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