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近代革命の社会力学(連載第444回)

2022-06-17 | 〆近代革命の社会力学

六十三 レバノン自立化革命

(2)宗派内戦からシリアの支配へ
 2005年レバノン自立化革命の前史として、1975年から15年間続いた宗派内戦がある。この内戦はレバノンの多宗派拮抗社会の力学を反映したもので、このレバノン内戦なくしては2005年の革命もなかったと言えるほどに革命の土壌を形成している。
 歴史的にレバノンはシリアと一体であったが、中東では例外的にキリスト教徒が多かったため、フランス植民統治時代にはシリアから分離されてフランス支配の拠点となり、その分割状態のまま、1943年に独立した。
 独立後レバノンの国家建設は順調で、社会主義に傾斜することの多かった周辺アラブ諸国とは一線を画し、経済的には市場経済路線を歩み、観光や金融などのサービス分野で成長を遂げ、首都ベイルートは「中東のパリ」と謳われる繁栄を享受した。
 その結果、レバノンは混乱の続く周辺諸国を尻目に中東の経済センターとなり、政治的にもフランスに範を取ったブルジョワ民主主義が定着し、クーデターや革命とも無縁の安定性を維持していた。
 また、多宗派社会の現実に即し、独立以来の不文慣習として、大統領はキリスト教徒(マロン派)、首相はスンナ派イスラーム教徒、国会議長はシーア派イスラーム教徒から出し、その他の閣僚や国会議席も宗派別に配分するという慣例が維持され、宗派間の内紛を防止していた。
 こうしたレバノンの平和を攪乱した契機は、1970年代以降、イスラエルに武装闘争を挑んでいたパレスチナ解放機構(PLO)がヨルダンを追われてレバノンに亡命拠点を設けたことであった。このような外部からの攪乱は、単独で過半を占める宗派勢力が存在しない中、微妙な均衡を維持していた社会バランスを急速に崩壊させた。
 特に政府がPLOに事実上の自治権を付与しその自立的な活動を黙認したことが、キリスト教徒勢力の強い反発を招き、内戦の引き金となった。1975年4月の騒乱事件を契機に開始された内戦では、各宗派が各々民兵組織を結成して抗争し合う凄惨な乱戦となった。
 この内戦は単なる内輪の紛争では済まず、イスラエルはもとより、冷戦時代の米ソも背後に介在したほか、バアス党支配体制下で中東の覇権を狙うシリアのアサド政権やイラン革命政権も介入して代理戦争の様相を呈し、1990年10月まで長期化した。
 内戦終結の決定因となったのは、当時イラクのクウェート侵攻に端を発した湾岸危機に注力していたアメリカからレバノン制圧を黙認されたシリアの侵攻であった。シリア軍は最後まで抵抗していたキリスト教徒勢力を武力で排除し、レバノンを事実上占領した。
 こうして、1990年以降、シリアはレバノンに軍を駐留させるとともに、諜報機関を通じて選挙結果を操作し親シリア派政権を維持する形で、恒常的な内政干渉体制を構築することに成功したため、レバノンは事実上シリアの属国状態に置かれることとなった。

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