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近未来日本2050年(連載第4回)

2015-05-30 | 〆近未来日本2050年

一 政治社会構造(続き)

「新型ファシズム」の特質
 前々回と前回、2050年の日本を支配する「議会制ファシズム」の概要・政治制度について述べたが、このように形式的な民主主義の枠組み内で成立する「新型ファシズム」は、今世紀半ば頃には、日本に限らず、標榜上は民主主義を維持する諸国を含め、世界中でかなり普遍的な広がりを見せている可能性もあると見る。
 この新型ファシズムの大きな特徴は、まさしく民主主義に見えるということにある。国際基準に照らせば正当に実施された選挙の結果に基づいて政権が構成されるという点では、たしかに議会制民主主義そのものである。しかし、実際のところ、政権与党(連立も含む)は巨大で、与野党間格差が大きく、野党には対抗力が欠けている。政府与党提出法案は、形だけの集中審議を経て、ほぼ自動的に、―すでに昨今よく耳にする表現で言えば粛々と―成立していく。渾名すれば「議会制粛々主義」(?)である。
 そのため、「多数派の横暴」という批判もいっそう受けやすくなるものの、そこは議会制における多数決原理が過剰に強調され、「多数派の絶対性」を教条として、正当化されていくだろう。ただし、野党勢力に対する直接的な弾圧は差し控えられ、市民運動や集会・デモのような大衆行動もいちおうは容認されるが、治安諜報機関網が高度に整備され、監視国家体制が進行する一方、放送や通信に対する国家主義的な情報統制は強化される。
 また後の章で詳述するが、国の任務として国防と治安が強調・優先され、教育を含むすべての国策が直接・間接に国防・治安に収斂していくようになる。反面、福祉などの社会サービスは「自助努力」のスローガンの下にいっそう削減され、社会的弱者は放置されるようになる。
 その一方で、新自由主義的な経済政策はさらに徹底され、医療や教育を含めたあらゆるものが市場原理に基づく営利主義に委ねられ、社会的成功者の暮らしはいっそう豊かとなり、格差拡大は頂点に達するが、これも「自助努力の差」による当然の帰結として正当化されていく。それによって生じる大衆の不満をそらすため、娯楽を中心とした個人の私生活の自由は称揚・推奨され、カジノを含む娯楽施設のために多くの公費が投入され、社会サービスに反比例する形で、娯楽サービスは充実する。
 ファシズムというと、独裁・殺戮等の暗いイメージを持たれやすいが、イタリア原産のファシズムは本来、どこか明るいイメージを醸し出すものであった。新型ファシズムはこうした元祖ファシズムへの回帰の様相を呈するだろう。加えて、外見上議会制民主主義が維持され、社会管理がある意味で行き届くという限りでは、都市国家シンガポールの現行体制に近似した様相をも呈するだろう。

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