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晩期資本論(連載第42回)

2015-05-05 | 〆晩期資本論

十 剰余価値から利潤へ(1)

 今回以降の参照箇所は「資本主義的生産の総過程」と題された『資本論』第三巻であるが、本巻も第二巻と同様、マルクスの遺稿を盟友エンゲルスが整理編集して公刊されたものである。
 この巻の目的は、マルクス自身の紹介によれば、「全体として見た資本の運動過程から出てくる具体的な諸形態を見いだして叙述すること」である。すなわち、「現実に運動している諸資本は具体的な諸形態で相対しているのであって、この具体的な形態にとっては直接的生産過程にある資本の姿も流通過程にある資本の姿もただ特殊な諸契機として現われるにすぎないのである。だから、われわれがこの第三巻で展開するような資本のいろいろな姿は、社会の表面でいろいろな資本の相互作用としての競争のなかに現われ生産当事者自身の日常の意識に現われるときの資本の形態に、一歩ごとに近づいていくのである」。
 つまり、第一巻で扱った個別資本の生産過程、続く第二巻で見た総資本の流通過程を経て、最終第三巻では諸資本の競争を通して剰余価値が利潤へ転化していく動態的な過程が考察されることになる。平たく言えば、資本制企業が総体として日々精進している「金儲け」の仕組みの考察である。

商品の価値のうち、消費された生産手段の価格と充用された労働力の価格とを補填する(この)部分は、ただ、その商品が資本家自身に費やさせたものを補填するだけであって、したがって資本家にとって商品の費用価格をなすものである。

 第三巻のキータームは「利潤」であるが、その前提として「費用価格」が説明される。商品の価値(W)とは、不変資本(c)と可変資本(v)、剰余価値(m)の総和で表わされるが、このW=c+v+mの定式のうち、mを控除したc+vがここで言う費用価格(k)である。簡単に言えば、コストに当たる部分である。これは、生産要素に支出された資本価値、すなわち前貸資本の補填分である。

まず第一に剰余価値は、商品の価値のうちの、商品の費用価格を越える超過分である。しかし、費用価格は支出された資本の価値に等しく、またこの資本の素材的諸要素に絶えず再転化させられるのだから、この価格超過分は、商品の生産中に支出されて商品の流通によって帰ってくる資本の価値増加分である。

 上記定式中、剰余価値mは費用価格k=c+vを越えた超過分として表わされるが、「資本家にとっては、この価値増加分は資本によって行なわれる生産過程から生ずるということ、したがってそれは資本そのものから生ずるということは、明らかである。なぜならば、それは生産過程の後では存在するが、生産過程の前には存在しなかったからである」。これが簡単に言えば、「儲け」に当たる部分である。

このような、前貸総資本の所産と観念されたものとして、剰余価値は、利潤という転化形態を受け取る。そこにおいて、ある価値額が資本であるのは、それが利潤を生むために投ぜられるからだ、ということになり、あるいはまた、利潤が出てくるのは、ある価値額が資本として充用されるからだ、ということになる。利潤をPと名づければ、定式W=c+v+m=k+mは定式W=k+pすなわち商品価値費用価格利潤に転化する。

 こうして、資本価値と剰余価値の総和で表わされた商品価値の定式は、費用価格と利潤という二つの要素の総和に変換できるわけだが、それは言い換えれば、「一方の極で労働力の価格が労賃という転化形態で現われるので、反対の極で剰余価値が利潤という転化形態で現われるのである。」ということになる。

・・・・商品が価値どおりに売れれば、ある利潤が実現されるのであって、その利潤は、商品の価値のうち費用価格を越える超過分に等しく、したがって、商品価値に含まれている剰余価値全体に等しいである。しかし、資本家は、商品をその価値より安く売っても、それで利潤をあげることができる。商品の販売価格がその費用価格より高いかぎり、たとえその価値より安くても、商品に含まれている剰余価値の一部分はつねに実現されるのである、つまり、つねに利潤が得られるのである。

 後半部分が、いわゆる安売りで利益を上げる秘訣となる。ということは、費用価格を可能な限り圧縮することが必須であり、わけても費用価格を構成する可変資本、すなわち労賃相当分を圧縮することである、安売りは低賃金労働に支えられるゆえんである。

これによって明らかにされるのは、ただ単に日常見られる競争の諸現象、たとえばある種の場合の安売り(underselling)とか一定の産業部門での商品価格の異常な低さなどだけではない。これまで経済学によって理解されなかった資本主義的競争の原則、すなわち一般的利潤率やそれによって規定されるいわゆる生産価格を規制する法則は、もっとあとで見るように、このような商品の価値と費用価格との差にもとづいているのである、また、この差から生ずるところの、利潤を得ながら商品をその価値よりも安く売る可能性にもとづいているのである。

 ここでマルクス理論による経済分析のキーワードとなる「利潤率」の概念が先取りされているが、これは商品価値と費用価格との差に着目した理論―言わば差額理論―を前提としている。このような理論は今日でも理解されているとは言えず、いわゆる「マルクス経済学」の退潮に伴い、主流的な経済学からはほぼ無視されるに至っているのが現状である。

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